第60話 ヘンリーとの立ち合い

ヘンリーが選んだ武器は日本ではなかなか目にすることのない物であった。篤哉の脇差より三寸ほど長い刃区。【櫛剣ソードスティーラー】と呼ばれる。その名の通り刃に櫛のような刻み込みがあり、そこに相手の刃を絡ませて武器を奪うことができる。力が強ければ圧し折ることもできるので、ソードブレイカーと呼ばれる場合もある。一方、浅くない刻みが無数にあるのだから強度には無理があり、細心の手入れと確かな受け流しの技術が欠かせない。下手をすれば絡ませるどころか折られかねないからだ。


「……」


殺し合いの場ではないのでヘンリーは刃引刀、篤哉は木刀だ。それでも両者の意識は一挙一動が一秒後の生死を決める刀槍の次元に在った。ヘンリーは老練さと純朴さが混じった曇りない瞳を半分閉じて、こちらを見ている。見ているのは篤哉ではなく、篤哉が出す剣気だ。篤哉はヘンリーではなく彼が持つ櫛刀を見ていた。


「……ぉ」


誰かが息をのむ。体調不良者が出そうな熱気が一転し、緊張の波が空気を乾かす。声を出すものはいない。覇気にやられてクロナが一歩よろめいた。それが間合いを斬る切っ掛けだ。


がぁん!


堅木と金属がぶつかる音が鈍く発され、二人が絡み合った。


「む?」


ヘンリーは不思議な感覚を知る。篤哉の木刀は櫛の枝に食い込んで、こちらの意のままのはずだ。しかし、なぜかわからないがまるで自分の剣が篤哉に盗まれてしまったような、奇妙な感じ。押し込めばその力だけ退いて、力を緩めればわずかに押し込まれる。絡んでいるどころか膠で固めたようにがっちりと食いついている。


「むううん!」


膠を力技で引き剥がそうと乱暴に払ったヘンリー。当然、篤哉はその行動を予知していた。否、誘っていた。片足で勢いを殺し、跳ねてヘンリーの顎を狙う。


「ううっ!」

「かっ」


外れた。本能で篤哉の切っ先を払ったのだ。耳すれすれを掠めて空を流れた。篤哉は腕に重い負荷を感じた。


「つうっ……鍔元で弾くのか。重いぜ」

「これほどの実力とは……これが畳水練けいこでよかったと思う」


二人は笑う。稽古場で対峙する者特有の、どこか獣臭い笑い。だが、普段は腹立たしい篤哉の笑顔がフウラにはとても気持ちいいものに見えた。


再び剣戟の間境が消える。両者の刃が触れるかと思いきや、篤哉が重心を捻ってすれ違った。

止まることなく反転する。両者、突きの姿勢だ。ヘンリーは剣を絡めとることを諦め、胸板を突くことにした。篤哉も両手で柄がへこむほどの握力で握りしめて繰り出す。


寸余寸劫の差で、篤哉の切っ先がヘンリーの左肩を突いた。銅像のような体が吹き飛ぶ。顔は苦痛に歪んでいるが、その裏には大きな満足が描かれていた。吹き飛ばされても剣を離さなかったのは流石としか言いようがない。急なことで審判も決めていなかったが、誰が勝者かなど聞くも愚かな問いであった。


「参り申した」


深々と頭を下げる。篤哉もそれに対する。どさっ、と音がした。緊張が切れたクロナが尻もちをついたのだ。彼女を笑う者はいなかった。ワイヤーが故障したように、見物人たちの足が折れて地面に尻を落ち着けるのであった。


*****************


「馬庭篤哉。フウラ・ベリル。イラカ市長の権限を持って貴方たちを臨時雇用するわ。内容は近所を荒らしまわる人攫いの討伐」

「やっぱりか」


人攫いの多い土地である。ケリウィズの切株の山賊もそうだし、エスプローダの騒ぎにこの始末。一連の誘拐組織には裏があるとしか思えない。篤哉はエスプローダでベンジャミンから聞いた話を思い出した。篦角党にベンジャミン、彼らの攫った人間を仕入れる得意先が存在していた。本名も人相も知られていない謎の人物で、ベンジャミンは【旋風つむじの受け皿】と呼んでいた。「旋風」とは人攫いの別称。その戦果を持っていく受取先がその人物だ。商人とも貴族とも役人ともつかないその男。その男の上にも黒幕がいるらしく、事態は複雑に縺れ合って白く錯綜していた。


「今まで手を出さなかったのは、一味の根城がマケイアの管轄にあるからよ」


口惜しそうに言う。警察署ややくざの縄張りと同じで、管轄を侵すと後々面倒な因縁が生まれる。ならばマケイアに依頼して討伐してもらおうとした。だが、黒い壁の中でのほほんとしている都民は管轄の端にある賊を討伐する労力を惜しみつつ、かといって縄張りを荒らされるのを良しとせず。石像に話しているかのように話が通じず、遂に独力で奴らを排除することにした。


「マケイアに侵食するのは仕方がないわ。でも、討ち取る主戦場はイラカの管轄内でやらなければいけないわ」

「それで、人手が足りないっちゅーこっけす」


やや訛りの強い、ずんぐりした男が言う。この場には既に雇われていた傭兵が数名いる。端で黙座しているヘンリーの横に座っている恰幅のいい老人は天慈館館長のナルバス・ラストゴルバだ。


「なるほどな。身軽な賊をうまく誘い込むには密度の高い包囲網が必要か」

「そうよ。間違っても他領に逃げ込まれたら手が出せない」


マケイアは何を考えているのだろうか。いや、考えてなどいないのだろう。周囲が防壁工事に躍起になる中、マケイアだけは最初から防壁に守られているのだから。防壁は外からのの砲撃や戦炎を防ぐが、同時に悲鳴や助けを求める乞いすらも塞いでしまう。空しい話だが、だからと言って壁を崩せともいえない。結局自分の身は自分で守るしかないのだ。


「賊の頭はわかってるわ。ビスファル。通称【大目玉】のビスファルよ」

「おおめだま?」


フウラが目をかっと開いた。クロナがくすっと笑って、そんなものじゃないわと言った。


「顔の半分を目玉が占めてるような怪物よ。そのせいか脳みそはあってないようなものだけれど」

「ふうん」

「ただ視力は抜群にいいし、悪辣な参謀と恐ろしい腕の狙撃手を抱えているから気を付けて」

「……クロナ、案外いい人」

「うるさいわよ。案外は余計よ」

「じゃあ、いい人」

「………ふん」


篤哉は心温まるやり取りを聞きながら、一瞬感じた違和感の正体を探っていた。ビスファルの話をしている間、異様な雰囲気を感じたのだ。部屋の中にいる誰かが、殺気に似た、もしくは呻吟のような、押し殺した感情を漏れさせていた。篤哉は左目を動かしてその源を探ったが、掴めなかった。


「今日は会館の宿泊スペースに泊まりなさい。案内はラストコルバ館長、お願いできるかしら」

「もちろん!まずはやはり三階の郷土……」

「観光客じゃないのよ。どうせ短い付き合いなのだし無駄なことはしないで」

「ははは、短い付き合い、出会いを最高の娯楽として提供する環境、それが会館ですぞ」

「……」


困ったものね、と首を振る。篤哉が宿泊スペースを見ているうちに契約条件をまとめてくるとのことだ。個人の活躍に合わせた歩合制だが、その基準と最低給金だけは決めておくという。傭兵だというのに案外福利厚生もしっかりしている。


「明日の作戦会議のために、ガルドリオンから賊の詳しい情報を聞いておいて。……解散していいわ」


傭兵たちは真っ先に部屋を出て、続いて館長が腰を抱えながら出ていく。その後に続く篤哉とフウラ。後ろから野太い声がかかる。


「館長!拙者はちと用事がある。一通り案内し終わったら篤哉殿を拙者の部屋まで案内してもらいたい」

「ほ。わかったよ。さぁて、篤哉様。フウラ様。隅から隅までお連れしたいところですけどね、それでは市長に叱られてしまいます。それこそ「大目玉」ですな。わははは」


うきうきで、手を引かんばかりに先導する。おもちゃを自慢する学童のようで、この館のことが心から好きなんだとわかる。


「お嬢ちゃん、あの壁紙の模様はなぁ」

「この部屋は隣国アンデルセンの職人と合同で」


過ぎし六月の雨の様に止むことのない蘊蓄を浴びながら、篤哉の思考はやはり先ほどの違和感に立ち戻るのだった。

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