第15話 ショッピング

 水澄ヶ丘女学園は週五日制をとっており、土日はお休みとなる。私立の高校で土曜日の授業がないのは珍しいことらしいけれど、私にとっては中学時代も土日がお休みだったこともあり、生活リズムとしては違和感がなかった。


 そんな土曜日、私は自宅近くにあるショッピングモールに初めてやってきた。


 私は水澄ヶ丘女学園の受験に合格したタイミングで、通学が徒歩圏内になるような家へ引っ越して来た。大型ショッピングモールが自宅の近くにあることを知ったのは、引っ越して来た後のことだった。しかも、徒歩で行けてしまうくらいの距離だったのには驚いた。


 私はそれほど気合いの入った格好ではなく、ただ動きやすい格好で来た。おそらく、水澄ヶ丘女学園の生徒はここにはいないだろうから、気を張る必要などないと考えた。


 ここに来た目的は、ピアノ演奏する予定のゴセックのガヴォットと、パッヘルベルのカノンの楽譜を購入するためだ。藤ノ宮さまと練習している曲であるガヴォットの楽譜の購入は確定として、カノンの楽譜は私の興味と、万一演目がカノンに変わっても慌てないようにとの思いから購入しようと思った。


 ショッピングモールの西口から入るとすぐのところにコーヒーの有名チェーン店があり、隣にはブランド名がそのまま店の名前になっている雑貨店など、様々なテナントが続く。私は事前に調べておいた楽器店のある四階を目指した。


 近くのエスカレーターに乗り階上へ登って行く。昼下がりだけあって、人の数が多い。日曜日だともっと多いのかなと思った。


 四階にたどり着くと、興味がありそうなショップには目もくれず一目散に楽器店に向かう。やがて『今村楽器』のロゴが見えた。ガラスケースに展示されている金管楽器が光を反射して遠くからでも目立つ。


「黒崎さん! 志津さん」

 楽器店に入る手前のところにいた同年代くらいの女性に私は呼び止められた。明るい茶色のボリュームスリーブのワンピースを身に纏い、赤みのある茶色のサンダルをはいた清楚なお嬢様だった。


「えっと?」

 聞き覚えのある声色だけれど、誰だかわからなかった。私は首を傾げた。


「私です」

 彼女は白いポーチから取り出した丸縁メガネをかけて微笑んだ。


「橋本きららさん?」

「正解です」

 きららさんはかけたメガネを取り外して白いポーチに戻した。


「志津さん一人でお買い物?」

「ちょっと楽譜を買いに」

「もしかして音楽でもやっているの?」

「うん。あ、いや、創立記念祭の祝賀演奏でピアノを弾くことになってて…」

「そういえばそうでしたね」

「え、知ってるの?」

「はい。生徒会室に連れてかれて、そこで東山さまから指示されたんでしょ」

 私は驚いた。そういえば英玲奈さんも生徒会室に居たから知っていたし。意外な人から知られている。


「お待たせ」

 私の背後から別の女性が現れた。オフホワイトの七分袖のブラウスにオリーブ色のプリーツスカート、ヒールのある白いショートブーツを身に付けた、こちらもまたお嬢様だった。彼女はきららさんと待ち合わせしていた風に駆け寄ってきた。彼女は私の顔をみて知っている人を見つけたように「あ」という声を発した。


「黒崎志津さんね。初めまして。私は二組の中村由奈ゆな。一度志津さんとお話ししてみたかったの」

 由奈さんは興奮気味に言った。

 私の知らない人が私のことを知っていて、話がしたいと興味を持たれていることに、不思議さを感じた。


「私たちも楽器店で買い物するので、良かったら一緒に周りましょう」

 きららさんは由奈さんと私に気を遣ってか、私を誘って来た。私は「うん、行けるところまで」と返答した。

 私、きららさん、由奈さんの三人で行動することになった。


   ***


 楽器店の店舗エリアに入り由奈さんの目的のところに向かう。楽器の小物と消耗品の棚に着く。


 由奈さんは棚に置かれた群青色の小箱を一つ手に取り「これこれ」と言った。


「これは何?」

「リードっていうの。クラリネットのマウスピースにつけて音を鳴らすのよ」

 由奈さんはガラスケースの中の展示サンプルを指差した。


「へえ、この竹みたいなやつで?」

「竹に似てるけどダンチクっていう植物なの」

 由奈さんは誇らしげに説明する。


「吹奏楽部でクラリネットをやるから自主練のために買うの」

「お金かかるね」

「うん。楽器の場合はこういう消耗品にお金かかるよ。それに自分で楽器を持つ人は何十万ってかかるのよね」

「そうだろうね。楽器って高価だもん」


 由奈さんはお金がかかると言いつつ、なんだか楽しそうだった。


「さ、次は志津さんの欲しいところに行こう」

 私は「うん」と返事をして書籍の棚に向かいだした。


 私は消耗品の棚の場所から少し歩いたところで足を止め、ガラスケースの中をじっくり見つめた。

「どうしたの?」

 きららさんが不思議そうに言った。

「これ、いいなあって」

「何?」

「ハーモニカっていって、私はこのスライドレバー付きの種類を吹いてみたいなって思うの」

「この楽器って…吹き口は?」

「見える小さい穴全部が違う音階になってて、咥えて吹いたり吸ったりするの」

「吹いたり吸ったり? 全然想像がつかないです」

 きららさんは目を丸くした。


「そっか、ハーモニカ知らないんだね」

「はい。志津さんは吹いたりするの?」

「うん。趣味でたまに」

 私はこれから始まるかもしれないハーモニカ談議に心を躍らせた。


「ここに楽譜あるよー」

 先に行った由奈さんがこちらに向かって叫んだ。私はしまったという顔できららさんと目を合わせ、会話を止めて由奈さんの所に急いだ。


 楽器店の書籍棚には楽譜や教本などが並ぶ。一冊の本の厚さは薄いものが多いので数はとても多い。一通り見回したけれど要望の本を見つけるのは難しそうだった。


「お目当てのものはありました?」

 私の横で本棚を眺めていたきららさんが言った。


「ちょっとわからないかも」

「どんな楽譜の本を探しているの?」

 きららさんが尋ねた。


「クラシック曲の本。中等部で使ってたみたいなんだけど」

「それなら、これかな」

 きららさんはクリーム色の背表紙の本を取り出し、表紙を確認して「はい」と私に差し出した。


 私は差し出された本を受け取り、中を確認する。目次にゴセックとカノンが載っているのを見つけページをめくった。


「これで間違いないみたい。ありがとう、きららさん」

「どういたしまして」

 きららさんは優しく微笑んだ。


「この曲、うちの生徒はみんな弾けるんでしょう、すごいね」

 私はゴセックの譜面を見せながら言った。

「え? そんなことないです」

「そうなの? 藤ノ宮さまは『水澄ヶ丘女学園の生徒なら弾ける』って」

「それは特別な人だけよ。中等部でみんなピアノはやってたけど、せいぜい課題曲を弾けるようになるくらいよ。まあ藤ノ宮さまの周りは弾けるのかもしれないけど」

 由奈さんが割り込んで言った。


 そっか。やっぱりそうだ。ちょっと安心した。


 会計を済ませ、三人は店舗エリアを出た。本の値段が三千円もしたので手痛い出費だった。


 次に文具店に入って行ったきららさんと由奈さんについて行く。何を買うのかわからないまま二人の様子を見ていた。

「うわ、重いね」

「本当、重いです」

 由奈さんときららさんは分厚い紙袋を抱えて言った。


「これ何?」と私は尋ねると「コピー用紙」と由奈さんが答えた。二人はA4サイズ五百枚入りのコピー用紙の紙袋を一個ずつ大変そうに抱えている。


「これにB5は無理だ」

と由奈さんが言い、二人は何かを訴えるような顔で私を見た。


え、私?


「ああじゃあ私これ持つ」

 私は棒読みで言い、B5サイズのコピー用紙の紙袋を持った。


「それ二個なの」

 きららさんが言った。


 私は追加でもう一個取り、両手で抱えた。二個だと結構重い。三人ともコピー用紙を抱えてレジに向かい会計を済ませた。コピー用紙は三つに分けてレジ袋に入れてもらった。


「これ何に使うの?」

 コピー用紙はコピーに使うのはわかっていたけれど、こんなに多くの紙を何の目的で使うのか気になったので、私は当たり前の質問をした。


「その名の通りコピー」

「生徒会活動で使うのです」

 由奈さんときららさんがそれぞれ答えた。


「二人は生徒会役員?」

「正確には違います」

 きららさんが答えた。

「私は生徒会の会計の河瀬さまの妹の妹で」と由奈さんが言うと、

「私は生徒会の広報をなさっている大倉さまの妹の妹です」ときららさんが言った。


「妹の妹!」

「そう。生徒会役員と同じアコールの一、二年生が手伝いに駆り出されるのよね」

「そっか、英玲奈さんとおんなじ感じだ」

「そうそう」


「きららちゃん、これ持って帰るの無理そう。やっぱり学園まで持って行こう」

 由奈さんは右手に持ったレジ袋を左手に持ち替えた。

「そうですね」

「私も付き合うよ」

 大型ショッピングセンターから水澄ヶ丘女学園までは割と近く徒歩でも行ける範囲だ。私の家とは正反対になるけれど、重い荷物を二人に持たせて帰るのは気が引けると思った。


「志津さん、ありがとう。助かる。じゃ帰りにカフェ寄ろう」

 由奈さんは嬉しそうに言った。

「いいですね」ときららさんも賛同した。

 せっかくの誘いなので、私も行くことにした。

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