第9話 無茶振り

 藤ノ宮さまの妹になってしまった。正直、記憶がないから嘘か本当かわからないけれど、私が希望して藤ノ宮さまの妹になったのだ。


 うーん? なったの?


 全く実感が湧いていないし、何も変わっていない気もする。


 藤ノ宮さまは私の隣でどこかわからない一点を見つめて微笑んでいる。二人で喜びを分かち合う、みたいなことも、今のところ起こりそうもない。藤ノ宮さまがそんなお方なのかどうかもよくわからない。藤ノ宮さまはこんなに近くにいるのに、とても遠くにいるような感じが未だ拭えない。


 東山さまと藤ノ宮さまは花組フルールの三年生と二年生の姉妹だというのは、これまでの会話からわかった。そして、私が藤ノ宮さまの妹になるから、私も花組フルールに入ったということになるのだろう。つまり、英玲奈さんから言われていたアコールのお姉さまを見つけるという課題は、意外とあっさりクリアできてしまったというわけだ。


 生徒会室は一大イベントが終わりほっと一息ついたような雰囲気になっていた。私たちの話が終わるのを待ち構えていたのか、生徒会の方々は荷物を持って撤収しようとしていた。でも、東山さまはなぜか動かず、まだ物足りない様子で藤ノ宮さまを見ていた。


「藤ノ宮さま、私たちも帰りますか?」

 さっきから立ち尽くしていた藤ノ宮さまに私は声をかけた。私は早くここから立ち去りたかった。できることなら、ここを出てすぐにでも藤ノ宮さまと今後どうしていくのか話し合いたかった。


「え? ええ、行きましょうか」

 藤ノ宮さまは私の呼びかけに応じると、前を向いて姿勢を正した。これからごきげんようの挨拶をするのだとわかった。私も横で姿勢を正した。


「では皆様、ごき…」

「まだ話は終わってないでしょ?」

 藤ノ宮さまが挨拶をしようとすると東山さまが遮った。


「お姉さま、何かございまして?」

「四月中に妹を連れてくるっていう話の続きがあるわ」


 藤ノ宮さまはあっと小声で呟いた後「それはお詫び致します」と言った。


「可愛い妹だから許してあげたいところだけど、確か『約束を果たせなかったら何でも言う事を聞く』って啖呵を切ったわよね。その約束は守ってもらいたいわ」

「そんな血相を変えておっしゃらなくても、私は逃げも隠れも致しませんわ」

「ふーん。昨日までずっと逃げてたのはどこのどなたかしらね」

「なんのことでしょう。…それで、私にどうしろとおっしゃるのです?」

「簡単なことよ。創立記念祭の祝賀演奏だけど、私は出ないことにしたから代わりに黒崎さんを出演させなさい。もちろん花組フルールが恥をかかないように紫がちゃんと指導するの。わかった?」

「志津を祝賀演奏に? ですが、もう合わせる日数がありませんわ」

「そうね。私だってあなたと打ち合わせしたかったのに、あなたが未読スルーしていたから話もできなかったわ。こんなことになった責任も、やっぱりあなたにとってもらいたいわね」


 唐突に繰り広げられた話についていけないまま、私はややこしそうな事に巻き込まれてしまったと思った。


 私を出演させると?


「あの、祝賀演奏って何なのでしょうか」

 私は東山さまと藤ノ宮さまの会話に割り込んだ。


「今月末に開催される水澄ヶ丘女学園の創立記念祭でお祝いの演奏を披露することになっているの。今年は花組フルールに担当が当たっちゃってるのよ」

「それを私が?」

「あなたと紫の二人でピアノのアンサンブルを披露するの。うれしいでしょう?」

「ええっ!? ピアノなんて弾けません。ましてや、人前で演奏なんて無理です」

「謙遜しなくてもいいわ。競争率千倍の受験を突破してきた黒崎さんならピアノくらいお手のものでしょう?」

「いや、無理です、絶対無理です」

 私は思いっきり首を横に振った。


「残念だけど拒否することはできないわよ。あなたが紫と姉妹の関係になるのなら命令には従ってもらうわ。それが嫌なら紫を諦めなさい」

「そんなぁ」

 私は自分でも認識できるくらい子供っぽい甘えた声で叫んだ。


 今月末まで残り数えるほどしか日がない。練習もまともにできないだろうから、ピアノを披露するなんて到底無理だと思った。どうしてこんな無茶振りに従わなければならないのだろうか。もういっそのことアコールの申し出を取り下げて、この話はなかったことにしてもらおうか。藤ノ宮さまはどう思うかわからないけれど。


「お姉さま、お任せください。私と志津で祝賀演奏の役を務めさせていただきますわ」

「ちょっと待…」

「じゃあ任せた。私は観客席で観させてもらうから。これは楽しみね」

 東山さまは満面の笑みを浮かべた。


 結局、藤ノ宮さまは私の都合なんて聞きもせず快諾したのだった。


   ***


「相思相愛のできたて姉妹が助け合って祝賀演奏に臨む。いいね。素晴らしいね。取材させてよ、紫」

 さっきまで東山さまの隣で立っていた先輩が藤ノ宮さまに駆け寄ってきた。


「また怪しい号外を書くのでしたらお断りさせていただきます」

「ああ、あれはさー、一年生の子が突っ走っちゃってね。すぐに揉み消してあげたじゃない。もう変な事は書かないから」

「でも取材を受ける余裕はありませんので、やっぱり今回はお断りさせていただきます。あと、さっきから相思相愛とおっしゃっていますが、そういうのではありませんので、誤解なさらぬよう」

「そうなの? それは失礼。ま、依頼は取り下げないから、気が変わったら連絡ちょうだい」


 先輩は「では皆さん、ごきげんよう」といって手を振った。そして私に近づいて小声で私にだけ聞こえるように「紫のことよろしく頼むね、お志津ちゃん」と囁いた。「えっ」と反応した時には、先輩はすでに生徒会室を出て行くところで、振り返りもせずそのまま行ってしまった。


「藤ノ宮さま、今の先輩はどういうお方なのでしょう?」

「三年生の大倉おおくらさま。生徒会執行部の広報をなさっている。それと悪名高い新聞部の部長。いつもお姉さまにちょっかいを出す、ほんと迷惑な方。まあ下級生からは結構人気あるみたいだけど。私はお姉さまの方が断然魅力的だと思うのよ。それに…」

「あああ、わかりました。もうわかりましたから!」

「なあに? せっかく教えてあげているのに」

 私は慌てて制止した。先輩のことはせめて名前くらいはと思っていたのに、ここまでの情報は期待していなかった。ここに入って来た時とはうって変わって、今の藤ノ宮さまは饒舌だった。


 大倉さまのことを迷惑だと言いつつ藤ノ宮さまは機嫌よく笑っている。この笑顔を見るとやっぱり藤ノ宮さまは素敵な先輩だとつくづく思う。そんな素敵な人が私なんかのお姉さまになって本当に大丈夫なのだろうか。私を妹にすることでこの笑顔が無くなってしまわないか心配になった。


   ***


 藤ノ宮さまは東山さまから呼び止められたので、私だけ生徒会室を出されてしまった。なんでも東山さまが藤ノ宮さまに生徒会について話があるんだとか。


 藤ノ宮さまとお話しできたらと考えていたのに。今日はもう無理そうだった。


「あっ課題!」

 私は図書館で課題をするつもりだったことを思い出して叫んだ。時計を見るともう図書館が閉館している時間になっていた。

 私は仕方なく図書館を諦め、下校するために荷物を取りに教室に戻っていった。

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