第63話 熱帯夜と殲滅作戦
日中はそうでもなかったのに、陽が落ちると気が変わったように蒸し暑くなった。篤哉は手扇で仰ぎながら、勇者のスキルと涼風を発するスキルを交換できないか考えていた。冗談じゃなく暑い。天慈館が地獄の釜の湯気で蒸されているのかと思ってしまう。今度クラナドに祈ってみようか………どこか見覚えのある二頭身の老爺に笑われた気がした。
「あつい」
「言われずともわかってる」
「さむい」
「そう言ったから涼しくなるもんじゃないぞ」
「……あつぅい」
フウラはベッドの上でシメに入る前の鍋の白菜の様にぐでぐでと横になっている。元々品薄気味の乙女の恥じらいを床に放り捨てて、下着同然の格好で魘されるようにあつい、あついと繰り返していた。
「服は着たほうがいいんじゃないか」
「あつや。…………あつい」
「知ってる」
「この暑さで大目玉の一味が全員焼け死んだりしないかな」
「そうなればいいけどな……期待はしないでおこう」
真っ向から笑えないくらいに、暑いのだ。篤哉は知る由もないが、この熱波は大陸中、いや世界中を襲っており、人々は魔王の侵略の前兆なのではないかと戦慄していた。人間、眠い時に眠れないとネガティブな思考になるものだ。亜人もしかり。
「あつやは平気そう。あつくないの」
「そりゃ暑い。でもまぁ、耐えられないほどじゃないか」
フウラが感心したように目を見張るが、上州の山間部で幼少期を過ごした篤哉にとって猛暑と空っ風は幼馴染みたいなものだ。現東京では火事も喧嘩も目立たないが、篤哉の周囲ではかかあ天下を空っ風がびゅうびゅう吹いていた。そのせいで冬は肌が鮫のように粟立つし、盆地部にある友人の家に遊びに行ったときは巨大な蒸し風呂に入ったような暑気にやられたものだ。篤哉も幼少期は遊びに行くくらいの友人がいたのである。
「ただ、流石に寝付けそうにないな」
「うん。それに……」
暑さだけではない。今日はあまりにも重い話を聞き過ぎた。一応、馬庭篤哉は一月前までは一般高校生で修羅場とは無縁の生活を送っていたのだし、密偵歴が長いフウラも十五の少女である。カルテやキリカ、バニリスにセルビアなど温情ある環境に恵まれたフウラは捻じ曲がることがなく、それ故にむごたらしい話に心を痛めている。また、その純粋さこそが石橋の前で三年待つような慎重派かつ猜疑心の強いカルテに全幅の信頼を置かれる所以だ。他の密偵には心を許していない。
「ま、睡眠は体が求めてるときに摂るもんだろ」
「そうだね」
その後も池の底から湧き出る泡のような会話をぽこぽこしていると、眠気が温覚に勝ってくるようになった。篤哉とフウラは示し合わせたようにベッドに倒れ込み、浅い眠りについた。
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「大目玉一味殲滅作戦を始めるわ。ガルドリオン、進行をお願い」
「畏まり申した」
本当はクロナ自身が司会進行を司りたいのだが、篤哉が見抜いたように荒事の知識はまるでない。はっきり言うと邪魔なので、そしてそれを理解しているので、ヘンリーに委任した。大仕事にあまり関われないのは悔しいが、一番大切なのは市民の安全と未来を守ることだ。父からも、矜持に勝るものは民の安寧のみと
「一同、これが現在の一味の根城と周辺の地形図だ」
正方形の机にほぼ収まる形で広げられた紙に、山がちな地形に隠れた根城が書かれていた。
「こっちゃが根城を掴んでると、向っきゃは知っているのけ?」
「間違いなく知っているだろう。知っていて、手を出せぬと高をくくっている」
「そうけ」
先日いた訛りの強い男だ。この部屋にいるのは篤哉を含め傭兵から代表三人、ヘンリーとクロナ、市長配下の軍から一名、さらに強い希望があってナルバスも出席している。ヘンリーが作戦の条件を改めて説明した。
「マケリアの管轄内で戦闘を起こしてはいけない。他領に逃してはいけない。可能な限り全員を討ち取る、ないし捕縛したい。最悪雑魚の一人くらいならいいが、ビルファス、ハン・スーフン、そして……静か鳥の三人は何があっても討ち漏らしてはならん。生かしてしまえば必ず
それから、いかにイラカの方角へ誘い込むかを話し合った。
「この道を塞いでここで挟撃すれば」
「いや、この坂を登れば広い空間に出てしまう」
「なら、この細い道に押し込んで」
「ハン・スーフンが怖いな……岩を落とされたらひとたまりもない」
「くそっ。かといって広い空間で野戦に持ち込んだら倍の数でも逃げられちまう」
こちらには賊を殺す理由があるが、向こう側には戦う理由があるわけではないのだ。襲ってきたら逃げればいいだけで、逃げ場はすぐ近くにいくらでも存在する。
こんな意見も出た。発案者は例の訛り男だ。
「な。誘き出す
「というと?」
「マケリアに怒られなきゃえーんだろ?なら根城で寝てるところをおそってよ、漏らさず
「それは無理だ。根城内では攫われた市民や旅人が囚われている。人質に取られて身動きが取れなくなればおしまいだ」
訛り男の案はヘンリーも考えたことがあるようで、悔し気な表情で却下した。
「他に誰か、意見はないか?断片的なものでもいい」
皆が頭を捻り喉から唸りを出す中、ふふっと爽やかな笑い声をあげた者がいた。その場のほぼ全員の目がその発声源、フウラを見た。フウラはその「ほぼ」の例外、馬庭篤哉を指さして満足げに言う。
「あつやが何か思いついたみたい」
これまでの付き合いで、篤哉が紙を前に考え事をする際の癖を知った。左目の視線が紙の上を縦横無尽に駆けずり回り。右目はとりわけ重要な場所……この場合は一味の根城を見つめる。そして、いい手段を思いつくと右目と左目が同じ場所を見つめるのだ。
「……ここだ。ここに誘い込もう」
「な……」
皆が絶句する。クロナも非難がましい目で見てくる。篤哉が指さしたのは、マケリアの管轄内、しかも少し移動すれば王領に駆けこめる場所だったからだ。
不信感が募る中、篤哉は悠々と自策を披露した。フウラだけが、新作の手品を見るような心持で聞いていた。
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