第71話 最高の宿

きっかけがあったわけではない。

夏日にも関わらず吹く風に涼しさを感じたから、風が吹く方を見た。


「おお……」


あれがカヴィネシア山か。

感じたのは涼しさではなく研ぎ澄まされた神々しさだった。

イラカを発ってから三日になる。ボゥ・ズレベシャへの道のりは非常に長い。チャレスフ領北西に位置するイラカと南東に位置する真ん中に、雄大なカヴィネシア山がましますため、直線的に進むのは厳しい。整備されていない道を行くのは迷子のもとであるためひとまずは横着せずにマケリアへ向かう街道を歩んでいた。


「ふんふーん」


フウラは上機嫌だ。マケリア街道沿いは定宿が少なく、旅人は裕福な農家や民家に宿泊することが多かった。領民は他人を泊めることに慣れていて、篤哉とフウラが昨晩泊まった猟師一家も話し上手の聞き上手、ついでに料理上手の味付け上手であった。宿場によっては、旅人なんて性欲を溜めた飢え猿ぐらいの扱いで床上手だけ与えとけばいくらでも金を落としてくれると思っている場所すらあるそうなのでラッキーだった。

料理上手は本当に上手で、ソルベで食べた傲慢店主の焼いた味だけは良い肉が霞むくらい美味かった。

猟師であるから、フウラが喜ぶ肉メインだ。既に塊で出てきたので何の肉かはわからない。遊び心で、食べるまで聞かないことにした。山生まれの篤哉から見ても、血抜きの痕は文句のつけようもないほど綺麗だった。おそらく一滴も血を地面に落とさずに血管と内臓を抜いたのではないか。

幼い頃道場仲間と、捕らえた猪を解体しようとしたときに飛び出す赤い噴水が顔を直撃したり、馬鹿な奴が消化管を両断して食欲が消え去る臭いにやられたりした思い出がよみがえる。

肉塊を切らずに太い鉄心を刺して火にかける。海賊映画などで見かける、丸焼き料理の風景に似ている。丸焼きではないが、表面の焦げ目が割れて肉汁が垂れてぱちんと弾ける音は何よりのスパイスだ。味付けは塩と胡椒、青葉椒ヒンヌ・バレと呼ばれる特産のペッパーだけ。傲慢店主と違い香草すら使わない。量もわずかだ。

親爺さんと長男が念入りに焼いている間、母娘がキノコと細切れ肉の炒め物を作っていた。こっちは香辛料と塩を投入して、それに何かの乳を入れたコクが深そうなソースで炒めている。

篤哉も自炊はできる、できないと困る環境下の高校生活だったので、焼き方のコツや火の加減の方法(当然だがツマミを回せば加減ができるほど便利なものではない)を聞きながら手伝っていた。篤哉は読書と鍛錬が趣味の貧乏学生だった。美味い飯も好きだが気軽に美味いものを外食できるほどの余裕はなく、実家から届く獣肉や川魚などは何よりのご馳走だった。

そうして食事が並んだ。猟師の中でも余裕がある家庭のようだが、飾ったところがなく手作り感満載の机椅でいただく。


「んんん~!」


フウラが息が詰まったような声を上げる。おいしいと言いたかったのだが口を開くと旨みが逃げ出すような気がして唇が開かなかったのだ。篤哉も、フウラの声が自分の物ではないかと錯覚するくらい舌が歓喜していた。

脂が、濃い。塩も胡椒も調味料であるはずだが、それらが脂の味を調えてるのではなく脂がそれらを整列させているような感覚。感じたことのない刺激は青葉椒のものか。単体で食べると青臭いかもしれないが、むしろ濃い脂に爽やかさを加えることに貢献している。

それから炒め物。シンプルイズベストと言うが、それは決してソースや調味料を貶めるものではない。キノコの、植物にも動物にも出せない深みと薫りが塩っ気のあるソースにマッチしている。キノコは三種類。マイタケっぽいのはわかる。笠が胴とほぼ同じ太さのものと、背の低いずんぐりしたものは見たことがなかった。こちらの世界特有の物であろうか。味付けに使用した塩はエスプローダ産らしい。味は今更述べるまでもない。肉以外に冷たいフウラもキノコを無視せずに食べている。

満腹。旅先で食べた飯の中で間違いなく一番満足できた。それが飯屋でもなく高級宿屋でもなく、ただの猟師の家庭飯であるのだから旅とは面白い。

食後、親爺と息子夫婦がやってきて話し相手をしてくれた。老母はいつも早めに風呂に入るし長風呂なのでその間にと言う事らしい。客に遠慮して日常を崩すことがないその態度がかえって清々しい。

親爺は片手に一升瓶(本当に一升かは不明)を提げて、篤哉にいける口かいと聞いた。


「猟師はな、乾杯じゃなくてほっすて交わすんだ」

「へえ。じゃ、ほっす」

「ほっす……かぁっ!うめえ」

「父さん……お客人、父さんはそこそこ酒癖が悪いから勘弁してくれな」

「いやいや」


酒癖と言えば篤哉の叔父も悪かった。ついでにはとこの勝那も悪かった。

親爺の酒癖はそんな酷いものではなく、むしろ口が滑らかになって話しやすかった。

ここから、話し上手聞き上手が現れる。

適度な好奇心と適度な遠慮。三人とも、おそらく長風呂中の老母も、これがとても上手だった。篤哉もフウラも人に言える部分と言えない部分を腹に納めて旅をしている。その内容は様々あれど旅人とはそんなものだ。そこを時に探って、すっと引く。下手な探り合いはせず、呵々と鷹揚に笑う。もし二度この地を訪れることになったら、絶対にこの家へ厄介になろうと思えた。

話し上手の方もいい。何より、話の内容が面白かった。

チャレスフの中心に山地を構え、その北東に湖を湛えるカヴィネシアとは、大昔この地に君臨した女神の名前だ。陽魔大戦よりもさらに昔、古代生物が徘徊していたころの話だ。

篤哉の興味を惹いたのは、カヴィネシアのつがいとなる神の名前だ。

水神オドルカ。

ワーテルローとチャレスフは大昔夫婦の国だったのである。

この地に伝わる伝承では、とても家庭的な逸話が多く、もともと湖の女神だったカヴィネシアはできれば地上に、多くの生物が目にする場所に二人が夫婦である証を築きたいと山を創った。なのでカヴィネシア山の本当の名称は【カヴィネシア・オドルカ神築山】だ。

その後も興味深い話をたくさん聞かせてくれた。

締めくくりは、親爺が決める。


「旅人さん。ここまで旅をしてきなすったならわかるでしょうが、今チャレスフはちと面倒なことになっとります。でもね、例え王府のお偉方だろうが空間を操る魔王だろうが、カヴィネシア様オドルカ様の教えを守ってりゃ怖いこたないんです」


それは、家族を大事にすること、ただそれだけだ。


「若い二人が旅をなすってる。もしかしたらそういう関係になることもあるかもしれねえ。だが、そうでもそうでなくてもお前さんらは深い絆で結ばれているようだ。お互いを大切にしなせえ。田舎の老人が言えることはそれだけです」


酒が大分回っているようで、目がとろんとしている。酩酊状態で言った言葉は親爺の本心であり、人生の教訓なのだろう。神の言葉なんて信じる気も起きないが、この老人の教訓には深くうなずくしかない。

家の奥からしわがれ声が聞こえる。


「あがったぞ~い。すまんね、長風呂で」

「本当よ!ほら、お客さんも入って。粗末で時々虫が入り込むけどごめんね」


篤哉とフウラは熱々の風呂を満喫した。もちろん一緒に入ったわけではない。親爺の言うようにそういう関係になるときが来るのだろうか。知る由もないが、そうなったら大事にしなければと思う。フウラであろうと、誰であろうと。


殺伐とした旅の中で、一晩の安息を得た二人。

そんな光あり闇ありの旅路も、終着点を間近に控えていた。

カヴィネシア山の奥に、その神気に対抗するような黒々とした人工壁が聳えている。

それは魔王軍から国を守る壁でありながら、魔王城のように見えた。

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