第11話 瞞しの太陽

「今更だけど、魔王って何なんだ?」


宵の街を歩きながら篤哉は問う。既に城門を出ており、高級官僚や国認の大商人の屋敷が軒を並べる住宅街をカルテと話しながら歩いている。

心地よい涼風が顔を撫でてすれ違う。

神殿や王宮の、息が苦しくなるような圧迫感から逃れ、思わず深呼吸をしたくなる、すがすがしい気持ちだ。今後のことを考えると無邪気にはなれないが、それでも外の空気はおいしい。


「本当に今更だな。お主が気にすることでもないが、歩きながらの雑談には悪くない」


数時間前に、神殿の大広間で勇者たちが受けた説明を、篤哉は聞くことになった。


「魔王の起源は、清月教の成り立ちとも深くかかわりがある……」







清月教が崇めるのは月の神クラナド、彼女を主神とした神々である。

清月教が興るのはおよそ二百三十年前、それは初代魔王の活動時期でもある。


そもそも、それ以前に人々の信仰の対象となっていたのはクラナドのつがいである太陽神セトであった。

永久に消えることのない炎の翼を振るい、毎日太陽を空に掲げて動かし、世界中に光と熱を与えてくれる。

セトの太陽の光には、魔物を弱らせる効果があり、その恩恵のお陰で魔物は日のあたる場所では活動しないのだ。

日が落ち、夜になるとセトの加護は一旦消え、クラナドの支配下となる。

月光には退魔の効果はないが、代わりに癒しの効果があり、夜に寝て朝起きると前日の疲労が取れすっきりしているのはその加護だと信じられている。

ちなみにクラナドは禁酒の神でもある。二日酔いは、クラナドが酒嫌いで夜中に酒気を帯びる者には加護を与えないから起きる現象だと考えられているのだ。



「へえ、旦那さんが酒乱だったのかもな。太陽神て無茶苦茶飲みそうだし」

「知らぬ。そもそも、最近は普通に夜通しで飲み倒す輩も多いと聞く。ゴージェスタなんぞは、飲むだけ飲んで勘定は踏み倒す厄介者だと聞いた」

「一番飲んじゃいけねえやつじゃんか。……まあ、敬虔けいけんに禁酒するような性格ならあんな体形にはならんだろうな」



太陽。神を象徴する天体は人間、否、日光のもとで生活する種族にとって最大の恩恵であった。

一方、魔族、魔物にしてみれば生活を大幅に制限する恨めしい光の塊で、怨嗟の対象であった。


その怨嗟が爆発したのが、二百三十四年前に勃発した【陽魔大戦】である。

きっかけは、魔族が今も歴史に誇る、大賢者の誕生だった。


彼は、神の祝福を受けぬ魔族の生まれでありながら、神をも凌ぐ魔力と知性の持ち主であった。

永きにわたる太陽の縛めを断ち切るため、彼は研究と実験に没頭した。

目指すは太陽神セトの誅殺。

セトを弑すれば魔族の繁栄は約束される。

ただし、彼の計画はその程度のものではなかった。

その「計画」のために、有り余る知能に禁忌の力まで加えて練り上げた。

万全を持して当時の三大国家【太陽の国】レンデミナ、【大地の支配者】バルフレア大陸国、【不滅の光】パラディノス聖騎王国に総攻撃を仕掛けた。

その時すでに魔族は、計画に全てを賭けていた。負ければ魔族は永遠に日の目を見ることはない。


一方、人間を中心とした連合はどこか弛緩していた。

人間は、太陽神の加護を驕り。

長耳エルフ】は、精霊の守護に依存し。

土小人ドワーフ】は、鍛冶神に頼り。

狐狼ケルベル】は、自らの爪を過信した。


彼は【フェデルの牢】と呼ばれる世界で唯一魔族のみで構成された絶海の孤島から檄を飛ばし、全世界の魔族はそれに呼応、死に物狂いで戦った。


まずは、アグニス大陸北東を支配しセト信仰の総本山であるレンデミナを強襲した。

想像を絶する熾烈な戦であった。

レンデミナが誇る国軍【灼熱】は、火竜の炎の前に焦げて散った。

偶像を投げ捨てて逃げ惑う司祭を、壊虎の牙が食いちぎった。

野戦の総司令官であった王弟は、骸食いの栄養となった。

レンデミナは、野戦で悉く大敗し、籠城に持ち込むことになる。

城とはすなわち教会、太陽信仰の最大の聖域でありセトの加護が最も強い場所。

勢いに乗った魔族と雖も、紅の陽光を放つ城には近づくことすら難しかった。


包囲三日目のこと。

城を囲み三度目の昇陽を迎える。長引く包囲に戦意は下降し始め昂奮により感じなかった太陽の痛みを覚え始める兵士も多くなった。

その日、太陽が頭上に昇りきるか、といったその時である。



太陽が突如元の軌道をなぞって下降し始めた。

何者かに引きずられるように、太陽は地面に吸い寄せられ、地平の彼方に消えた。

夜明けから五時間しか経ていないにもかかわらず、夜がやってきた。

空に浮かぶ月が、クラナドの驚きを示すかのように歪んでいる。


魔族も城内も混乱で慌てていたが、間もなく更に奇妙な事件が起こる。

沈んだ太陽が、再び昇ってきたのだ。

色も、輝きも、熱も、大きさも、全て変わらぬその球塊。

ただし、それには退魔の力……セトの加護だけが、抜け落ちていた。


加護を失った太陽のもと、魔族軍は総攻撃を仕掛け、遂に落城した。

慌てたのはレンデミナの南に位置するパラディノスだ。

隆盛を誇る盟友国の早すぎる侵略に、急いで迎撃態勢を整えたが、深くまで食い込まれて危殆に陥った。


アグニス大陸から海をはさむバルフレア大陸。

太陽の堕落に、大陸全土を支配する大陸国も右往左往していた。

各地で活性化する魔族の侵略・掠奪活動。

領土が広大なだけに、統率が取れず裏切り者・亡命者も続出する。


三大国だけではない。世界各地が、血と骸と漿液と涙に染まる未曽有の大戦争が繰り広げられる。


頭上に輝く【瞞しの太陽】。

この計画を一から練り上げ、見事に成し遂げた天に祝福されぬ天才。


その名を、ピロテルミア・グローテ。

【錬陽の魔賢者】とも呼ばれる、初代魔王である。


魔族が世界を蹂躙する中、基本的に地上に関与しないはずの神は、ここで動き始めた。


現世に顕現せし太陽神セト。

対峙するは初代魔王グローテ。


その戦いは次元の壁を破り、異空間に飲み込まれて行われた。

その間、地上では戦いは行われない。

征服者も、被征服者も、己の主の勝利を信じ、祈るのみであった。


祈り続けること三年間。

レンデミナ、輝ける太陽の国であった廃国。その凋落の始まりである戦闘が行われた【暁の平原】。

そこから見上げる空に、次元の穴が出現し、何か二つの物体を放り出した。

魔族も人間も、近くに滞在していた者はこぞって見物に駆け寄る。


平原の中部に落ちていたのは。



永遠の炎を宿しているはずの、燻る翼と。

魔王が愛用していた、紅蓮石が埋め込まれた両手杖の残骸であった。



「あ、相討ち………」


誰が言った言葉かわからない。

長年信じ続けた神も、全ての希望を託した傑物も逝ってしまった。


双方、競り合いを続ける気力は喪ってしまった。


それからも日下の路を歩くことが可能になった魔族は増長したが、セトもこの世界に保険を残していた。





******************




「それが、勇者ってことか」

「そうだ。セト神は、魔王との戦いの前に自らの力の一部を与えた分身を百体地上に残してきた。勇者の始祖だ」


その後二百年以上の星霜の間、幾度も魔王は生まれ、勇者に退けられている。

戦いで死んだり後継ぎが生まれなかったりで、断絶した血筋もあり今では六十家くらいにまで減っているそうである。


「ふうん。そりゃ、またまた大変な相手だな。初代の後の魔王も強いのか?」

「うむ。それぞれ毛色が違うが、総じて強大な力を有している。当代の魔王は空間を操り意のままにする能力を持つ」


【八象限の外眼】ウォーズベラ・フィルグリア。空間の八象限を管理する、三次元の存在ながら九象限に居る者。


「うわ、あいつらそんなの相手にすんのか。いまいち強さがわからんけど、ご愁傷様だな」


背後に控えるであろう神殿に向かい、不謹慎に手を打つ篤哉。


「今はあちらのことは考えるな。厄介な敵を相手にしているのは、こちらも同じだ」

「そうなんだよな。魔王討伐と鼠駆除が同列ってのも皮肉だが」


苦々しく呟く篤哉。同感だ、とばかりに額の皺を動かすカルテ。

辺りは既に宵闇と月光が支配し、後は誰かの邸宅の門照火が不知火のように揺れてい

るだけだ。


「んで、太陽が侵された結果、月を崇めて太陽を貶すようになった訳だ」

「そういう事だ。清月教のようにクラナドをセトに代わる主神におくのは例外的で、多くの国は太陽はこのままでいいから魔族を根絶やしにする、というのが主流だ」

「まだ建設的な考え方だな。物を忌んで呪詛を唱えるだけじゃなんの意味もないからな」

「全くだ。それでも宗教らしく人心の支えになるのなら文句はないが。実態は先程話した通りだ」

「どの八百屋を見ても腐った果物しか置いてない、か。こりゃ浄化も大変だ……そういえば」


篤哉は、神話について詳しく尋ねようと思ったが、その前にカルテが立ち止まった。


「ここがワシの館だ。どうした、口を開けとらんで入れ」

「あ、ああ」


門を潜る。

ディスハーバー邸を始めて見た時の、私兵の感想は。



「おお、流石に大臣の家は規模が違うなあ。しらみと同衾する必要はなさそうだ、良かった」

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