第59話 イラカ市長と天慈館

木の薫り高い洒落た室内に、ちゃりんちゃりんと小粋な金属音が響く。壁際、髭を生やした男性の肖像画の下に飾られた不思議な小物が立てる音だ。水飲み鳥の頭が分裂してメトロノームのように右に左に振れていて折り返すたびに錫杖が鳴るようないい音を立てる。フウラの風鈴とは違った気持ちよさだ。


改めて、捕り物騒ぎがひと段落してから案内された室内を左目で見回す。ビルの地下にある喫茶店のように落ち着いた雰囲気で木の薫りとわずかに焚かれた香が気持ちの昂りを抑えてくれる。フウラもリラックスして、うーんと大きな伸びをしている。

足音がした。飴色の扉が開き、女性が現れた。


「待たせたわね」


女性はつかつかと二人の方へ歩いてきて一礼した。気の強さを示す切れ長の目が向けられる。髪は鳶色、服装や髪留めを見るに一般市民ではなさそうだ。二人の前に腰を下ろしながら、女性は名乗った。


「イラカ市長のクロナ・マドレードよ。今回は賊の捕縛に協力してくれて感謝するわ」

「どうも」


口調もややきつめで、上からの物言いだ。まあ上の立場なのは違いないし女性が地位を占めるにはこういった態度が必要なのだろう。最後には感謝を述べるあたり人が好い。


(そういえばイリュザはうまくやってるか……)


「ただの腕に覚えのある旅人だって話だけど……怪しいわね。でもそんなことはどうでもいいの。どうせ外国から流れてきた冒険者か何かでしょうけど」

「冒険者?そんなのあるのか」

「何、知らないの?」


異世界のお約束ともいうべき冒険者。篤哉は触れたことがないが、世界的に活躍する職業である。魔物退治から商人の護衛、時に国の依頼で動くこともある。だが、冒険者もそれを支援管理するギルドもアジェル国内には存在しない。というより、清月教を信仰する三国に存在しないのだ。アジェルは召喚により勇者人口がどこの国よりも多いので、魔物退治の他に大規模な賊徒討伐や謀反人の粛清などを命じることがある。南にはフィベリアとセグメントの二国があるが、フィベリアはクラナドの加護を誇る屈強な神殿兵が守っているので平和が保たれている。それが神殿兵や神官司祭の傲慢を募らせているともいえる。双子王が治めるセグメントは清月教が禁止するギルドを設立するわけにいかず、苦肉の策で半官半民の警備会社を設立して国内重要箇所の警備は社員に任せ、後は町や群ごとに自警団を組織させるという不完全なやり方をとっている。当然治安はよくない。双子王はフィベリアに教義を改めるように願い続けているが進展はない。そんな清月の国々にも、外国から冒険者が流れてくることはある。彼らは「よろずや」や「傭兵」の形で活動するのだ。


この時の篤哉はその存在を知らず、ただ曖昧に頷いただけだった。クロナは深く聞くことなく、着いてきなさいと言って立ち上がった。篤哉とフウラも着いていく。部屋を出て扉を閉める。ちゃりん、と軽快な音が聞こえた。


「随分と洒落た建物だな」

「……口の利き方に気をつけなさい。私はイラカを束ねる立場にあるのよ」

「それは相すみませんでした。以後気をつけますゆえ平にご容赦願いたく」

「元のままで結構よ」


篤哉の敬語の毒性というか、信じられないほど神経を逆なでする口調に秒で音を上げた。いつものことだ。


「あつやはあつやが一番」


名言風に呟いてうんうん頷いているフウラ。クロナがフウラの声を聞いたのはこれが初だが、なんとなく理解してしまった。篤哉も自覚がないわけではないので苦笑いしている。


「……それで、ここの事よね。ここはイラカの会館【天慈館】よ。ここは他領の領主や重鎮、時には王府からの使者との公式会談の場になるわ。落ち着いた環境で話し合えるように細心の工夫が施されているの」

「なるほど。で、俺らは王族でも重鎮でもないんだがどうしてここにいるんだ?」

「仮にも「会館」よ。大切な会議が連日あるわけないじゃない。普段は一般市民にも開放されているわ」

「ふーん」

「ほんとう。庭でご飯食べてる人がいる」


窓の外をみたフウラが言った。それでも連れてこられた理由がわからない。わざわざ市長が訪ねてきた理由も。


「貴方たち、腕利きなのよね」

「うん」

「へえ、随分と自信家ね」

「えっへん」

「褒めてないだろ。いや褒めてるのか」


だが、そんな事を聞くというからには腕を借りたいということだろう。冒険者かとそれとなく聞いてきたのも雇うことを念頭に入れてか。


「で、俺らの腕でやってほしいことってやっぱ」

「慌てないで。賊を三、四人倒しただけでは信用できないわ。貴方たちの腕を見極めたい」

「ふーん。あんたに見極められるほどの覚えがあるのか」


クロナの体は武道家のものではない。シックなドレスを膨らませる胸はキリカと同等レベルに立派で、腹や二の腕は太ってはないが弾力がありそうな若い脂がのっている。歳は二十代前半あたりだろうか。抱きしめればぎゅむっといい感触がありそうな、非常に魅力的な姿態だ。だが、フウラの体を見ればわかるように、武術を嗜んでいれば余計な肉はつかないものだ。乳房は個人差があるが、腕や脚の艶めかしさはいかんともしがたい。


「そうね。そもそも私はお父様から任された仕事で忙しいの。魔法には適性がなかったし棒切れを振り回している時間はなかったわ」

「そりゃいい。時間も無いのに生半可に修行して、腕を上げたと勘違いしてる奴よりよっぽどいい」

「何様よ。貴方に褒められる謂れはないわ」


そう言いつつも表情から少し険が抜けた。褒められることに慣れていないのか、褒められた箇所が意外だったのか。


(しかし、お父様から任された、か。やっぱ市長って言っても全権を保持してるわけじゃないんだな。当然か)


「着いたわ。ここが練兵場よ」

「へえ。会館の設備にしちゃかなり豪華だな」


広い。日本でも公民館に体育館があるが、その中でも大きめのやつと同じくらいの広さだ。中からは鋭い掛け声や激しい打擲音、歓声や痛みに呻く声、更に汗臭さを含む熱気が溢れている。篤哉は道場を思い出して気が引き締まった。

クロナが臭いに額に皺を寄せて中に入ると、稽古の手が止まって一斉に挨拶された。


「これは、市長!こんにちは!」

「巡察ですか?ご苦労様です」

「もしかして、俺が送った手紙の返事を持ってきてくれたんですか?」

「あぁ!お前抜け駆けしやがったな!最近どうもそわそわしてると思ったら」


美人市長の人気は高いようで、室温が更に上昇した。病弱な人間なら一瞬で熱中症になるかもしれない。


「巡察ではないわ。手紙?いちいち返事を書くわけないでしょう。文字が汚いのはいいからせめて誤字は気をつけなさい。他人へ送る文書としてなってないわよ」


皆の声に一応反応を返す。


「ていうか手紙、読みはしたんだな」

「うるさいわよ。大事な内容かもしれないじゃない。暑苦しいポエムだったけど」

「あつや、あれはツンデレっていうの?」

「どこから拾ってきた。……素直にああいう性格なんじゃないか?ツンデレはもうすこしわざとらしい」

「何を訳の分からないことを言っているのよ。……ああ、ガルドリオン!来なさい」


探していた人物が見つかったようで、篤哉たちと引き合わされた。四十前後の熟成された闘気を放つ、見るからに猛者とわかる男だ。クロナが簡単に事情を話す。

赤銅色の肌を汗で煌めかせ、男は篤哉を見た。


「話は理解した。拙者は天慈館警邏隊長を任ぜられているヘンリー・ガルドリオンだ。市長は拙者とお手前の手合わせを見たいと仰られた。受ける気はあるか?」

「受けよう」


ふむ。首肯するように顎を引いたヘンリーは武器が置かれている壁際へ案内してくれた。周囲の若者たちが不安げにささやく声を聞けば、篤哉のような子供が相手をできるほどの技倆ではないようだ。ヘンリー自身は篤哉を舐める素振りも無く得物を手に取った。


篤哉も長尺の木刀を手に試合の場へ。防壁の探索から脱線しまくっているが、この際気にするまい。目の前のことを一つ一つ片づけていけば、えらぶべき選択も明らかになるだろう。


何より、久しぶりのこの、「道場稽古」の雰囲気に篤哉は高揚感を覚えて強者を前に構えるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る