第67話 兄弟哀話、柵を斬る

ナルバスの息子、ファンディ・ラストゴルバとフライトは肝胆相照らす仲であった。刎頚之友と言ってもいい。天慈館の再生に燃える彼の熱意に動かされたのはヘンリーだけでなくフライトもそうであった。歳も近かったため、二人が親友関係を築くのは不思議でも何でもない。若者らしく、時に流行に乗り、時に不謹慎な冗談を吐き、時に溢れる情熱を飲み屋で何時間もぶつけ合う。街を歩いて、己の理想を真摯に語り歩く。幕末維新期の若侍のような二人の周りには徐々に人が集まってきた。

ある日、二人は市長に呼び出された。クロナではない。前市長であり、彼女の父親であるジェネルアだ。

緊張の面持ちで、何か叱られるのかとびくびくしている二人の若者に、ジェネルアは仕事を任せたいとだけ言った。

マケリアへ書簡を運ぶという仕事だ。

ジェネルアは、いずれ二人を市が雇うと示したのだ。そうすれば活動もやりやすくなるだろうという配慮と、人望ある若者を後を継がせる娘のために雇っておきたいという親心だ。


帰り道、晴天だった。


「マケリアに行ったのは久しぶりだなぁ」

「だな。市長の使いってことでいい宿屋に泊まれたけど……」

「言いたいことはわかるぜ。天慈館の方が、ってな」

「ちぇっ。したり顔が腹立つな。……まあそうだよ」


眩しいほどに清々しく笑う。つられて皆も笑う。

誰もが温かくなるその笑みの向こうから、暗雲のような悪意が襲ってきた。


笑顔を張りつかせたまま、ファンディの左胸が刳り貫かれた。

【初幕明け】という人攫いの荒っぽいやり方だ。抵抗意識を削ぐため、最初に襲う相手は攫わずに殺害するのだ。

若者に限らず、大抵の人間はこれで腰を抜かす。

だが、今回はその限りで無かった。朋友を奪われた若者は、何も理解せぬまま荒れ狂う。特に、弓の名手と名高いフライトは賊を六人も仕留めた。だが、遠距離武器で無双するには距離が近すぎた。

他の仲間は非武装市民だ。そのために護衛としてフライトがついていたのだが、組み伏せられて弓を奪われてはどうすることもできない。


仲間の二人は抵抗が強すぎたために殺されて、フライトともう一人、縛られて根城に連行された。

床に頭を押さえつけられ、上目で偉そうに頬杖をついて座るビルファスを睨む。

木の実を殻ごと喰らう頭は場に興味がないようで、二人の処置はハン・スーフンが行っていた。


「何だ、たったの二人か」

「面目ねえ。まともに武器も扱えねえ奴らなのに、なぜか抵抗が激しくて……やっちまいました」

「二人か……帰りが大分少ないが、殺されたのか」

「へ、へえ。そいつの矢でさぁ…」


フライトを指さす。フライトという弓の遣い手がいるというのはハンも噂で聞いていた。姓までは知らないが、知る気も無い。呼ぶときに判別がつけば名前でもあだ名でも番号でもいい。


「おい、ガキ。お前の腕はこのまま殺すにゃ惜しいな。どうだ、俺たちの仲間に」

「ふざけるなっ!閻魔に串刺しにされてもお前らの横に並ぶものか」

「なんだと、なめんなっ」


首筋を鋭刃が襲う。血を吹き出したのは、フライトではなく隣にいる仲間だ。

ハンは氷のように冷酷に告げた。


「一晩空いてる小屋に放り込んどけ。逆らうやつがどんな目に遭うか、先輩に教えてもらうんだな」

「ぐぁ、あああ」


賊が手足を抱えて、屠殺場へ送られる野良犬のように喚いて暴れるフライトに、ビルファスはうるせえと叫んで木の実の殻を投げた。



フライトが放り込まれた小屋には、喘息持ちの老爺と、作業中に足を折った青年が寝ていた。青年は怪我のせいで高熱を発していて、明日をも知れない命だった。

老爺も老爺で、歳もあるし、この生活であと何日生きられるかもわからない。


「死んでも生きててもそんなに変わらないですよ……塵扱いという点でね。それでも生きていく方を選んでしまうんだから、人間の執着ってのは悍ましいやら逞しいやら」


諦観して言う老人は、青年が苦し気に呻いたので外に水を汲みに行った。水と言っても、ぼうふらが湧いた水たまりを心ばかりろ過したものである。

フライトは、今夜自決する気だった。

どうせ賊に殺されるのだ。仲間なんぞになるはずなどない。厳しい責めが行われるだろうし、同じように無関係な者を殺害する可能性もある。

どうせ、ファンディのいない世界なんて……そう思えたらどんなに楽か。少し前までならそう思えただろうが、今のフライトには婚約者がいる。彼女の泣き顔を思うと、命を絶つのに一抹の躊躇いを覚える。


それでも死ぬ気だった。今の今までは。

見てしまった。虐げられている人間を見てしまった。老人や病人が、目の前で苦しんでいる。

自分が死んでも、この人たちの状況は変わらない。

だが、生きていれば?

恥を忍んで生きれば、いつか助けられるのではないか?


「……寝るか」


老爺が汲んできた生臭い水を飲み、一緒に全ての躊躇いを飲み下した。


*****************


「俺は賊になった。悪鬼に堕ちた。言い訳はしない。しようがない……でも、人でなくなったとしても、俺は……俺は、目の前で苦しんでいる奴らを見捨てて死ぬ気にはなれなかった!」


杉のようにまっすぐな義侠心が静か鳥を生んだ。矢を放つたびに人の心を喪いながら、それでも虐げられている人のために墓を作って遺体を埋めた。遺体は埋まっていないが、死んでしまったあの日の四人の墓もある。面目ない、と詫びながら事あるごとに花を添えるのだ。


「私たちの今日はフライト様あってのもの…どうか、寛大なご処置を……」

「お、お願いします」


ヘンリーは、心が千々に乱れていた。助命嘆願を振り切って掲げた剣を振り下ろすほどの冷酷さも、理由はどうあれ多くの市民を殺めた罪科を流す寛大さも持ち合わせていなかった。

篤哉もフウラも固唾をのんで見守る。口出しはしない。これは、彼らが決めるべき歩みだ。口を挟む気は毛頭ない。

ないが……


「ふんっ!」


背後で裂帛の気合が聞こえた。

背負った籠から矢を抜いたフライトが、自らの喉仏に突き刺したのだ。助けたかった人々は救われる。尊敬している兄者によって。そう思えば、もう生きている意味もない。婚約者も、自分が帰ったところでどうなるわけでもない、辛い思いをさせるだけだ。

今こそ、罪業を償う時ぞ。


「うう……ぐぼぼ」


致命傷をえられずに呻吟するフライト。

老爺と青年が悲鳴を上げ、兵士たちが息をのむ。

フウラですら涙が浮かぶ目を逸らしている。

篤哉は、何を思ったかヘンリーに抜身の刀を放った。咄嗟に受け取ったが、困惑している。

篤哉が怒鳴る。


「介錯してやれ!こいつのしがらみを斬るのはあんたの仕事だろ!」


弾かれたように、ヘンリーは動いた。

剛剣が唸りを上げて弟の首に落ちる。綺麗な傷口から罪業が溢れだした。咎も科も斬り捨てた。

それはつまり、許してやるぞ、という意思だ。


かたっと刀が手から離れる。立ったまま、肩を震わせる。その慟哭に、老爺と青年の啜り泣きが加わり、それは兵士たちにも伝播した。フウラも目じりの涙を大きくし、湿っぽい風に揺れる露草すら泣いているように見える。


「…………」


落ちた刀を拾い上げ、血振りして納刀する。そのまま固めた拳で、目元を拭う篤哉であった。

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