第10話 藤ノ宮さまの過去

 私と琴葉ことはさんは廊下で英玲奈えれなさんを待っていた。英玲奈さんが指定した場所は、よりによってこんな所でといいたくなる場所であり、一組と二組のちょうど中間の、件の号外が貼り出された壁の真正面だった。私が沢山の生徒から囲まれた場所はここよりちょっと壁寄りだった。


 あの号外はもうとっくに剥がされて、壁に留めてあったテープの跡すら残っていない。それに、まるで号外なんてなかったかのように、それについて聞いてくる生徒は誰もいなかった。


「あの方、棚橋さんですわ」

 壁を睨みつけている私の横で琴葉さんが言った。見ると、英玲奈さんと、もう一人生徒が後ろに付いて、こちらに向かって来ていた。


「えっと、誰だっけ?」

「わたくしを取材した新聞部の棚橋さん」

「ああ、あの号外を書いた人」

 私と琴葉さんは、近づいてくる本人に聞こえないように小声で喋った。


「志津さん、琴葉さん、お待たせしてごめんなさい。こちらは三組の棚橋たなはし真鈴まりんさん」

 英玲奈さんは来て早々、連れてきた生徒を紹介した。私よりちょっと小柄な生徒はバツが悪そうに作り笑顔でこちらをみていた。私たちは改めてごきげんようの挨拶を交わした。


「実は真鈴があの号外を書いた張本人なの。そのことで二人に謝罪したくてこうしてやって来たの」

 英玲奈さんは真鈴さんの背中を叩いて何か喋るように促した。


「黒崎志津さん、結城琴葉さん、勝手に新聞に書いてごめんなさい」

 真鈴さんは深々と頭を下げた。その隣で英玲奈さんも頭を下げた。


 私はこういうシーンは苦手だ。自分が生きてきた中でこんな謝罪をされた経験はなかったし、どう対応すれば良いのかもわからない。自分のことが書かれた事は驚いたけれど、傷つくようなことではなかったから、謝罪されるようなことでもないと思っていた。


「真鈴さん、わたくしは全く気にしていませんわ」

 琴葉さんが先に切り出した。

「うん、私も全然気にしてないから。頭上げようよ」

 琴葉さんに倣って私も同じことを言った。そして焦る気持ちで頭を上げるように言った。


 真鈴さんと英玲奈さんはゆっくりと頭を上げた。何も言わなかったらずっと頭を下げているんじゃないかと思えたから、胸がドキドキした。


「こんなことしなくていいのに、大袈裟だなぁ」

 私は焦る気持ちを隠して、無理やり笑いかけた。


「気を遣わせてごめんなさい。もう二度とこんなことはしないから」と英玲奈さんが言うと琴葉さんが口を開いた。


「疑問なのですけれど、どうして英玲奈さんも謝っているのかしら?」

「それはね」

 英玲奈さんと真鈴さんは少しの間お互いに目を合わせた。そして二人で理由を説明してくれた。


「えっと、それは、英玲奈がしつこく目配せしてきたから逆に怪しいなと思っちゃったの」

「そう。私が真鈴に詮索しないようにと念を送ってたのが逆効果だったみたいで」

「それで、英玲奈から新聞に書け、書け、とけしかけられてると勘違いしてつい」

「それは腑に落ちないのだけど、私の態度がきっかけでこんなことになっちゃったのは事実みたいなので、連帯責任で私も謝罪しようと思ったの」

「まあ、そんなところ」

「ちょっと、得意げに言うな。あんたが一番悪いんだからね」

「あはは、ごめんなさい」


「わかりました。二人の会話を聞いているとなんだか可笑しいですわ」

 琴葉さんが笑ったので私も少しだけ笑った。不思議で理解し難い理由がちょっと可笑しかった。


「まあ悪気があったわけではないので、許してね」

「うん」


 二人から謝罪を受けた後、事の顛末を説明してくれた。号外のことは新聞部の知らないところで独断でやったらしく、それを知った部長からこってり叱られたそうだ。そして部長が手を回して揉み消しに走ったためこの話題は完全に葬り去られたのだそうだ。当然ながらこの件の取材も禁止。どうりで誰からもこの話題について聞かれなくなったわけだ。


 新聞部の部長といえば、生徒会室で出会った三年生の大倉さまだったはず。第一印象で迫力のある方だとは思っていたけれど、その印象通り、揉み消しできるなんて凄い方なんだなと思った。


「次は東山さまへの謝罪かぁ。英玲奈、そっちも付き合ってくれるよね。連帯責任なんだし」

「はいはい、最後までお付き合いしますよ」

 英玲奈さんは不貞腐れて返答した。


「では皆さん、ごきげんよう」

 真鈴さんは肩を落としながらこの場を離れていった。


   ***


「ところで、志津さん。まさかこんなに早くお姉さまを見つけるなんて驚いた。何の前触れもなくいきなり生徒会室に届け出に来るんですもの」

「え? どうしてそれを?」

「どうしても何も、生徒会室で一部始終を見ていたから知ってるわよ」

「本当に? 生徒会役員の方々はいらしたけど、英玲奈さんの姿は見なかったよ」

「それは志津さんがテンパって周りが見えてなかったからじゃないかな。あ、でも最初は奥で食器を洗っていたから私がいる事に気づかなかったのかもしれないわね」

「そうなんだ!」


「でもね」

英玲奈さんが半歩前進して距離を詰めてきた。


「おめでたいことに水を差すようで申し訳ないのだけど、藤ノ宮さまのことで伝えておきたい事があるの」

「何?」

「いずれ耳に入るだろうから言っておくけど、端的にいって藤ノ宮さまは一年生から嫌われているのよ」

「えっ!? どうして?」

「藤ノ宮さまが中等部三年生、私たちが二年生の頃、とある二年生と藤ノ宮さまが揉み合いになり、弾みで突き飛ばされた二年生が転倒して腕の骨を折る大怪我をしたの。でも藤ノ宮さまはその二年生を介抱せずそのまま立ち去ったから、後で問題になったのよ。結果、藤ノ宮さまは二週間の停学処分。それ以来、私たちの学年は藤ノ宮さまを嫌っていて、関わらないようにしているの」

「そんな…。でもなぜ今そんな話をするの?」

「さっきも言ったけど、遅かれ早かれ知る事になるから。それと藤ノ宮さまと関わり合うには相応の覚悟が要ることを伝えたかったの」

「覚悟って…」

 私は突然知らされた藤ノ宮さまの過去の話に言葉を失った。


「藤ノ宮さまの行動は非難されるべきことよ。私はそれほどでもないけど、今でも快く思わない人や嫌いだという人もいるのよ。だから今後そういう人たちと衝突することがあるかもしれない。志津さんにその覚悟はある?」

「ちょっと、いきなり志津さんに厳しすぎやしないかしら。あまりにも酷ですわ」

 琴葉さんが英玲奈さんに向かって言い放った。英玲奈さんは黙って眉間にしわを寄せていた。


「英玲奈さん、琴葉さん、心配してくれてありがとう。みんなが藤ノ宮さまを嫌っていたとしても私には関係ないよ。私は藤ノ宮さまを嫌いじゃないし、停学になった事だって藤ノ宮さまには何か事情があったんだと思う。それにもう過去のことでしょう。気にしないよ」


 私は思ったことを率直に言った。英玲奈さんがいうように覚悟が必要なのかどうかは、今の自分には実感が湧いていなかった。


「志津さんがそんな風に思っているなら大丈夫ね。これでやっと花組フルールも安泰なのかな。東山さまもきっと…ううん、なんでもない」

 英玲奈さんは穏やかな顔でこちらを見た。


   ***


 英玲奈さんは大きく息を吐いて、琴葉さんに目線を送った。

「次は琴葉さん」

「わたくし?」

「志津さんのようにはいかないと思うけど、あなたもお姉さまを見つける時が来るわ」

「わたくしはもっとのんびりしようと考えていますの」

「どれくらい猶予があるかわからないけど、もたもたしていると生徒会に強制される可能性だってあるの。去年のように」

「強制だなんてひどいよ」

 私は口を挟んだ。


「去年の生徒会長はそうだったっていう噂よ。今の二年生の中に強制的にお姉さまをつくらされたって人がいるらしいの」

「そんな…」

 琴葉さんは余程ショックを受けたからか、目を見開いて固まってしまった。


 琴葉さんがお姉さまをつくらないつもりなのは知っている。みんなとは違う意志かもしれないけれど、私はその意思を尊重している。でもそれが踏みにじられて強制的になんてことになったら琴葉さんはどうするだろう。


「今年はわからないけど。生徒会長の東山さまがどうお考えになるか次第でしょう」

「わたくしは、お姉さまをつくるのでしたら、相手は自分の意思で決めたいです。強制されるのは断固拒否します」

 琴葉さんは凛とした声で言った。


「もしそんなことが起ころうとしたら、私も東山さまに抵抗する」と私は言った。


「志津さんは東山さまと同じ花組フルールであることを忘れないでね。まあ、そうならないことを祈っているわ」

 英玲奈さんは頭を抱えながら呟いた。


 今日の英玲奈さんはいつにも増して険しい事を言う気がする。私にとっても、琴葉さんにとっても、今日は手厳しい。アコールってこんなにややこしいものなんだ。

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