第65話 理不尽な球体

喧囂、姦しく騒ぎ立てながら陽動隊が四十人ほどのコバンザメを引き連れてイラカへ向かおうとしていた。陽動隊は十四人。少数民族の伝統パレードのようだが、走りながら叫ぶので若干疲労が濃い。


「うひゃひゃひゃ」

「むぬぼぼぼぼぼ」

「おろろろろ」


このあたりの草原は、平地に見えて地下にクモの巣のような抜け道が隠されている。自然のものに賊が手を加えた巣の中に逃げ込めばこっちのもんだ。


草を掻き分けて、自分たちだけがわかる目印を辿って入り口を目指す。月に仄と輝る草の先端を折って走る先にあわただしい音を聞いた。先頭を走っていた男の足が止まる。後続が止まって、


「おい、どうした、ぼーっとすんじゃ……ひぇ」

「ま、待ち伏せか!」


平原にイラカの兵士が守りを固めていた。後ろから追いかける奴らと合わせれば九十はいる。


「多い……多すぎるぜ。これじゃあ本隊を追う人手がいなくなるだろうが……あ」


男たちは気づいた。最初から、陽動隊だけを潰す気なのだと。馬鹿な奴らだ、と嗤う。


「へへへ、一味の力を少しでも減らそうってか。馬鹿野郎、俺らは殺しても無限に湧き出るぼうふらだ。ふへへ」


覚悟を決めた一味が突っかかってきた。目の前に布陣する兵士たち目掛けて、猪の群れのように猛進する。だが、牙が届くことはなかった。猪はもはや袋の鼠、仕掛けられた落とし穴や縄の罠にからめとられて先頭不能になった。相変わらずぎゃあぎゃあ喚く賊を見て、ほとんど動かずに敵を捕らえた篤哉の慧眼に慄いた兵士たちだった。


「マケリアへは絶対に行かせるな。但し、王領への守りは薄くていい。それから、実際の襲撃部隊は三十もいれば十分だ」


作戦会議での発言は信じられないものだった。兵士たちも半信半疑、いや八割疑で待っていたのだが、言葉通り目の前に得物が罠にかかっている。


「こいつらは、後から尋問するために取っておくぞ!箱に押し込めて持ち帰るんだ!それから、ヘンリーさん達の援護のために四十人回せ」

「よし、一から四組まではヘンリーさんの援護に回る。五から七組がこのあたりの警戒を続けて、八組と九組がこいつらをイラカの獄舎に運び込む。おのおの、それでいいか」

「畏まり」


部隊長と筆頭組の一組頭が手早く相談して決めた。賊が見立てた通り、一組十人が九組で、九十人もの大軍を陽動隊が逃げ込むであろう抜け穴だらけの平原に設置していた。詳しい間取りは知らないが抜け穴の存在だけは掴んでいた。ならばそれを利用しないはずはないだろうと考え、逃げ込めないような大軍を置いたのだ。必然的に賊本隊が走る王領間際に割く人員が少なくなるが、もはや篤哉の策の失敗を疑う気持ちは残っていなかった。


*****************


喚きながら走る陽動隊とは違い、本隊と殿隊はできる限り静かに進んでいた。騒いでは陽動の意味がないので当然の話だ。

後ろを金魚の糞のように追いかける兵士群の気配が疎らになったことを察知したハンは、戦は地の利と度胸の総合値が勝利の秘訣よ、とイラカの無能を嘲笑った。ビルファスの大目玉は雨上がりの夜天に渦巻く雲のように濁っていて、黒目は墨汁のように、白目は竈の灰のようで、それがわずかにぬめっと光る。


「おお……」


本隊が片側が急斜面の細い道に通りかかって、ハンは一つ悪戯を思いついた。腕を伸ばし、スキルの呪文詠唱を始める。


「泥湖の鯰は湧泡を喰らう。水無き岩辺に山神の導き……【液状化リクエファクト】!」


背後の斜面の上の方に、地盤が緩む魔法をかけておく。殿が通り過ぎ、息を乱して必死に走る兵士たちは土石流に呑まれて生き埋めになるに違いない。


「ま、殿の一人や二人、巻き込まれるかもしれねえが……誤差だよな」


この男も、相当な計算センスをしている。

見上げる斜面の地層が、波のように靡いて歪み、徐々に滑り出すのが見えた。その下を、何も気づかずに殿が走る。予定より少し遅れ気味だ。


「鈍間。どんくせえ奴はどうせ死ぬんだ。埋もれろ、馬鹿」


殿を任せられるような、使い捨てになる下っ端だ。このご時世、半端者、ならず者くらいどこででも手に入る。

思うほど大きな音もたてずに、怪物が幾人もの人間を丸のみにした。


「はんっ!」

「終わったか……戻るか」


ビルファスが根城に戻ろうとするのを、愛想笑いを浮かべながら留める。


「一度王領へずらかった方が賢明です。へへ、命第一でさ」

「土が飲み込んだじゃねえか」

「いえ、念のため」

「だが、稼業の方はどうする」

「なあに、人攫いは人がいる場所でならどこでも成り立ちますよ」

「そうか。そうだな。あの方にせかされてんだ、王領で一気に十人くらいできねえかな」

「落ち延びてから考えますよ」


そう言って、未だ収まらぬ、土や石が斜面を擦る音に酔いしれる。随分と長く続く。いや、徐々に大きくなっていく……


「は……?」


何かがおかしい。殿を飲み込んだ場所の地面は土砂が積もるだけだけ堆積して微動もしない。だが、ずぞぞぞぞ、と恐ろしい低い音は響いていた。同じくらいの煩さで心臓が鳴る。

からっ。

小石が枯れ木にぶつかる乾いた音がした。

一秒後、ハンたちがいる場所目掛けて、斜面が崩れ落ちてきた。鵯越の逆落としの騎馬群のように、急峻な斜面を駆け下りる真っ黒な波。賊は訳が分からないまま押しつぶされる。


「な、なん…」


二の句を継ぐ前に、第二波が襲う。斜面を巨大な岩が転がり落ちてきた。落石の計だ。ここにきて、斜面の上で待ち伏せしていた者がいることを察知した。魔法も使わないのに、土砂崩れや落石がぽんぽん起きてたまるか。


「くそ、馬鹿にしやがって……うおぅ!」


左足の甲を岩が掠めて膝をつきそうになる。更に、岩の破片が飛来して頬を浅く切った。何かと思えば、ビルファスが鬼の形相で岩を砕き散らしている。


「走れ!細い道から抜けるぞ。開けた空間に出ればこっちのもんだ……な」


またもや言い終わる前に波が来た。いや、今度は波ではない。雨だ、雨が降り始めた。但し、水の雨ではない。硬く鋭い鏃の雨だ。肉皮を刺して裂き、二次的に血の雨を降らす。俄雨が熄む頃には両足で立っている賊は片手で数えられる数になっていた。


ある者は肩を掴みあい、ある者は這いずって、細道の先にある開けた場所へ出ようとする。そこへ行けばもう王領だ。イラカの奴らは手が出せない。


あと少し、あと少し。


「出たぜ!………へ?」


狐目が今までになく吊り上がる。ビルファスの目玉も、黒目まで燃え上がりそうなほど怒りに燃えている。


「ど、どういうことだ……お前ら、王領で揉め事起こしてタダで済むと思ってんのか」

「ばーか」


呆れたように肩をすくめて、少年が姿を見せた。篤哉だ。


「お前がハン・スーフンか。土砂崩れか、死体を隠す手間が無くて便利ではあるな……マケイアで戦闘を起こしちゃまずいけど、しな」

「うぐぅ……」

「どうした?十八番を奪われて悔しいか?……策士気取りは策に溺れて死ぬもんだ」

「ちいっ」


がっちりした鎧を身に纏ったヘンリーが前に進み出た。白み始めた空に響く錆の利いた声を張り上げる。


「非道なる大目玉の一味よ!長き間、イラカの民を苦しめ虐げた罪、ヘンリー・ガルドリオンが悉く裁いてくれる!神妙に首と化せ!」

「そう言われて誰が神妙にするか!やっちまえ!」


長年の恨みを爆発させるイラカの兵。

何としてでも生き延びて再び面白く暮らしたいと刃物を振るう賊徒。

ヘンリーに認められてより多額の報酬を得ようとはりきる傭兵。

戦闘には加わらず周囲の警戒に暗躍するフウラ。

そして、篤哉は作戦会議の様子を思い出していた。


*****************


「馬鹿な、王領付近で、しかもマケイアの管轄内で事を起こそうとは!」


何を言っているのだ、とヘンリーが声を荒げる。


「まあ聞け。マケイアで戦闘を起こしちゃいけないのは重々承知済みだ」

「なら…!」

「だが、相手の数が多すぎるんだ。どこで戦うにしてもまずはある程度削っていかないといけない」

「どうやって…」


ヘンリーもクロナも、戦闘には参加しないナルバスまでが身を乗り出してくる。


「まず、賊も逃げる時は分かれて逃げるだろう。その時、絶対にマケイアに近づくような逃げ方をさせたくない。マケイア側にはダミーの明かりをたくさん置いて実際以上の兵士数に見せるんだ」

「それで…?」

「となると逃げるのは北のイラカか、西の王領だ。イラカ方向に逃げる可能性はあるのか?」

「ああ。この草原には地下に間道が無数にあってな……」

「ならここに大軍を設置しよう」


地図上の、草原のある場所に大きな駒を置いた。更に小さな駒を取って、根城から逃げた賊を誘導するやり方を説明する。


「追いかけながら、少しずつ人員を外してこの斜面の上に回すんだ。いいな、一気に行くなよ……あくまで、疲労して追いつけなくなった体だ」

「そうか…!その上から奇襲を」

「矢を降らせば大打撃を与えられますね」


ヘンリーとナルバスが理解したようにうなずく。篤哉は薄く笑いながら、それもするが、と前置きして言った。


「その前に、奴らを埋めるぞ……土石流の下にな」

「な……」


絶句。そんな雰囲気など雑草のように無視して続ける。


「それで半分は片付くはずだ。それから、最終決戦は王領で行う」

「それはなら」

「大丈夫だ。他人の領内でドンパチやるのは侵害に当たるかもだがな」


王領ならば少し話は違ってくる。王領は、王家直轄という意味と同時に公領でもある。貴族のように縄張り意識が強いわけではないので、そこへ逃げ込んだ賊徒を討伐したとなれば、むしろ褒美がもらえるかもしれない。他家の領や管轄違いなら縄張りやプライドが邪魔をするが、相手が王家になると格が違い過ぎてそういった次元の話は湧かないのだ。


そう言って皆を説得したが、篤哉には、最悪問題になったらカルテにかばってもらおうと考えていた。経済大臣ならばその程度の問題に口を挟むのは簡単なはずだ。


「これが俺の作戦なんだが、どうだ?無理にとは言わないけどな」


疑うような、探るような空気が充満したが、表立って異議を唱える者はいなかった。


*****************


左目が、星のように巨大な眼球を捉える。たくさんの人を泣かせた、理不尽な球体。


「大目玉のビルファス。その達磨顔を叩き斬ってやる……」

「うるせええぇ!俺の!邪魔をするやつぁ!捻りつぶす!」


夜明けを迎えた領境に、怒りと怒りが火花を散らして激突した。

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