第16話 カフェ

 水澄ヶ丘女学園高等部の正門前の辺りには誰もいなかった。登下校時に通るこの場所には誰かしら生徒が歩いていたけれど、休日ともなればこんなに人っ気がないのだということを実感した。


 きららさんと由奈さんは、正門を入ってすぐの所にある守衛所で学生証を提示して校舎のほうへ向かって行った。ショッピングモールで購入したコピー用紙を重そうに持って歩く後ろ姿が印象的だった。


 休日は身分証がないと学園の敷地に入ることができない。私は学生証を携行して来なかったので、中に入らず外で待つことになったけれど、ちょっと汗ばんだ体を冷やすのにちょうどよかった。


 二人が戻って来るまでにそれほど時間はかからなかった。二人は正門横にいた私をみつけてこちらに来てくれた。私たち三人は合流し駅方面にあるというカフェに向かった。カフェは駅から水澄ヶ丘女学園までの通学路沿いにあり、電車通学の生徒たちの行きつけなのだそうだ。


 水澄ヶ丘女学園までの交通手段は、徒歩、自転車、バス、電車の四通りがメインだ。遠方から通ってきている生徒が多いので、ほとんどがバス、電車を利用している。自転車通学はちょっと遠くでバス、電車を利用できない生徒たち。徒歩は地元で育った生徒たちだけれどごく少数派。そして例外として、自家用車での送迎で通学する生徒もいるらしい。


 私たちは『MILA MARIE CAFE』と独特な文字で表示されたカフェにやってきた。店舗はダークグリーンを基調とした外観でどこかアンティークな雰囲気を漂わせる。由奈さんを先頭に店に入るとドアベルがカランと鳴り、気づいた店員から席へ誘導される。店内は白の丸テーブルに英国風のクラシックな椅子が並んで落ち着きのある雰囲気だった。


 テーブルに着くとすぐに店員がメニューを持ってきて厨房の方に戻っていった。


「私はいつものやつにしよ」と由奈さんがメニューを見ずに言うと、「今日はアイスコーヒー」ときららさんもメニューを見ずに言った。


 私は慌ててメニューを取った。

「ゆっくり選んでね」と由奈さんが私の慌てた姿をみて言った。


 丸いテーブルに三人が均等に、ちょうど正三角形を描く位置取りで座っている。


「ここよく来るの?」

「ええ。学校帰りによく来るわ。水澄ヶ丘女学園の生徒がよく来るのよ、ここ」

由奈さんがテーブルに肘をついて言った。


 質問している間にメニューの目に留まったドリンクを選んだ。私がメニューを置くと、由奈さんが店員を呼び、それぞれ注文した。


「志津さんって、思ってたより普通で、思ってたより健康そう」

 唐突に由奈さんが口を開いた。私は褒められたのか貶されたのかわからず、由奈さんの次の言葉を待った。


「それなのに武勇伝が多すぎなのよね。入学式を一時間も遅らせたとか、一度も学園に来ないとか。かといって誰も志津さんのこと知らないの。黒崎志津という人物は本当に実在するのか? っていう話も出たぐらいだし」

「まあまあ、今それを言わなくても」

 きららさんが止めに入る。


「せっかくの機会だから全部言わせてほしいのよね。で、病弱なんだろうってことで、ひとまず納得したわけだけど」

「なんか色々ごめんね」

 私はその気もないのに謝罪した。


「それだけじゃないの!」

「はい?」

 由奈さんの勢いに圧倒される。


「そしたらね、忘れた頃におかしな号外が出てきたわけでしょう。東山さまの妹になる? って話」

「あれは棚橋さんが勝手に書いたデタラメで」

「結果的にはそうだったわけだけど驚いたわよ。黒崎志津っていう謎の人物が妹になるなんて。それに結城琴葉っていう有名人が追加されてたのもね」

「ははは」

 私としては笑うしかなかった。


「それだけじゃないの!」

「まだあるの?」

 由奈さんは頷いた。私はつい聞き返したけれど、実をいうと由奈さんの話の続きを楽しみにしていた。


「いきなり生徒会室に現れて藤ノ宮さまと姉妹になるって言って東山さまと姉妹喧嘩しはじめちゃうし。志津さんって何者なのって感じよ」

「あれって喧嘩だったの?」

「喧嘩じゃなくてなんなのよ」

「あはは」

 とりあえず笑うしかなかった。


 三人が注文した品を店員が運んできた。アイスコーヒーがきららさんへ、ダージリンティーとスコーンの乗った小皿のセットが由奈さんへ、アールグレイティーが私へ行き届いた。


「今日接してみて志津さんが普通だってわかった。気前よく手伝ってくれて助かったし」

「そ、そうなのかな」

 普通ってどういう意味なのかよくわからなかった。


「言いたいことは言えたから満足した。謎だった黒崎志津さんが普通の人だったってことを人に言えるしね」

「なんか大袈裟だね」

「そんなことないよ。一年生はたぶんみんな志津さんのこと謎の人物だと思ってるよ」

「そうなんだ」


   ***


 私はここでようやくアールグレイティーを一口飲んだ。ほのかな渋みと柑橘系の香りが口の中に広がった。


 この味わいは生徒会室でいただいた紅茶と同じだと思った。


 私はもう一口飲んで味を確かめて、自分のティーカップをじっと見つめた。


「この紅茶美味しいね」

「そうですね。そうそう、生徒会で飲む紅茶の茶葉はここで買っているのです」

 きららさんはアイスコーヒーにそっと手を添えストローから口を離した後、私に教えてくれた。


「ここの紅茶は東山さまがお好きなのです」

「そうなんだ。あの、東山さまはどういう人なんだろう。私、東山さまのことあまり知らなくて」


「東山さまってすごい人でみんなから尊敬されてるの」

 由奈さんが言った。


「何がすごいかっていうと、功績を残しているの」

 由奈さんの説明に私は頷く。


「まず、弁論部を設立したって話。東山さまが一年生の頃、水澄ヶ丘女学園に弁論部はなかったのだけど、東山さま一人で活動して全国弁論大会に選抜されたの。惜しくも最優秀賞は取れなかったけど、全国選抜の実力を示して学園に弁論部設立を認めさせたの」

「すごいね」


「そして、携帯電話の話。東山さまが生徒会長になって最初にやったことは、学園長とPTAに掛け合って携帯電話の持ち込みを認めさせたの。今年度から学園にスマホを持ち込めるようになったのは東山さまのおかげなのよ」

「それはすごい」

「でしょ? 東山さまって行動力があって実績を残してるからみんなから尊敬されてる。だから花組フルールに入ることはとても光栄なことなのよ」

「そうだったんだ。東山さまがそんなすごい人だったなんて知らなかったよ」

「そんなすごい人の妹になるかもって書かれたら、みんな大騒ぎするのもわかるでしょ?」

「なるほど、そっかー」

 由奈さんときららさんは私の納得した顔を見て頷いた。


「あの、もしよかったら藤ノ宮さまのことも教えてもらえないかな?」

 私はこの勢いで藤ノ宮さまのことを聞いてみたいと思った。でも、藤ノ宮さまが一年生から嫌われていることを知っているので、聞くのはちょっと気が引けた。


「えーっと、何を話せばいいのかな?」

 由奈さんの表情が曇ったのがわかった。


「一年生から嫌われているっていうのは別によくて、それ以外のことで」

「やっぱりそのこと知ってたんだ。じゃあ話しやすいか」

 由奈さんは言った。


「志津さんに言わないといけないことだけど、学園では一年生に藤ノ宮さまのことを話してはダメってこと。みんなあの事件の被害者に気を遣って極力藤ノ宮さまの話をしないようにしてるの」

「うん、そうだと思った」


「過去の話をすると、藤ノ宮さまはとても人気があったの。運動ができて聡明で、誰もが羨むような美貌の持ち主で、それでいて人当たりが良くて。非の打ち所のない方だった。事件を起こすまではね」

 私は黙って相槌を打った。


「言えることはここまで。私もきららちゃんも高等部に上がって生徒会室に出入りするようになってから、藤ノ宮さまと一緒にいることが多くなったけど、まだほとんど関わっていないのよね」

「わかった。ありがとう」

 私はお礼を述べてこの話を早く打ち切った。藤ノ宮さまの話になると誰も身構えてしまって、それがわかる私もこれ以上話していられなかった。


 由奈さんは手でスコーンを二つに割り、白いクリームとジャムを乗せて一気に頬張った。


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