第7話 また逢う日まで

晩夏は穏やかに流れてゆく。


8月16日。

今日だけは二人の家で、二人っきりで過ごそう。

お前の好きな酒を呑み、

学生時代の、研修時代の、二人で過ごした時間を懐かしがってもいいだろう?

ずっと一緒にいてくれないか。


『一緒にいるよ、ずっと一緒にいるからね』


庭の桜の木が見える部屋の中。

俺の背中にあいつがぴったりと重なっている。


甘い気配が満ちて俺はいっそ胸の音があいつに聞こえてしまえばいいと思っていた。

俯いて黙ってしまう・・・もっと話していたいのに

時間がないんだ、時間がもっともっとほしい。


俺の気持ちを察したんだろう。

颯真は柔らかく微笑んで俺の髪に指を入れてくちづける。


『─── ね、祐希。俺はほら、ここで抱いててあげるから、少し昼寝しよ。疲れたよね、ゆっくりお休み』


胸も身体も甘さで満たされる。

いつも、毎夜そうしてお前の愛情に包まれて幸せだったあの日々のように。


でも別れの時はどうしても ───

来てしまうんだ。



今日の太陽は西のビル群に沈んだ。

さわさわと葉が重なり濃い木陰のできた桜の木の下に座る。

二人で。


ほうろく皿には白い麻片が静かに灯る。

近くで蝉が短く、鳴く。


颯真から贈られた銀色の指輪は俺の左手薬指に。

首のネックレスには俺が贈った颯真の指輪。


俺は胸元の鎖から指輪をはずし、

目の前で微笑んでいる颯真の左手にその指輪を重ねた。


『ありがとう、祐希』


「俺はまだまだ・・・なのか」


『そうだね。だって祐希はいずれ ────

そうなんでしょう?』


「─── お前に隠し事はできないな」


『僻地医療。本当は二人でやりたかったことだもの』


「お前とやり残したことは俺がすべきことだろう」


『うん。見ているよ。

ずっとここでみている、一緒に』


颯真は祐希の頬に、肩に、胸に


『ここだよ』


と言いながら掌を置いてゆく。


儚いほどの手の重みすら感じないことの寂しさ。

でもそれを凌駕する深い愛情が颯真が触れたところから広がる。



ざぁっと葉がすれの音が鳴る。

風は夜を連れてくる。


マーマレード色の空に夜のとばりが降りる。

時が近づいてきたのか。


俺は寒くもないのに肩を震わせた。

独りは、怖い ─── 寒いんだ。


目の前の炎が小さく瞬く、

それは別れの合図。


『全力で守るよ。いつもここにいる。

俺を感じていて。 それが祐希を守るんだ』


「でもっ・・・でも俺はあの日にお前の側にいたのに!お前を守れなかっ ──」


『・・・しぃ ─── ほら、しいっ・・・

落ち着いて祐希、ね、お願いだよ』


「颯・・・」


『俺は高校で初めて会ったあの日から、

ずっとあなただけ』


「ま、待ってくれ颯真、まだ・・・!」


『本当はね、もっとずっと昔から ──

あなただ・・・・・・け』


「頼む、お願いだから、もう少し!

もう少しだけそばに・・・!」


『祐希の傍にいて、その瞬間まで

あなたの近くにいて ──── 幸せで ──』


「俺にはお前しかいないのに・・颯真!」


『祐希を愛したこと、すべての愛をもらったことが俺のプライド』


「・・・プ ── ライド・・?・・・・」


『俺の可愛い、きれいなきれいな祐希。

俺の愛はすべてあなただけのもの。

次も、その次も永久トコシエに』


世界中で一番好きな人に、誰より愛された誇りで輝やいた笑顔を見せて手を握ると。


急な突風に空色のシャツの裾が風に乱れた瞬間、

亜麻色の髪はジャムのような深い飴色に変わった。


祐希の目の前で桜の花びらを従えた颯真は上弦の月のかかる空に静かに溶けて、


ゆっくりと夜空に満ちた。



手の中にあったはずの颯真のマリッジリングは祐希の胸元で揺れている。


桜の木がさわさわと耳許に囁く。


あの人の声が耳朶を撫でる。

花びらになったあの人の唇から口づけが降る。


ひとりじゃない。

昔も今も、これからもずっと一緒だ。


『約束するよ ── 約束だよ ─── 』


「── 約束する。

来年もこの桜の木の下で、颯真」



盆恋詩

end



最後までご高覧いただき、ありがとうございました。


香鳥




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盆恋詩《ぼんれんか》 香鳥 @katomin

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