第58話 一握の砂とクシティガルバ
フウラと合流し、ワーテルロー領からチャレスフ領へ入ってから三時間半ほど歩いた。道は砂利道だ。ワーテルローの砂利より細かくてさらさらしている。星砂と呼ぶほどでもないが、しゃがんで掌で掬えば指の隙間や手皿の縁から零れ落ちていく。風も無いのに斜めに落ちる砂を眺めるフウラ。
「頬に伝う涙拭わず一握の……砂を示しし人を忘れず」
「?どうしたの」
心配そうに声をかけてきた。一握りの砂……たかが知れた人生の価値。ぎゅっと握りしめるほど想いに反して零れ落ちて風に殺される。傷だらけの歌人、石川啄木の哀歌だ。人生への悲観ならば右に出る者はいない究極のネガティブマン。揺れる砂を見ただけでその歌を口にしたのは、奴隷への惨い扱いを目にしたから。未だ顔を合わせたこともないが、篤哉はこの旅の中で必ずヘラ・クスクスを斬ると決めていた。憎しみはない。義憤でもない。自身でもうまく形容できない、ただ斬らねばという思いだけが巌として心の湖中に沈んでいた。
(それから、あの白い布の魔物……)
いずれ相対することになるだろう。絡みつく布を捌けるのか。それ以前に、奴は何者なのか。魔物なのだから魔王軍の手先と考えるのが順当だ。しかし、篤哉はそれとは別の繋がりが存在すると感じていた。木箱の山での口ぶりから、篤哉たちを嗾けて邪魔者を葬ったのは確かだ。ラカス、メルクライ、シュフーヴァ。まず間違いなく鉱山の密採に関係していただろう。ヒルウィレムか、ヘラか。いや、その二人も癒着しているかもしれない。人員を仕込む奴隷商人と人員含め防壁沿い全てを監視するヒルウィレム。形はどうあれ二人の距離が近いことは間違いない。
ふと、肩に柔らかい衝撃を感じた。フウラの小さな手があやすようにぽんぽんと叩いている。
「難しい顔してる。考えるのは大事だけど無理し過ぎは良くない」
「別に無理はしてな」
「あつやが考えこんで答えが出ないなら今は答えが出ない。無理はよくない」
考えても答えは出ない……まだ領内に入ったばかりなのだ。その道の先輩の助言には素直に従うことにしよう。篤哉は思考を放棄してまっすぐ前を向いた。六百メートルほど先に十字の分かれ道がある。もう二十キロほど歩いただろうか。四時間足らずで二十キロ。十分な健脚だが篤哉とフウラにしてはスローペースと言える。チャレスフは広い。訪れるべき場所も多い。無暗に走っても徒に疲れるだけだ。
十字の交差点に着いた。風雨に耐えた貫禄ある
南下してきた篤哉から向いて左手がイラカへの道、右手がカヴィネシア湖へつながる道、まっすぐ進めば首都マケイアだ。
「カヴィネシア?なんだそりゃ」
「確か、国境近くにある大きな湖」
「へぇ」
「領内のまんなかにカヴィネシア山地がある。その麓にあるはず」
「また山か。変な鉱石は取れないよな」
「うん。鉱山じゃない。地元では神聖視されてて、年に二回だけ山の生き物を半日間狩っていいことになってる。王都で限定で出回るけど野羊のおにくは頭がとけるくらいおいしい」
「ふーん。山を神聖視か。御嶽山とか桜島みたいなもんか」
アニミズム全開の日本人も、やはり大きな山には特別神秘を感じていたようであちこちに霊峰と名の付く山が転がっている。篤哉のふるさと上州にある浅間山もそうだ。いくら背伸びしても届かないうえ地滑りや噴火で畏怖の対象となりやすいのだ。カヴィネシアにもそういう謂れがあるのか。
「湖も神聖なものなんだろうな」
「知らない。湖にはおさかなしかいないから」
「お魚にも興味をもってやれよ……」
「死んだ魚みたいな目が気持ち悪い」
「俺はダイヤみたいにキラキラした目の魚のほうが嫌だな」
篤哉としては少し湖を拝んでみたい気持ちが大きい。右手へ歩きだすと、向かいから馬に乗った商人と連れ、馬子の三人が来る。なぜか憮然と肩を落として悄気ている。馬上の男が、湖へ向かう篤哉たちを目にとめた。
「おや、防壁へ向かわれるのですか」
「いや、湖まで。神聖だと評判のようなので」
「……どちらにしても無駄ですよ。少し行ったところに立ち入り禁止の札が出ていて、防壁にも湖にも近寄れませんよ」
「立ち入り禁止?どうして」
「わかりません。目つきの悪い兵士に居丈高に怒鳴られて引き返すしかないんですよ……折角商売になると思ったんですけどね。仕方ないからイラカへでも行って少しでも捌きますよ」
「あ、待ってくれ。その通行禁止は誰の命令なんだ」
「札に書いてあった名前は、確か……そう、ロベルト・フィレンツ」
どこかで聞いた名前だ。確かヒルウィレムの配下だったか。蹄音を鳴らしてイラカへ向かう商人たち。篤哉とフウラは顔を見合わせて、彼らの後を追うように引き換えした。十字交差点に戻ると、木の導の側に小さな石像を見つけた。
「あれ、これは」
二頭身の柔和な微笑みを浮かべる老爺の像だ。知っているものと顔立ちは違うが、道祖神、いわゆるお地蔵様だ。ぱぁんと適当な拍手でお祈りする。信心はないが、まかり間違って利益が流れ込んでくるかもしれない。お地蔵さまは、そんな下心はお見通しだと言わんばかりに微笑んでいる。
「どっちに行くの」
「イラカだな。首都に入るのは領内の情報をある程度知ってからだ」
「うん」
再び歩き出す。既に時刻は十四時を過ぎ、汗ばむほどに気温が高い。本格的に夏の気配を感じる。
「八月までには王都に戻れてるといいんだけどな」
「うん。八月は大きな夏祭りがあるから」
「行きたいのか」
「毎年行ってる。……あつやも興味ある?」
「祭りねぇ……興味はあっても縁がないな」
あえて言うならば子供の時に悪ガキ同士で泥を投げあう泥祭りをやったことがある。はとこの勝那の泥玉が側頭にぶち込まれて首が飛ぶかというあの感覚は覚えている。あと、止めに入った父や伯父がいつの間にか半裸になって参加していたことも覚えている。あまり思い出したくないが。
「行く?」
「行けたらな」
「行けるようにしよう。あつやと廻りたいから」
「そうだな………ッ」
ふと前方から感じた空気に篤哉が顔をしかめて柄頭に掌を添えた。フウラもただならぬ気配を感じたらしい。馬の嘶きと哀願の声が聞こえる。何かと思えば、馬に乗った男が四人、後方から迫る集団に追われている。
「おらぁどきやがれえええ」
「邪魔だぁぁぁっ!」
馬上で鉈を振り回して通行人を押しのける。人通りがそこまで多くないのでいいが、迷惑な奴らだ。追う側も叫んでいる。
「誰かそいつを止めろぉ!捕縛に貢献すれば必ず褒章があるぞ!」
「近隣を騒がせる人攫いの一味だ!逃がすなぁぁ!」
「あつや」
指示する間もなく、フウラの手から光が放たれる。陽光を一瞬反射し、爪先が馬上の男の目や手綱を握る手の甲を貫いた。篤哉が走る。血相を変えて暴れる手負いの獣を殴りつけ、投げ飛ばして組み伏せる。四人とも鉈を無駄に大きく振るので簡単に懐に入ることができた。フウラが常人並の速度で追いつくころには四人の男は砂の地面に伸びていた。昂奮した馬がひひぃぃんと啼き、呆気にとられていた通行人の間から拍手が沸き起こった。
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