第69話 イラカに天の慈しみあれ
市長から呼び出しがあった。
クロナではない。前市長ジェネルア・マドレードだ。灰色の髪、口ひげも灰色で、鋭角にV字を描いて折れており、先端は斜め上を針のように鋭くさしている。正面に座る篤哉から見ればW字に見える。
剛毛の質があるようだ。顔も厳しさを臭わせている。真剣な表情のバニリスに渋みと老練さを足したような感じだ。傍には娘のクロナ、更に端に縮こまるようにナルバスが座っている。
「イラカ前市長のジェネルアだ。……馬庭篤哉殿、此度は現市長の勝手な振る舞い、謝罪の言葉もない」
いきなり頭を下げられた。これは、迂闊にいいですよとはいえない。言質を取られるのを防ぐため、事情だけ話してくださいと言う。
「クロナ。お前が判断してやったことだ。お前から説明しなさい」
「わかっているわ。………まずは、これを」
封筒を二つ取り出し、篤哉に渡す。受け取った篤哉は、その封筒にそれぞれバニリスとカルテのサインがあるのを見た。例の、権威の力を借りなければいけなくなった時に使えと渡された書付だ。
「作戦会議の様子を見て、貴方たちはただ物じゃないと思った。害をなす人には見えなかったけど、予断を許さない状況だった。だから、荷物を調べさせてもらったわ……勝手にね」
「……なるほど」
「申し訳ありませんっ!」
米つきバッタのように頭を上げ下げせわしないのはナルバスだ。篤哉は部屋に鍵をかけて出たから、手引きをしたのはナルバスなのだろう。館長なら合鍵くらい持っていても不思議はない。
「王府の関係者とは知らずに、失礼しました……」
高飛車なクロナも、我を殺して頭を下げる。失礼をしたとは思っているが、判断は間違っていなかったと信じている。館長は天慈館を守るのが使命なら、クロナはイラカそのものを守るのが使命だ。そのためならばコソ泥のまねもするし、頭を下げもする。
父親が口を開いた。
「私からも謝罪する……その上で、馬庭殿を話が分かる御仁と思っての言葉だが……娘の判断に間違いなかったと思っている」
「俺も同感です」
「フウラも」
ほっとしたようにジェネルアの険が緩んだ。そのあたりの事情がわからないほど愚かではないし、わかったうえで難癖をつけるほど落ちぶれてもいない。イラカは賢くて美しい指導者に恵まれて安泰だな、と思うだけだ。
「我々としては、ご無礼のお詫びに手伝えることはいくらでも助力させてもらうつもりだ」
ジェネルアは言外に、篤哉たちの密偵活動を支援すると告げた。
「実は、若い男女の二人連れの噂は耳にしていた。イラカはこのような立地で王領、エスプローダ、ワーテルローの三領に接していて交流も多い。外交関係上、他領の情報も入ってきやすい」
「……要は密偵がいるわけか」
「いや、提供者がいる。何せイラカを会合の場に使うのは昔からの習慣だ。その中で懇意になった者から情報を定期的にもらうのだ」
そういった情報網から、奇妙な噂が流れ込んできた。
エスプローダでは有力家臣であったアファ・シーカーが自裁した。
北のワーテルロー、更にその北部の山ではもともときなくさい動きがあると聞いていたが、ごく最近ひと騒動あったそうだ。さらに、当主のラカスは「病気にて急逝」。
そういった騒ぎの陰に、どうも年若い男女の二人連れが関わっていると朧気ながら掴んでいた。
「そして、こうして御身分を知った。知りたいことがあれば聞いてくれ」
そう言われて、篤哉はしばし考えこんだ。聞きたいことは幾らでもある。考えながら、別の脳細胞で、やっぱりこれは無駄な寄り道じゃなかったなと満足していた。
「じゃあまず東側の通行止めの理由を聞こうか」
「ああ、カヴィネシアへ続く道か……あれはヒルウィレム様の命令だ」
「まあそうだろうな。理由はなんだ」
「湖の一部干拓工事をするためだそうだ」
「へえ」
カヴィネシア湖は国境に非常に近接しているようで、工事の妨げになると言って干拓工事をしている最中なのだそうだ。工事の方法は単純で、川を人口で掘って水かさを減らし、防壁工事の作業スペースを増やそうというのだ。
「でも、それならわるいことはしてない。工事に必要なこと」
「いや、どう考えてもおかしな理屈だ。臭うな」
「おかしい?」
「ああ。だって、
「あ」
北の防壁は魔王との戦いにより幾度も破壊されていて、その度に直されている。今までは防壁を作りながら、カヴィネシア湖は取り沙汰されることはなかったのだ。
なのに、今回になって大規模な工事を始めた。何か、裏がある。それを裏付けるような噂をジェネルアが教えてくれた。
「最近難民が多い。大目玉の一味に捕らえられていた中にも難民がいた。その上で、こんな噂を聞いたことがある」
曰く、干拓工事で水を引き込む予定地にあった村の人間が全員追い払われたのだという。抵抗するものは殺されたとか、追い出されたのではなく奴隷に落とされたとか、どこからどこまでが事実なのか不明なほど脚色されているが。
篤哉の脳裏に、防壁の探索をするきっかけになった山越えの男が思い起こされた。男は家族の身を案じていたという。もしかしたら水の底に沈んだ村の住民かもしれない。
「村の名前はわかるか」
「申し訳ない。そこまでは」
「いや、いい。次はな……」
マケリアについても教えてもらった。領主のキロスケルが芸術家肌で、芸術家を名乗る者はそれだけで免税や減税対象になるようだ。その減税分は近隣の村や街へ増税する形で補填するので、お世辞にも名君とは言えないらしい。ただし、酒乱ではあるものの酒と芸術品(紛い物含む)が絡まなければただの調子のいいおじさんで、極悪人というわけでもなさそうだった。ラカスのように特殊性癖もなさそうだ。
「そうだな……後は、ヒルウィレムとヘラ・クスクスについて、知ってることを話してくれ」
ヒルウィレムはマケリア城壁内部の豪華な屋敷で生活している。南西のボゥ・ズレベシャのはずれにある竹林の中に別邸を構えていて、そこで過ごす時間も多いらしい。防壁に近いので、実際の監督業務はそちらを拠点に行うことが多いそうだ。
「それも怪しいな。今までの事を鑑みると、まともに監督が行われてるとは思えない」
「正直、ヒルウィレム様に関してはあまり深入りしないようにしていて、情報はあまりない」
申し訳なさそうに言う。確かに触りたくない相手だろう。黙っていればその内防壁が完成していなくなるのだからわざわざ藪を突いて蛇を怒らせる必要はない。
「それから、ヘラか。姿を見たことはないが、奴の番頭を名乗る男は現れたぞ。怪しげな商売にのらないかと誘われた。突き返したがな」
「わ、私のところにも来ました。気味が悪い笑顔を常に張り付かせた男で、あろうことか天慈館をいかがわしい用途に使わないかなどと……」
憤慨するナルバスから、その男の名前も聞いた。
ジョゼフ・ミナリータ。ヘラの番頭だと言うが、それならば偽名の可能性が高い。帰り際に、手代らしい男に「次はボゥ・ズレベシャか」と呟いていたのをたまたま聞いた。
「ヘラ……次は何を企んでる…」
一刻も早く奴を始末しないと、必要のない落命が一つ一つ、無為に増えてゆく。ただジェネルアであってもヘラが住んでいる場所は見当もつかないそうだ。ただ、イラカでもマケリアでもないことは確からしい。
となると、次の行き先は決まった。
「フウラ。ボゥ・ズレベシャに向かうぞ」
「うんわかった」
それからも三つほど問うて、答えた。
ジェネルアによれば、大目玉の一味には身分が高そうな男が出入りした形跡があるらしい。その男が置き忘れていったであろう薬入れを渡された。上質の革と布でできている。
また、ボゥ・ズレベシャから北に回れば、遠回りにカヴィネシアに向かえるという。そこも封鎖されているであろうが。
「こんなところか」
「……行かれるのか」
「もう少しゆっくりしていってもいいのよ」
意外にもクロナが引き留めるようなことを言った。頬を赤くしている所を見ると本心からの言葉なのだろう。
篤哉とフウラは顔を見合わせ、篤哉の口が開いた。
「ゆっくりはできないな……でも、帰りに立ち寄らせてもらおうか。天慈館は何度見ても飽きないだろうし」
その言葉に、クロナの顔が綻び、ナルバスが子供のように喜んだ。
*****************
支度を済ませ、天慈館を後にする。
十歩歩いたところで振り返ると、見送りに出たナルバスとヘンリー、クロナやフライトの婚約者が手を振っている。
館を出る直前、ナルバスに改めて礼を言われた。フライトの事は心中複雑だが、息子の墓をずっと守り続けてくれた心は嬉しい、だからイラカにあるファンディの墓の側に、フライトの墓もたてるつもりだと言った。
手を振る皆の背後に、後光が差すような天慈館が微笑む。
天慈館は変わらない気品を保っている。これからもっと垢抜けていくのだろう。ナルバスやヘンリー達の努力、クロナ・ジェネルアの後援、市民の支援、ファンディやフライトの遺志によって磨き込まれてい行くのだろう。
イラカに天の慈しみあれ。
そう願わずにいられなかった。
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