第12話 アコールの証

 琴葉さんからあの場所でランチを一緒にと誘われた。あの場所とは三日前にも一緒にランチを食べた陽光が射す中庭のベンチのことだ。琴葉さんによれば、あの場所はほとんど人が来ない穴場なのだそう。琴葉さんはどうも連日あの場所で独りで食べているらしい。


 琴葉さんはあんなにランチに誘われていたのに、断ったり先約があるといって嘘をついていた。そんなに独りで食べたかったのかと不思議に思った。今日はついにお誘いが来なくなったようだ。琴葉さんからすると「それでいい」のだと。


   ***


 私と琴葉さんは中庭のベンチに座りそれぞれの巾着袋からお弁当を取り出した。この前と同じ風景、同じ場所、そういえば座る位置も同じだ。最近は好天が続いているので吹きつける風は心地よかった。


 私のお弁当は白飯に梅干、昨晩のおかずの残りの天ぷらと、朝作ったであろう卵焼きで、庶民感が強いけれど安心感がある。さて、琴葉さんのお弁当はというと。


 私が琴葉さんのお弁当が開くのを待っていると「今日もわたくしのお弁当に興味がありますの?」と、琴葉さんが笑った。


「え、わかった? 琴葉さんの手作り弁当の腕前を拝見させていただこうと思いまして」

「いつもと変わりませんわ」

 琴葉さんはゆっくりとお弁当の蓋を開けた。


 琴葉さんのお弁当は三食むすびに彩りの良いおかず…、ってあれ? 三日前と同じ?


「ね? 変わらないでしょう」

 琴葉さんは嬉しそうに笑った。


「おかずの手作りは来週からと思っていますの」

「まだ引っ越しが終わってない?」

「ええ。前に住んでいた家の片付けが昨日やっと終わりましたの。今日から週末にかけて新居の荷物整理をしますから、お弁当作りはその後。あ、でも課題もしないといけませんし、自分でお料理するのはもっと先になるかもしれませんわ」

「そっか、琴葉さんの手作り弁当見たかったなあ」

「志津さんも作ってみてはいかがかしら」

「うーん、私は早起き苦手だし。うーん」


 私は考え込んでしまった。私の病気のことで長年心配をかけてしまった両親の負担を減らすために、自分でお弁当を作るのも悪くないと思った。でもやっぱり早起きするのはちょっと、という思いが拮抗していた。


   ***


 私はお弁当を片付け、一緒に持参したピンク色の水筒のお茶をコップに注いだ。琴葉さんの視線を感じながらコップのお茶を一口含んだ。


「志津さんは今日も図書館で勉強するのでしょう? わたくしもご一緒してよろしいかしら」

「うん、是非是非。でも今日は三十分くらいしかできないかな」

「何かご予定でも?」

「藤ノ宮さまから音楽室に来るように言われてて。ピアノの練習をしないといけないの」

「なんだか大変そうですわね。志津さんって本当に藤ノ宮さまと同じアコールに入られたのですね」

 私はちょっと自信なさげに頷いた。


「では、志津さんも『証』というものをいただいたのですの? 英玲奈さんは月の形のピンバッジ、万鈴さんは外国の硬貨のペンダントを譲り受けたそうですわ」

「それがね、何ももらっていないの」

「それは…、志津さん、もしかして欺かれているのではなくて? 志津さんもご存知の通り、藤ノ宮さまは過去に問題を起こして誰も寄り付かないと英玲奈さんが仰っていたではないですか」

「えっ?」

「現に藤ノ宮さまが訪ねていらしたときのクラスの重い雰囲気は尋常ではありませんでした」

「みんな藤ノ宮さまを誤解してるんだよ」

「どうかしらね」


 琴葉さんからこのような踏み込んだことを言われるとは思いもしなかった。


「『証』ってただ同じものを身につけようってくらいのものじゃないの?」

「いいえ、『証』はその名の通りアコールの証という意味ですわ。ある人から伺ったのですけれど、『証』の授受を以てアコールの加入が成立するそうですわ」

「じゃあ私は花組フルールに入っていないことになるのかな」

 私は冗談のつもりで言ってみた。


 『そんなことない』とか、『大丈夫』とか、そんな言葉を期待していたのに、琴葉さんは神妙な顔で頷いただけだった。


 私は美山みやま生花園せいかえんで印象に残った、藤ノ宮さまの胸元に付く花柄のアクセサリを思い起こしていた。きっとあれが花組フルールの証なのだろうと思い、もらえるだろうと思っていた。けれど、現状では証をもらえるどころか、連絡先でさえ未だ教えてもらえていないのだ。


 欺かれたという言葉は不安な気持ちに拍車をかける。これまでの出来事がすべて欺かれたの一言で説明がついてしまうからだ。一度は納得したけれど、気持ちが揺らいでしまう。


「そんなこと言わないでよ。昨日妹になったばかりなんだから、今日にでももらえるかもしれないじゃない。だから欺くなんて、言わないでよ…」

 私はどうしようもない怒りと悲しみが入り混じった心境だった。私は体の震えを抑えて琴葉さんに強い眼差しを向けた。


「ごめんなさい、欺くだなんて、言葉が過ぎましたわ」

 琴葉さんは私に体を寄せて来て両手で私の手に触れた。暖かい感覚がじわじわ伝わってくる。


「わたくしはあなたの友人として申し上げましたの。気分を害されたかもしれないけれど、どうかお気を鎮めて」


 私は今にも泣き出しそうだったのを堪えていた。琴葉さんから面と向かって言われたことはショックだった。琴葉さんの指摘はもしかしたら正しいかもしれないけれど、私としては絶対に受け入れられないことだった。


「志津さんが目まぐるしさで周りが見えなくなることを危惧していますの。じっくり構えて動静を見守ることも重要ですわ」


 琴葉さんの言っていることは私にはちょっと難解でどれだけ理解できたかわからなかった。いろんなことが起こりやらなければならない事が多くなってきたけれど、溜まっていくばかりで何一つ終わっていない。部活見学、課題プリント、祝賀演奏、そして藤ノ宮さまのこと。終わらないことに対して焦っているのを琴葉さんは戒めているのだろうか。


   ***


 私と琴葉さんは沈黙したまましばらく周りの景色を眺めていた。私は大分心が鎮まって来た。でもこのままもう少しベンチに座っていたかった。

「ごめんなさい。お先に失礼しますわ」

 琴葉さんは慌てた様子で立ち上がり前方に歩み始めた。


 琴葉さんの背中越しに生徒が一人見える。琴葉さんはその生徒と合流して何やら話を始めた。私からは琴葉さんの後ろ姿と、もう一人の生徒の強張った表情が見えた。


 違うクラスの子? それとも上級生かな? 私の知らない生徒であることは間違いなかった。遠目でも、二人はお互いのことが慣れていないように見えた。もしかしたら私と藤ノ宮さまが会話する姿もあんな感じに見えるかもしれない。


 琴葉さんともう一人の生徒は連れ立って教室とは違う方向へ消えていった。琴葉さんは琴葉さんで、私とは違うルートを進んでいるのを感じた。二人はどんな関係だろう。


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