第66話 静か鳥の正体

賊の首から驟雨のように血流が噴いた。目は喝っと見開かれ、手に握った剣は根元を残して折れている。ヘンリーの櫛剣が圧し折ったのだ。返り血を浴びて、猛り吠える。他の者も負けじと奮戦する。

賊も負けてはいない。特にビルファスは、兵士の頬を殴って砕き、奪った剣で別の兵士の兜ごと頭を縦に割った。その怪力に、たじろぐ兵士。機を見た篤哉が刀を構えて立ち向かう。構えは八双だ。


「癪だぁっ!ぶちのめしてやる」


力任せの掌底が叩きこまれる。洗練されていない野生の攻撃。だが侮れない。躱しても空気圧で吹き飛ばされそうだし、見た目のインパクトからどうしても竦んでしまう。

篤哉は一度全ての情報を忘れて戦いに集中した。見つめるのは憎々しい大きな二つの球体。八双の構えは、やや寝かせた車輪に変わる。

再び腕に力を込めて、ビルファスが拳を突き出す。筋肉が大爆発を起こして膨れ上がる。刀の長さを十分に意識して、身を引きながら薙いだ。


「びぎゃ!」

「よし……」


分厚い手のひらが目を抑える。抑えきれない隙間から、血がどくどく溢れ落ちる。その顔が、怒りと恐怖に染まる。篤哉の切っ先には血の滴が浮いている。


「くそがああぁぁ!」

「遮二無二突きかかっても無駄だ…おりゃ、もう片方も!」


今度は突き刺すように抉る。ぶにゅ、と蒟蒻に包丁を突き立てるのに似た感触が篤哉の手に伝わり、そのままビルファスの視界を奪った。両目から血を流す巨体に、兵士たちが雄たけびを上げて群がる。ハリモグラのように剣を突き立てられ、無残なオブジェと化した。熊も逃げ出すような咆哮を上げ、両腕を旋回して兵士を砂粒のように吹き飛ばす。腹を、胸を腰を背を尻を脚を大小さまざまの刃に刺しぬかれ、それでも仁王像のように立っていた。

ヘンリーが進み出る。剣の櫛がついていないほうを正面に、体重と鎧の重み、それに恨みを載せた重撃を見舞う。

頭が潰れる。頭蓋が割れて眼窪が開き、桃のような眼球が地面に落ちて転がる。身体中に剣が刺さったビルファスはうまく倒れ込むことができずに、座るように死んだ。


「殺ったか……」


誰かが安堵の息をついたとき、甲高い悲鳴が上がる。


「おい、こっちを見やがれぇ!」


賊の一人が、村娘らしい少女を捕まえて首筋にナイフを当てている。


「ふ、ふ、どけ、どけよぉ!王領の民がおめえらのせいで死んじゃぁまずいんじゃねえのか、あ?」


アルコールに侵されたような震える手付きで首筋にあてる。ゆっくりと後ずさりしていると、背中に衝撃を感じた。


「卑怯。死んで」

「がぁ…?」


拘束が緩まり、少女が罠から逃れた兎のように走り出す。地面を舐める賊の骸を踏みながら進むフウラの血に濡れた短剣が暁にきらめいた。

安堵した一同だが、少女の受難はまだ終わらなかった。


「きゃああ!な、なんなの……」

「よくも…よくも……」


最早生き残っているのはハン・スーフンのみだ。ビルファスの死を間際で見ていたハンは、どうにか隙をついて逃げ出せないかと狐目を皿のように円形に近づけて活路を見出していたところ、仲間に拘束されていた少女がこちらへ向かうところであった。草の陰から手を伸ばして、暴れぬように首を絞める。刃物はどこかに落としてしまった。扱いやすいように、首を絞めつけて意識を落とす。


「貴様……無駄な足掻きはやめろ!見苦しい!」

「見苦しかろうがかまわん!泥にまみれても道を外れても、生きたいように生き抜くのが俺たちはぐれ者だ……へ、へ、おい、どけよ…」

「ぐ……」


もう、フウラという隠し玉は使ってしまった。ハンに近づける者はいない。満身創痍ながら、勝ち誇ったように笑う。落石で痛めた左足を庇いながら、犬を払うように兵士たちの囲みを破る。


「覚えてろよな……いつかイラカを火の海にしてやる…じゃあな」


もう手が届かなくなった。篤哉も、同じ人質が二重に捕まるとは考えておらず、歯噛みするしかない。温い朝の風がべとべとして気持ち悪い。

フウラが汗を拭う。その時、温い空気を裂くように鮮烈な風が一陣走った。


「ぎゃあっ!」


その風は、逃げ切れると確信してほくそ笑むハンの首筋を的確に貫く。ハンは少女を放り出し、つくばってのどに刺さった矢を抜き取る。その鏃には見覚えがあった。

矢が飛んできた方向を睨んで、矢をへし折る。憎々し気に、空気が漏れる喉から呟いた。


「ご、ぐぞぉ、静か鳥……うらぎっだが……」


怨嗟の声につられるように、静か鳥と呼ばれる長髪の男が姿を見せる。朝の温気に揺れる気配。男は背籠に矢を六本残し、長弓の藤頭を下に向けて、幽鬼のように歩いてきた。

その姿を見た瞬間、兵士の間に野分のような驚きが走る。

ヘンリーだけは予期していたように、低い声で呟く。


「……矢筋を見た時からまさかとは思っていた………フライト、お前が静か鳥かもしれぬと」

「兄者……面目ない」


静か鳥……イラカの若き星であったフライト・ガルドリオンは、兄の哀しそうな眼を直視することができなかった。でも逸らすこともできずに、黒目を細かく泳がせる。


「聞いても詮無いが……何があったのだ。お前ならば賊なぞに脅されても死を選ぶくらいの潔さはあっただろう」

「俺だって、何度死のうと思ったか……何も聞かずに、処断してくれ。頼む…不出来な弟のたっての頼みだ……兄者」


ヘンリーの唇から赤い筋が垂れる。悔しくて、切なくて、前歯が舌の先端を咬んだのだ。

せめて、最期は兄である俺が……

その思いで櫛剣を掲げる。覚悟の表情で正座するフライトの顎先を剣がさすり、最後に何か言いたいことはないかと問いかける。


「言いたいこと、か。…賊の根城には過酷な扱いを受けて息も絶え絶えの老人や病人がいる。イラカの者じゃないやつもいるが……」


介抱してやってくれ、そう言おうとした。だが、その声は不揃いな、掠れたような声の束に押しつぶされた。


「何者だ!」

「新手の賊か!」


賊ではない。服というか、布を括りつけただけのような酷い格好の一団が、大声で何かを叫んでいる。

ばらばらと先頭の場に駆け寄り、ビルファスやハンの死体を見て歓喜する。その中で、剣を構えたまま固まっているヘンリーに赧顔に向かって老爺と青年が地面に伏して嘆願を始めた。


「ど、どうかお待ちを……ふ、フライト様の命だけは、どうかお赦しください…!」

「僕たちが、何とか生きていられるのはフライト様のお陰なのです…。どうか、助命を……」


地面に頭をこすりつける二人は、昨夜墓場でフライトと話していた二人だ。

ヘンリーは兜に隠れた額に皺を寄せる。


「フライト。事情を離せ……拙者には何もわからん…お前に何があったというのだ……」

「……うぅ」


男泣きに語る彼の言葉に、皆が聞き入る。


「俺が仲間とマケリアに行った帰りに、一味に襲われた……」

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