第61話 館長の誇り
天慈館は四階建ての中央会館、立ち合いを披露した道場を含む武道館(貴劉館という名がある)、三色立翅が鮮やかに鱗粉を散らす花園(これも「天使蝶の箱庭」という名がつけられている)、警邏隊や館員が宿泊する宿直所、空調の管理や機材の保管庫、そして中央会館の奥の扉から行ける場所に特別な会議が行われる特別会館(二つ名はない)がある。
まっすぐ案内するという言葉はどこへやら、しゃべり好きな案内人は
「ちょっと寄り道しませんか、いいからいいから」
「ああ、天慈館に来たらあの部屋は見なきゃいけませんよ!ほら」
「庭を見てください、あの棕櫚は今は亡きハッブス老人が植えたものなんですよ。あれほど腕を持ちながら、王都の商人の招聘を断って天慈館の抱え職人になってくれましてねえ。それほどの魅力がこの館にあるのかとおもうと嬉しいものです」
よくそこまで舌が回るものだ、と感心してしまう。元々滑舌は良いので聞き取りにくくはない。風車の羽のようにぺらぺら回る舌を見ているとこちらまで目をまわしそうだ。
「愛って、すごい」
「だな」
「この館がここまで美しくなるまで、多くの人々の協力があったのですよ」
そう語る老人の顔には、誇らしさの中に針で突かれたような痛みが見え隠れした。声を落として、幾分かスローペースで語りだす。
「十五年前の天慈館は、荒れていました。ここを使わなければいけない会議がそうそうあるわけではないですし、あの頃は一般市民と距離がありました」
「へえ」
「これだけの規模の施設を維持する費用にも困って、普段使われない部屋は掃除も行き届かず展示品は埃塗れでして。館長の私もやる気をなくしていました……」
いつしか施設管理もおろそかになり、館員も仕事をしなくなった中で、ただ一人床を拭き窓を磨いている青年がいた。
「私の息子ですよ。遅く生まれた一人っ子でして……あの時はまだ十七でした」
「同い年、か」
「そうなのですか。……篤哉殿にはどこか息子と通ずるものを感じます」
「ふうん。息子さんを知らないから何も言えないけどな……今は何をしてるんだ?」
「………もう、いません」
痛切に顔に皺が寄る。体が一回り縮んだように見えた。腑抜けになった父親に代わって天慈館を守り抜こうとした息子。直向きな姿に、最初に心を動かされたのは、当時から警邏隊に勤めていた若き日のヘンリーだ。ヘンリーたち館内の警邏隊は街中の自衛団も務めていた。その巡回中に、会館の利用客を増やす地道な宣伝や、清掃を行うボランティアを募った。
「若者の力は無限です。私たち老醜がもうだめだと放り出したことをやり遂げましたよ」
日に日に美しくなり、利用する方も増えてきた館を見て、ナルバス達も本気で館を守ろうと動き出した時、悲劇が襲った。所用でマケリアに言っていた息子たちが、帰り際に人攫い一味に襲われたのだ。五人連れだったが、三人は激しく抵抗したため命を落とした。遺体の中に、天慈館館長のバッジをつけたものがあって天慈館は、イラカの街は大切なものを一つ失ったことを知った。
ナルバスはバッジを握りしめて臆面もなく泣き叫んだ。その隣には警邏隊隊長となったヘンリーもいて、毒虫を齧ったような苦い顔で歯軋りしている。ヘンリーの弟も警護役として付いていた。息をせず横たわる三人の中には入っていないが、連れ去られた先でどのような扱いを受けているか考えるだけでも悍ましい。
ナルバスは、一度譲った館長の座に再度就いた。天慈館は息子そのものだ。住民の心のよりどころであり、無くてはならないものだ。絶対に守り抜く。その決意に、館員も街の住民も、市長率いる市議会も一致団結した。息子が望んだ、人の心と心が通じ合う館、それが実現した。
「私はね、この天慈館を、それこそ天まで照らすような立派な城にしなければならないのです。私は、息子を誇ります。息子が愛したこの館を、心から愛しているんです」
「……本当に美しい建物だと思う。きっと息子さんも綺麗な心の持ち主だったんだろうな」
「うん。それに、館長も」
「…ずずっ。いけませんな、これ以上続けてはみっともないことになりそうです……こちらが宿直所ですよ」
中央会館よりずっと質素な、変わらぬ愛護を受けた建物が目の前にあった。中に入ると、いくつかの扉が開いていて笑い声やジョッキを乾杯する音が聞こえてくる。
「篤哉殿の部屋はこちらでよろしいですかな」
「別に構わんけど、個室でいいのか?」
他人の荷物や生活形跡がない部屋を見て、少し気後れする。
「いいのですよ。部屋は空いていますし、たくさん使ってくれた方が嬉しいですから。ははははっ……ええと、フウラさんの部屋は」
「フウラはあつやと一緒」
ナルバスは一瞬固まった後、良いのかという目で確認を取る。篤哉は別に構わないぞ、と肩を上げた。今更気にすることでもないのだ。
「突き当りに風呂場、その手前左にお手洗いがあるので、お使い下さい。あ、食事は隣に食堂があるので一度外に出てか立ち寄ってください。王都とは一味違う、アンデルセン風の料理を御覧に入れますよ。あっはは」
「そりゃ楽しみだ」
「おにく」
そういえば腹が減った。自慢の料理とやらで胃の腑を満たすのはもう少し後だ。他の部屋に軽く挨拶を済ませた篤哉たちは、再び外に出て中央会館の前で右折し、警邏隊が詰めるという部屋に案内された。
「さっきも言ったように警邏隊は町の自警団も兼ねていましてね。どうしても市長が統率する兵士だけでは領内に手が回らないのですよ」
感謝してもしたりません、と言いながら叩扉した。
「ヘンリーさん!篤哉殿をお連れしましたぞ!」
「入ってくれ!」
稽古着から着替えた警備隊の制服の袖から銅色の手が覗く、ヘンリーが快活な笑顔で迎えてくれた。ナルバスはいずれゆっくり案内させてくださいと言い残して中央会館へ戻っていった。
「短い付き合いになるだろうが、死線を共に踏むのだ。まずはよろしく頼もうか」
「そうだな」
がっちりと握手を交わす。左肩の動きが少しだけぎこちない。篤哉の刺突の後遺症だ。
「やりすぎたか?」
「侮ってくれるな。明日になれば元に戻る。……いい一撃だったぞ。何より、安易にスキルに頼ろうとしない姿勢が気に入った」
「ああ……」
そういえばスキルなんてものもあった。魔物退治ではなく、生死をかけた戦いでもない道場稽古でスキルを使うという発想は湧かなかった。もちろんスキルも己の力には違いないのだが、ヘンリーの目にはそれが剛毅と好感触に映ったらしい。
「では、今まで確認できている賊の情報を伝える……」
語り始めるヘンリーの声にはどこか空恐ろしい怒りが乗っているように思えた。
(弟が攫われたんだったな。館長の息子も無残に殺されて……)
皆、人攫いの暴虐に苦しめられている。その後ろには大きな汚い影が巣食っていて、そういう者が我が物顔で世の中を堂々と歩いているのだ。本当に大事にされなければいけない人間を踏みつけながら。
篤哉もフウラも、この仕事を寄り道とは思わなかった。
夏を控える季節の斜陽が窓から差し込み、フウラの肌から汗の雫が一粒落ちた。
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