第62話 麦と橘花の薫り
大目玉のビルファスの眼球の魁夷ぶりは、奇妙とか不自然とかそういう可愛いものではない。篤哉の眇も初対面相手には違和感、ともすれば不快感を与えかねないが、ビルファスの眼球は悪相を通り越した奇貌だ。観相では、大きな眼球は自己肯定や猛進の気を表すという。
「拙者は直接見たことはない。遠目に見た者は、遠目に見たからこそその場違いな大きさが目についたと」
「少女漫画みたいな感じか……目の中に星とか浮いてたらやだな」
「なんだそれは」
「いや。だけど、そんな特徴があるなら見分けが楽そうだ」
「それはその通りだ。……賊の数はおおよそ六十。こちらはクロナ様を総大将、拙者を戦闘指揮官とした百三十余の軍勢だ」
数では圧倒的に有利。だが地の利で負けているうえに一人も逃がしてはならないという厳しい縛り付きのミッションだ。
「火責めでもするか?」
「マケリアが怒鳴り込んでくるぞ」
「……けど、六十の人間を漏らさないように誘導して余さず倒すとなると……」
「明日、考えようではないか。ここで頭をひねっても役に立つことはない」
「だな。二人じゃ文殊の知恵も出てこない」
「だからなんだそれは……今のは少し意味が分かるような気も」
それから、館長が恐ろし気に言っていたビルファスの参謀と狙撃手の名も聞いた。
参謀はハン・スーフン。狙撃手の本名はわからないが【静か鳥】のあだ名がつけられている。影を薄めて獲物を狙う猛禽のごとく潜み、鏑矢を放つ。矢による狙撃は最近になって起こり始めたので、新参として雇われた野良犬であろうと言った。
(………?)
静か鳥の話題の時、ヘンリーの言葉の端っこにわずかな苦みが感じられた。規模は違うが、その味はさっきクロナが話している際に感じた違和と似ている気がした。コーヒーカップの底の残渣のような味もすぐに消え、説明はなおも続く。
「ハン・スーフンは参謀などといわれているが、要は地理感に優れた指揮官だ。初歩ながら魔法を嗜んでな、土や岩を操る」
ビルファスと真逆の細く小さい狐目の男で、鴉の羽をむしって作った悪趣味な帽子を愛用しているという。
「無慈悲な男だ。雨の日に奴らの一部隊と市長配下の兵士が戦闘になった時、魔法で土砂崩れを起こして全員生き埋めにした。敵も獲物も、味方すら顧みぬ没義道よ」
黒い唇を歪めて吐き捨てる。暗い夕陽の陰が、復讐心の表れのように見えた。
突然篤哉の手が刀の柄に触れた。視線を動かさずに背後の扉に問いかける。
「誰だ」
「ひぃ!あ、いや、く、クロナ様が篤哉様とフウラ様をお連れしろと……お取込み中申し訳ありませんっ」
「そうか。悪かった……」
扉を開けて来たのはショートボブの女性。人間と接して三日目のリスの様におどおどした瞳で三人の様子をうかがっている。フウラはポケットにドングリか入っているのを思い出した。あげたら喜ぶかな。
「ねえ」
「案内してくれ。その、威圧してすまんかった」
苦笑いしながら謝る。警戒は解けないようだが、こちらですと先導役は果たしてくれた。これでいい。怖がられている相手には安心させようとして必要以上に声をかけるとかえって不信感を与えてしまう。彼女はクロナに言われてきただけなのだから、それだけさっさと果たさせてあげるべきだ。それに、クロナは待たせると怒りそうだし。
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「遅いわよ!」
「予想通り」
「うん。安心」
開口一番、叱責が飛び出た。予想していたので怯むことはない。言い訳も考えてきた。
「ナルバス館長にあっちこっち連れまわされてて」
「そうだろうと思ったわ。熱意は良いけど状況を考えてもらわないと……私は何分も待ってられる暇な身じゃないの」
「その割には机の上に紅茶とビスケットが」
可愛い黄色の液体と、オレンジがかった茶色の菓子が机の上に置いてあった。フウラはおにくでもないのにごくりと唾をのんだ。
「……おひとつどうぞ」
「わいろ」
「甘いものがないと生きていけないのよ。知ってるでしょう」
「聞いたことがないな」
折角なのでさくりといってみた。麦の薫りが強い鄙びたバーリークッキーだ。紅茶は橘花の爽やかな甘い香りがする。クッキーがそれほど甘くないので飲みやすい。かなり美味しいし健康にもよさそうだが、菓子パーティーをするために呼ばれたわけではない。クロナはソーサーの横に積まれた紙の山の一番上から二枚持ってきた。さくさくつまみながら書類に目を通していたところのようだ。
「契約書よ。日当でこれだけ、賊を討ち取った暁には十日分の日当と活躍に応じた手当てを出すわ。活躍を判断するのはヘンリーよ」
「わかった」
「明日作戦を立てて、決行は遠くないわ。日当だけもらってそこそこ稼ごうなんて考えないことね」
「念入りなこった。了解」
篤哉としてもだらだら過ごすつもりはない。人攫いの裏に潜むモノを知り、館長の息子やヘンリーの弟の仇を討つ。その上でクロナにマケリアや防壁工事の状況を聞き出す算段だ。
「契約成立ね」
「何だ、普通の雇用契約書なんだな。よくわからん血文字とか書くかと思った」
「どうしてただの契約に魔導召喚の血印を押すのよ……」
血文字の契約はとんでもない事のようで、邪教の宣教師を見るような目で見られた。団結の血判くらいの思ったのだが、軽々しく口にはすまいと反省した。
「……ねえ。ラストゴルバ館長の息子やガルドリオンの弟の話は聞いたのかしら」
「……ああ。大目玉に襲われたって」
「彼らだけじゃないわ。何人も殺されて、連れ去られて、牛や馬みたいに売られていった。………さっき迎えに行かせた娘。ヘンリーの弟と婚約していたの」
「そんな」
酷い話だ。人攫いが攫うのはその場にいる人間だけではない。家庭、幸せ、夢、まとめて盗んでどぶ川に放り捨てていく所業だ。どぶ川の下流で、流れてきた幸せや夢だったものを吸い上げて腹を満たす輩がいる。その下流が王都なのだとしたら、カルテに伝えて掃除してもらわねば。
「失敗は許されないわ。……よろしくね」
高飛車で、精一杯虚勢を張って務めを果たそうとする優しい市長の言葉に、力強くうなずく。閉められた扉の裏側から、気弱そうな啜り泣きの声が聞こえた。
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