第8話 審判

 藤ノ宮さまに手を引かれて生徒会室に向かっていた。すでに美山みやま生花園せいかえんの門を出て校舎に向かって歩いているところだった。


 手を繋がなくたって私は逃げも隠れもしないのに、藤ノ宮さまはなぜか私の手を引っ張る。それにしても困るのは握る力が強めで私の手が痛いことだ。痛みを和らげようと少しでも手を動かそうものなら、逆にギュッと握られてしまって余計に痛い。仕方なく逆らわないようにして大人しく歩いているけれど、どうにかならないものか。


 藤ノ宮さまは私の思いに気づくことはなく、黙々と歩いているようだ。


 試験前の放課後だけあって周囲に他の生徒はほとんど見かけない。時々すれ違った生徒からは視線を浴びた。藤ノ宮さまが前を歩き、私は手を引かれながら少し後ろを歩いていたので、はたから見ると私がどこかへ連れて行かれているように見えていただろう。間違ってはいないけれど、そんな風に思われてしまうとなんとなく恥ずかしい。


 このまま私は藤ノ宮さまの妹になるのだろうか。

 それは私が本当に望んだことなのだろうか。

 それに、藤ノ宮さまは私が妹になることについてどう思っているのだろうか。


 歩いているとそんなことばかり思ってしまう。確認する手立てもなければ、じっくり考える時間もないのに。


   ***


 生徒会室の扉の前に着いた。扉の上の『生徒会室』と書かれたプレートをみると数日前に初めてここに来たときのことを思い出す。


 あの時は、英玲奈えれなさんに連れられて来た。ここで待っていると、中から何人かの生徒が出てきて、『ごきげんよう』と挨拶を交わしたのだった。たしか生徒の中に新聞部員がいて、号外を書かれたんだっけ。


 私は念のため近くに新聞部員がいないか確認した。幸い誰かに監視されているようではなかった。


 藤ノ宮さまは扉の前で呼吸を整えている。


「余計なことは言わずに、私に話を合わせなさい。いいわね?」

「はい」

 はいと返事をしたのはいいけれど、この先どんな話が展開されるのか見当がつかなかった。


 アコールの届け出をするだけなのだから、きっと『はい』と相槌を打っておけば済む話だろうと軽く考えていた。


 藤ノ宮さまは私の手を握っていた手を離し、その手で扉を静かに開けた。


「失礼します」

 藤ノ宮さまが先に中に入り、私はくっつくようにして中に入った。


 生徒会室には何人かの生徒がいて談笑していた。私たちが中に入った途端、談笑がピタリと止まり、みんなが一斉にこちらに視線を向けた。そしておそらく藤ノ宮さまの姿を確認したからか、またすぐに各々の談笑の続きが始まった。生徒会長の東山とうやまさまがオリエンテーションの時と同じ席にいて、生徒会役員らしき先輩と会話しているようだった。


ゆかり、随分久しぶりじゃない。生きててよかったわ」

 藤ノ宮さまの姿を見て東山さまが言った。東山さまと会話していた生徒会役員らしき先輩は東山さまの側に立ってこちらを見ている。


「お姉さま、あんまりな言い草ですわ」

「だって、送ったメッセージがずっと未読のままだったし。生きてるなら返事くらいしなさい。未読なんて既読スルーより扱いが悪いんじゃなくて?」

「それは申し訳ございません。スマホの調子が悪かったもので」

「ほーう。それで、私に何か言いたいことでもあるのかしら?」


 東山さまと藤ノ宮さまは会って早々険悪そうにしていた。これから起こる嵐を予感させた。


「はい。アコールの届け出に参りましたの。志津、自己紹介なさい」

 藤ノ宮さまは強張った顔で私をみて言った。


「一年の黒崎志津です。よろしくお願いします」

 私はほとんど時間を空けずすこし早口で名乗ってから頭を下げた。急に自己紹介と言われても名前以外に言えることを思い浮かばなかったし、藤ノ宮さまの強張った表情が余計なことを言うなと念押ししているようだった。そういえば、初登校の日も教室で自己紹介したんだっけ。


「待ちなさい。四月中に妹を連れてくるという約束だったはずよね。今更遅いのよ」

「遅れましたけれど、こうして妹を連れて…」

「ダメよ。約束を反故ほごにするつもり?」

「だったら花組フルールはどうなさるのですか。私の代で終わらせるつもりなのですか」

「そんなことは望んでないわ。だから策を考えてあるの」

「策って…、まさか、あの号外は本当だったのですか」

「号外? ああ、あのセンスのない新聞?」

 東山さまは隣に立っている先輩の顔を睨んだ。先輩は微笑を浮かべて東山さまから顔を背けた。


「そうね、私が妹を作るのも悪くないわね」

「お姉さま!」

 藤ノ宮さまは声を荒げて叫んだ。


「まあそれは半分冗談だけど。このままだとあなたの隣にいる子が可哀想だから、そのことは一旦置いておきましょう。妹の話を聞いてあげてもいいわ」

 東山さまは私に目を合わせて微笑んだ。


 私ってやっぱり可哀想な子なんだ。それもそうだ。よくわからない言い争いに巻き込まれてるのだから。


「あなたたちってどういう接点があるのかしら? 昔からの知り合いってわけではないのでしょう?」

「え、ええ」

 東山さまは藤ノ宮さまに話す隙を与えずに質問した。藤ノ宮さまの返事は歯切れが悪かった。


「それにまだそれほど関わりもないはずよね。そんな二人がどうして姉妹の契りを結べるのかしら」

「志津からアコールの申し出があったのです」

「いつ?」

「志津の入学式の日です」


 話がまずい方向に向かっている気がした。入学式の日のことを聞かれたら、私はどう答えたらいいのだろう。それに東山さまは私の事情を知っているはずだから。


「黒崎さん、それは本当なの?」

「はい、間違いありません」

「それはおかしいんじゃない? 黒崎さんはあの日の記憶がないと言っていたわよね。それにアコールのことも知らなかったでしょう」

「それは…」


 やっぱり。

 私も藤ノ宮さまも詰まってしまった。

 東山さまにペースを掴まれた時点でこうなることは予想がついた。


「まるで話にならないわね。紫、あなたが仕組んだんでしょう。無知な黒崎さんをたぶらかして。こんなことをしても誰も幸せにならないわ」


「お姉さま、違うんです」

「もういいでしょう? こんな茶番は終わり」

 藤ノ宮さまは何も言い返さなかった。


「どうして私を信じてくださらないの」

 藤ノ宮さまの小声の呟きがかろうじて聞こえた。


 決して茶番なんかじゃなく、藤ノ宮さまは至って真剣なんだと思う。でも、信じてもらえないのか、伝え方が悪いのか。それに、私の記憶がないことまでが信用度を下げるのに加担しているのだろう。


 黙りこんでしまった藤ノ宮さまの手が触れた。


 震えてる。


 一瞬触れただけでわかった。

 恐怖か不安で言い返せない。信じてもらえない。

 悲しみが私にはわかった。私は胸が熱くなった。


 私は藤ノ宮さまの手をそっと握った。

 当然、藤ノ宮さまは気づいたようだった。

 冷たくて柔らかい手だ。


 握った手を通じて藤ノ宮さまに何か言ってもらおうと念を送ったのだけれど、藤ノ宮さまは黙ったままだった。

 私をここまで連れてきた意味はなんだったのだろう。考えるとまた胸が熱くなる。


 まだそれほど話もしていないのに、もう諦めてしまうのだろうか。こんなのわざわざ却下されるためにきたようなものではないだろうか。私はもっと胸が熱くなる。


 そして、さっきから続くこの胸が熱くなる感情の正体が明瞭になってきた。私は藤ノ宮さまに腹を立てているんだ。藤ノ宮さまの悔しさもわかるけれど、それ以上に、そんなに簡単に諦めようとしていることが腹立たしいんだ。


 私は東山さまを強い眼差しで見つめた。そして覚悟を決めて口を開いた。


「私がアコールの申し出をしたのは本当の事です。思い出したんです。あの時、藤ノ宮さまにお姉さまになってほしいとお願いしたんです」

 私は繋いだ手を通じて藤ノ宮さまから勇気をもらえている気がした。東山さまはまるで不意打ちを食らったような顔つきで私を見た。


「でも出会ってすぐでしょう? 理由がないじゃない」

「理由ならあります。私が藤ノ宮さまに一目惚れしたんです」


 生徒会室は時間が止まったかのように静かだった。談笑していた生徒たちはとっくに話すのをやめて私たちの言い争いに耳を傾けていた。

 藤ノ宮さまが沈黙している間も誰も何も喋ろうとはしなかった。そんな中、私の声だけが部屋の隅々にまで響き渡った。


 勢い余って言ってしまった。みんな引いてしまったかもしれない。そんなとってつけたような話があるはずないと言われるかもしれない。予想通り東山さまは呆れた顔をしている。


 自分で言っておいて言うのもなんだけれど、恥ずかしさのあまり時間が止まっていてほしいと願った。藤ノ宮さまもきっと恥ずかしい思いをしているだろう。けれど、恥ずかしさで体が硬直して藤ノ宮さまの様子を確認することはできなかった。


 まもなく周りからドッと笑いが起こってしまった。


「そうなんだー。相思相愛だ。おめでたいねー」

 東山さまの隣に立っている先輩が切り出した。


「ちょっと、口を挟まないで」

 東山さまは先輩に注意した。


「気持ちはわかったんだから、そう意地張らなくてもいいじゃない」

「意地なんて張ってないわよ。私は長女エネとして、紫のお姉さまとして、責任を果たそうとしているだけ」

「はいはい」

 厳しいことをいう東山さまもこの先輩とは打ち解けて会話しているようだった。

 先輩に割り込まれてしまった東山さまは、姿勢を立て直して、私たちとの会話に戻った。


「黒崎さん本人がいうのなら間違いないのでしょうね。では、紫は黒崎さんをどう思っているの?」

 みんなが藤ノ宮さまの返事を聞き逃すまいと、黙って聞き耳をたてている。私だって、この質問の答えをずっと聞きたかった。


「私は…、私は志津を妹にしたいと思っています」

「それが紫の意思ね。わかった」

「お姉さま…」


 藤ノ宮さまは目を細めて東山さまのことを見ていた。


 とてもあっけない感じに思えた。藤ノ宮さまの一言ですんなり認められたような気がする。きっと東山さまも、私も、藤ノ宮さまの本心を知りたかったんだと思う。


 気づけば藤ノ宮さまの手から震えは伝わってこなくなっていた。もう大丈夫なのだろう。私はゆっくりと手を離した。

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