第70話 王都side 昔のライバル

油蝉の合唱がジリリと響く。鼓膜をフライ油で揚げられているような気分になる。

バニリスは息苦しい焦燥を感じながら、やや勇み足で王宮の廊下を歩いていた。

ヒルウィレムに対する調査は一向に進んでいない。才気煥発で、とっつきにくい男だということはわかった。とっつきにくいから知己が少なく、話を聞ける相手にはすべて当たってみたが普請局以上の情報は得られなかった。

バニリスの焦りは、北の地で足を棒にして歩き回っているだろう二人の若者の影響が大きい。既に二人はチャレスフに入っているはずだ。予想以上のスピードで、道中の難題をいくつもクリアしてきたらしい。このままでは、二人が帰って来た時にまだヒルウィレムの尻尾を探している最中ですなんてことになりかねない。それは、年長者としてあってはならない。単純に恥ずかしい。


そう考え事をしていたら、自然と視線が下を向いていく

下城して、城門を渡る手前で誰かとぶつかった。


「失礼しました……」

「は……おや、誰かと思えばバニリス殿ではないかぁ」


耳を舐めるような、嫌な声が聞こえる。どこかで聞き覚えがあったが、男の顔を見ても名前が思い出せなかった。

相手はそれを感じ取ったようで、


「今を時めく経検長様に覚えられてるとは考えていませんよ……けへっ」


舌打ちを堪えるかのように口元を歪めて、粘着に言った。

最後の、痰咳のような短い笑い方で男の素性を思い出した。


「久しぶりだな……フェルトケ」

「ですなぁ」


随分とうまくなったな、と思った。敵愾心を隠すのが、だ。

フェルトケ・ヤムジンというこの男はバニリスが若い頃通っていた私塾の同級生だった。

アジェル王国では子供には五年間の義務教育が課せられる。徹底されているわけではないが、スラムの貧民でもない限り王都民なら五年分の基礎教養はあるはずだ。その上で学びたいことがある者は、国学と呼ばれる王立の学校に通うか、私学と呼ばれる退任した官僚や研究者などが教鞭をとる私塾に通うことになる。

国学はより官僚色が強く、学閥などの面倒な縛りがあるため、瑣少の問題は置いておいて私塾に通っていた。その私塾は男女別で、男子側の成績上位を争っていたのがバニリスとフェルトケだ。勝率はバニリスの方が高く、フェルトケの視線はいつも親の、いや九族の仇でも見るような敵意に満ちていた。

その後バニリスは経済省へ出仕し、フェルトケは内政省で働き始めたと耳にした。

しかし、内政省の主だった役人はただいま宮中で会議中のはずだ。大会議室に札が掛けられていたから間違いない。


「フェルトケ、今はどこに出仕している」

「けへ、経検長先生からすればドベもいい場所ですよ」

「……」

「でもね、これだけははっきりしてます」


口を耳元に持ってきて、火薬のようなにおいがする息を吐きながら言った。


「涜職卿はもう終わりですよぉ。舞い上がる翼につかまって、転落する誰かさんを見るのが楽しみで仕方ないです……けっ」


最後は過去を彷彿とさせる、いや今まで顔を合わせなかった時間の鬱屈を凝縮したような気配を投げつけて、フェルトケは城内に向かった。

バニリスは言われた言葉の真意を考えながら、城門を潜ろうとした。そして、また誰かにぶつかった。考え事をしながら歩くものではない。


「あ、カルテ様」

「……」


登城中の上司、涜職卿であった。相変わらずの仏頂面だ。篤哉とフウラが旅に出てから、一層表情筋の硬さが増したような気がする。老醜と奸佞と忖度しか相手をしてくれず、若者との接触が少ないとこうなってしまう。


「今日は登城日ではないのでは」

「それはお主もだろう」

「は。例の件の調査を進めていて…」

「同じだ……それより、きゃつは何者だ」


やはり、見られていたか。バニリスは簡単に、フェルトケとの縁を説明した。

二人は城門の下で話し合っている。通行の邪魔になりそうなものだが、日差しに焼かれながら話すのは厳しい。それに城門の下は案外広く、立ち話をする者も多いので悪目立ちはしない。


「ただのやっかみかもしれんが、少し探ってみないか。このタイミングで言ってきたということは気になる」

「確かに、何か根拠があって言ったように見受けられました」

「うむ……今は流れに揺蕩う藁を掴む時だ」

「はっ。しかし、あの男は今どこで働いているのやら……」

「それくらいならワシが調べておく」

「お手数をかけます」

「かまわん。腐った老害を相手にするより書類と格闘している方が健康的だ」


ため息は出なかった。息をするのにもエネルギーは必要なのだ。これから更に暑くなる、炎天下で余分なエネルギー消費は抑えたい。軽く会釈して、バニリスは城下に出た。カルテは、一秒も速く日陰に入りたいせかせか歩く疎らな人並に紛れて城内に入った。

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