第5話 8月14日

苦手な夏だが昨夜は夢を見ることなくぐっすり眠ってしまってらしい。


昨日は夕方に庭に出て迎え火を焚いて、

それから ───


気づいたら自分のベッドの中で朝を迎えていた。


ふと右横のベッドを見る。

もう習慣になっている。

使う主のいない、皺ひとつなく整っているそれに寂しいと思わないことにも慣れた。


でも今朝はいつもとは違う違和感を覚えて反対側を振り返ると。


ベッド端に座りニコニコ笑って俺をみているのは、颯真。


そうだ、昨夜の迎え火に律儀に帰ってきてくれたんだった。


『起きたの?』


重量感はないがキュッと抱きついてくるあいつ。

俺にしか見えていない、はず。


『おはよう 祐希』


俺は颯真が居なくなったマンションに住み続けるのに耐えきれず、いつか二人で住むためにと買い求めていた土地に小さな家を建てた。


庭を大きくとり、あいつの好きだった桜の木を庭の真ん中に植えた。


颯真はこの家に引っ越してきた翌年から盂蘭盆の季節だけ。

数日間姿を現すようになった。


おかげで俺は盂蘭盆会の知識が専門家並みについた。

少しでも早く、そして長くあいつを感じていたいから。

傍にいたいから。



二人でコーヒーを飲み(颯真は香りを思い切り吸い込んでいた)車で仙台へ向かう。


ガレージには俺の車と、そして奥に停めているのは颯真の車とバイク。

高校時代から俺に会いに来てくれた単車、そして白いBMWがいつもの様に見送ってくれる。

お前も主人が帰ってきて嬉しそうだな。


颯真の愛車は遺しておけば悲しいだろうから処分したほうが、という周囲の声に俺は笑顔で首を横に振っていた。


あいつの愛車には数え切れない二人の思い出が詰まっている。

BMWは俺とあいつの子供のように愛着があるんだ。


途中で花を買い仙台の家で待ってくれているお義父さんとお義母さんの元へ伺った。


「神田さん暑かったでしょう。いらっしゃい」


「病院は忙しいでしょうに。毎年ありがとうございます」


二人の優しい笑顔に癒される。

この二人が俺の大切な人をこの世に送り出してくれたのだ。

感謝しても感謝しきれない。

そして縁は切れるものではない。


「ありがとうございます。お邪魔します」


「何を言ってるんですか。ここは神田さんの家でもあるんですよ」


お義父さんの言葉に鼻の奥がツンとする。


なのに、


『父さん、母さんごめん。俺、先に祐希のとこに行っちゃった』


と俺の腰に腕を回したままペロリと舌を出す。

こら、ふざけるな。


和室に設えられたあいつの写真に向い焼香する。

俺の横にあいつも座る。

何だか不思議な気分だ。


その後、お義父さんの車で海が見える丘の上へ向かう。


俺が後部座席に座ると当たり前のように横に座り手を繋いで頭を肩にもたせる。

甘えん坊だ。


颯真の墓はご両親に頼んで俺が建立させてもらった。

いずれ俺もここに、颯真と一緒に眠りたいと無理を承知でお願いをした。


その場所は海から近い丘の上の墓地にある。

遠くから潮の匂いが届く、緑が瑞々しい静かな場所。

颯真が眠る場所にはいつも気持ちのいい風が吹いている。


お義母さんと花を供え、三人で手を合わせる。


あれ、颯真・・・どこへ行ったんだ。

いない。

姿が見えないことに焦って見回すとあいつの声が耳に届く、傍に来る。


『海を見に行ってきたんだ。

この場所、本当に好きだよ』


そうだな・・・海が大好きだったお前だもんな。



俺は午後から仕事が入っていた。

お義父さんお義母さんに見送られて東京へ帰る。


あいつの代わりに、いや、あいつと一緒にご両親への孝養を尽くしたい。



東京新宿にある大学病院。

担当する患者のカルテを確認して治療方針の打ち合わせが連続する。

その間あいつは会議室の入口で腕を組んだまま、こちらの様子をみていた。


が、帰りの車の中で、


『祐希。小塚医師とナースの立石、コーディネーターの井上には気を許さないでね』


と真剣な顔で言う。


さすがだな、俺もそう思っていた。


俺の左手薬指にはあいつから贈られたマリッジリングがはめられている。

これは俺が一生、外さないと颯真と約束した結婚指輪だ。


俺が贈ったあいつの指輪は今、細い鎖に通されて俺の胸元に下がっている。

一生、外さないよ、と誓いをくれたこれは荼毘にふしてもなお輝きを失わなかった。


葬儀を済ませたその日の晩に、


「この指輪は神田さんが持っててくれませんか」


「颯真の最後のわがままを聞いてあげてください。あの子の親として嬉しいわ」


石川のご両親から指輪を掌にのせられた時、俺は声をあげて泣いた。


お義母さんが俺の背中をさすりながら一緒に泣いてくれた。


颯真が居ない今、世間一般には40歳独身の俺に結婚前提の話を仄めかしてくる人は多い。


俺は既婚者で伴侶がいると全身から絞り出して訴えているのに目の悪い人や察しの悪い人はどの世界にもいるものだ。


『祐希はもっと注意しなくちゃダメだよ。心配で心配でたまらないよ』


「大丈夫だ。俺はお前以外みんな同じに見える」


『もう・・・!可愛いんだから』


そう言って俺を抱きしめる。

綺麗な亜麻色の髪が陽の光に透ける。


こんなに近いのに、近くにいるのに。


お前はもういないなんて。

俺はどうしたらいいんだ ───






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