第11話 呼び出し

 英玲奈さんから藤ノ宮さまの過去の出来事と一年生から嫌われていることを聞かされて、心が重かった。気にしない素振りを見せたつもりだけれど、心中穏やかではなかった。


 私が藤ノ宮さまの妹になったことを知っている人はまだ数えるほどしかいないだろうけれど、これから徐々に知れ渡ったときどうなるか? 藤ノ宮さまの妹というだけで私も嫌われてしまうかもしれない。英玲奈さんが「覚悟はあるか」と言ってた事の意味をようやく理解してきた。


 正直なところ、覚悟なんてできていない。自分のお姉さまになる人が嫌われているなんて嫌に決まっている。ただ、実際どうなのだろう? 嫌っているのはごく一部の人たちかもしれないじゃない?


 ふと、教室の雰囲気が急に変わった。さっきまで多くの声が重なって騒がしかったのに、小さな音が聞こえるくらい静かになってしまった。先生が来たわけでもないのに。


「黒崎さん…黒崎…志津さん」

 突然、私を呼ぶ聞き慣れない声がした。静かになった教室なので、クラス全員に聞こえる程の声の張りだった。そして苗字を呼ぶという事は、全く面識のない人かほとんど会話をしたことのない生徒だろう。そうであっても、水澄ヶ丘女学園では、同級生を下の名前で呼ぶのが慣例なので名前で呼んでも構わないのだけれど、声のトーンからすると、面識がないからというより、ひどく緊張しているからのように思えた。


 見ると、私とは反対側の廊下側の最後列の席のクラスメイトが、思った通り緊張した面持ちで私の側に立っていた。彼女は橋本きららさんという丸縁メガネが特徴の生徒でこれまで話した事はなかった。私と目が合うとモゴモゴと口を動かして何か言いたそうな素振りを見せた。


「何かご用?」

 私も緊張して普段とは違う口調で返答してしまった。


「二年生の藤ノ宮さまがあなたを呼んでいるの」

 彼女は沈んだ声で告げた。途端に近くの生徒の視線を感じた。


「藤ノ宮さまはどこにいらっしゃるの?」

「教室の外、廊下」

「ありがとう」

 私は彼女にお礼を述べて、廊下の方を見た。けれど藤ノ宮さまの姿を確認することはできなかった。


「教室を出て右にいると思う」

 藤ノ宮さまを視認できなかった私に彼女は教えてくれた。私は再度お礼を述べて廊下の方へ歩いて行こうとした。


 明らかにみんなの視線を浴びているのがわかる。やはりこんな雰囲気になったのは藤ノ宮さまが訪ねてきた影響なのだろうか。教室を出ると右手に、直立してこちらを見ている藤ノ宮さまの姿があった。


 よくよく考えると、藤ノ宮さまから呼び出されるってどういうこと? そっちの方が重要なのに、私を呼びに来た橋本きららさんやみんなの視線の方に気を取られていて、そんなことを考える余裕もなかった。


「私に何かご用でしょうか」と藤ノ宮さまに声をかけたけれど、藤ノ宮さまの目線は私の後方にあった。何があるのかと思い後ろを振り返ると何名かの生徒がこちらの様子を覗っていた。


「場所を変えましょう。こっちよ」

 藤ノ宮さまは私の手を引いて歩き始めた。相変わらず握る手の力が強かった。


   ***


 人気のない場所に来たところで藤ノ宮さまは振り向いて腕を組んだ。


「志津、放課後すぐに音楽室に来なさいね」

「音楽室ですか。放課後は図書館で課題をするつもりだったのですが」

「誰かと約束しているの?」

「いえ、一人です」

「だったら三十分で終わらせてすぐに来なさい」

「でも」

 私は課題をしなければならないことを伝えたかった。


「志津は祝賀演奏を軽く考えているのかしら? 生徒の代表としてみんなの前で演奏するのよ。しっかり練習して万全の体制で臨まなければならないでしょう?」

「はい。では、音楽室で練習を?」

「そうよ」

「わ、わかりました」

「それでいいわ。私は先に行って待ってるから」


 藤ノ宮さまは不機嫌そうにしていてちょっと怖い。課題プリントはまだまだ多く残っているのに、練習で時間を取られるのは正直きつい。かといって、不機嫌そうな藤ノ宮さまに逆らう勇気もなかった。


「用件は終わったので戻っていいわ」

 藤ノ宮さまは腕を組んだまま突き放すように言った。でも私はまだ一つ言いたいことがあった。


「藤ノ宮さま、よろしければ連絡先を交換して下さい」

「どうして?」

 藤ノ宮さまは全く思いもよらない顔で返答した。


 あれ? どうしてって言われても。お姉さまと妹って連絡先知ってるものではないの?


「あの、ええと、連絡先を知っていればわざわざ会いに来なくても連絡が取れますし」

「私が教室に来ることは迷惑かしら?」

「い、いえ、そんなことはありません」

「だったら問題ないでしょう。あなたも用があるなら教室まで会いに来ればいいの」

「は、はい…。そういう話とはちょっと違うような…」

 連絡先交換の話をしたつもりが話がそれてしまい私は困惑して言葉が出なくなった。

 藤ノ宮さまは首を傾げて私の顔を見た。


「まあ、連絡先くらい知らないと困ることもあるわね。でも今携帯を持ってないの。後でいいかしら」

「はい。あっ、私も携帯…」

 私は慌てて全てのポケットを探して携帯を持ってきていないことに気づいた。

「持ってきてませんでした!」

「何よ、あなた、そそっかしいわね」

 藤ノ宮さまはそう言うと、とびっきりの笑顔を見せた。私は照れ笑いをして「申し訳ありません」と返した。


 藤ノ宮さまが笑うと心が落ち着いた。やっぱり藤ノ宮の笑う姿はとても好きだということを再認識した。藤ノ宮さまが笑顔で居続けられればいいなと思った。


   ***


 藤ノ宮さまと別れ独りで教室に戻った。私が教室に入ると席に座っているきららさんと目が合った。


「黒崎さん、大丈夫?」

「えっ? 何のこと?」

「藤ノ宮さまから無理矢理連れて行かれたから何かされたんじゃないかと気になって。昨日も引っ張られてどこかに連れて行かれてたでしょう。私、目撃したの」

「別に無理矢理連れて行かれてたわけじゃないよ。昨日だって生徒会室に用事があって一緒に行ってただけなの」

「生徒会室? では生徒会長のところに行ってたのね」

「そうそう」

「それならよかった」

 きららさんは、私が藤ノ宮さまから危害を加えられていないか心配してくれていたのだろう。でも藤ノ宮さまはそんなことをする人じゃない、少なくとも私には。きららさんみたいに藤ノ宮さまの人物像を誤解している人は他にもいるかもしれない。私は、藤ノ宮さまはそんな人ではないことをはっきり言わなければならないと思った。


「志津さん、早く自分の席に着いて」

 きららさんと立ち話をしていた私は学級委員の英玲奈さんから注意を受けた。きららさんに言いたいことはまだあったけれど、慌てて自席に戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る