第6話 ランチタイム

 今朝は水澄ヶ丘女学園新聞・号外について多くの生徒たちに囲まれ質問責めにあったのに、囲まれたのはその時だけで、それ以降は誰一人として質問してくる生徒はいなかった。


 もう関心が無くなったのだろうか、それとも元々それほど関心がなかったのだろうか? いずれにしても警戒しなくてよくなったのは好ましかった。


 こうして新聞について周りで話題になる事はなかったけれど、私としてはもう一人の当事者である琴葉ことはさんとは新聞についてじっくり話してみたいと思っていた。


 昼休み。早くもチャンスは訪れた。意外なことに琴葉さんからランチのお誘いを受けたのだ。


 琴葉さんは人気があって、何名かのクラスメイトからランチに誘われていたのに、先約があるからといって断っていた。私は席が隣なのでそういうやりとりを何度か耳にしていた。


 ところが本当は琴葉さんに先約などなかったようで、昼休みに入ってすぐに琴葉さんからランチに誘われた時は正直困惑してしまった。


「先約があるんじゃなかったの?」と聞いてみたら、琴葉さんは「志津さんと一緒に食べてみたかったの」と言ってはにかんだ。


 まだ二日目だけれどぼっち飯というのもつらい事ではある。こうしてお昼を誰かと一緒に食べるというのは心嬉しいことだと思った。


   ***


 私たちは陽光が射す中庭のベンチに座ってランチを取ることにした。私たちの他に生徒はまばらで、何脚か設置されているベンチの中で誰かが座っているのは私たちのいるここだけだった。ここなら周りを気にせず話すことができる。


 私たちは巾着袋からお弁当を取り出して膝の上で開けた。二人のお弁当はそれぞれ特徴があった。私のお弁当は母が作ってくれた昨日の晩の残りの具材が多めの手抜き…、もとい、時短弁当で、琴葉さんのお弁当は三色おむすびに手の込んだおかずが入っている彩り豊かなお弁当だった。


 私が琴葉さんのお弁当を観察していると「これはわたくしが作りましたの」と琴葉さんは嬉しそうに言った。


「すごい!」

「でも、志津さん騙されていると思うのですけれど、おにぎり以外は冷凍食品をレンジで温めただけですの」

「え!」

 続けて、「こんな美味しそうなのに」と口から出そうになったのをなんとか堪えた。


「引っ越して環境が変わりましたから、自分でお弁当作ろうって決めていますの。今まで料理なんてしたことがないから大変ですけど、お料理の本の通りにすればなんとかできそうな気がしますの。今日は冷凍物ばかりですけど」

 琴葉さんは茶目っ気たっぷりな笑顔で笑った。

「えらいなあ」

 私は琴葉さんに感心した。


「琴葉さんってなんでもできそうなイメージがある」

「まさか。買いかぶり過ぎです。今まで何もしてこなかったから、いざやろうと思ってもどうしたらいいかわからないし、うまくいかないことだらけですの」


 そんな苦労話をしている琴葉さんが生き生きしているように見えた。


 その後も他愛もない話をしながら一緒にお弁当を食べた。空になったお弁当箱を巾着袋に仕舞ってから、琴葉さんがポーチを探り始めた。


「わたくしとアドレス交換して下さらないかしら」

 琴葉さんはポーチからスマホを取り出し電源ボタンを押して画面操作をし始めた。スマホに付いた小さいストラップが三個くらいあって、互いに擦れて微かな音が鳴っている。


「私、スマホ持ってきてないよ」

「では自宅に?」

「うん。でも、スマホ持ってきてはダメなんじゃない? 校則に『時計以外の電子機器の持ち込みは禁止』って書いてあったし」

「ふふ。それは…」

「わかった。スマホは時計ですってこと?」

「そうではなくて、スマホは持ち込んでも大丈夫ですの。志津さん、校則の改訂内容が書かれた別紙はご覧になりまして? それによれば本年度から持ってきても良いことになっていますの」

「そっか。知らなかった。じゃあ明日持って来るからまたお願い」

「わかりました。では明日」

 琴葉さんはスマホの電源ボタンを押して画面をスリープさせてからポーチに仕舞い込んだ。


 スマホは高校生の必須アイテムだと思う。小学生から持っている子もいれば高校生になっても持たない子もいるけれど、私は水澄ヶ丘女学園の受験に合格したらお気に入りのメーカーの最新機種を持たせてもらうことになっていて、先日ついにスマホを手に入れたというわけだ。


 でも学校にスマホは持ってこられないので、せっかくのスマホも宝の持ち腐れになるのではないかと諦めていたところ、校則が変更されて持ってきてよくなったことを教えてもらえて嬉しくなった。


   ***


「それから今朝の号外について志津さんに謝らないといけなくて」

 琴葉さんは続ける。

「わたくしが生徒会室を出ると新聞部の棚橋たなはしさんという方から声をかけられていろいろ質問されましたの。わたくしは急いでいましたので適当に答えてしまいましたから、棚橋さんを誤解させてしまったかもしれません。東山さまと志津さんが密談していたかのように書かれてしまったのはきっとわたくしが原因なんです」

「なんだ、そんなこと。全然気にしてないから。それに琴葉さんに原因があるなんて思ってないよ。あれは憶測で書かれた記事だってこと当人ならすぐわかるもの。それに、琴葉さんこそ嘘を書かれてるわけだから、同じ被害者じゃない?」

「それはそうですけれど、わたくしはほとんど無害ですし。志津さんはみんなに囲まれているとき困ってそうにしていましたから」

「心配してくれてありがとう。確かにあの時は皆から質問責めにあって困ってしまったけど、今度はうまく対処してみせるから」

 私は去勢を張ってみせた。


 でも、できることなら二度と囲まれたくはない。


「琴葉さんは、新聞に書かれてあったアコールって知ってる? 水澄ヶ丘女学園の伝統らしいんだけど」

「ええ。アコールは清心女学園にもありました。それが姉妹関係を結ぶ制度だということも知っています」

「前の学校でもそういうのあったんだ!」

「全国的にも伝統校には呼び名は違いますけれど姉妹関係を結ぶ習慣があると聞いたことがあります。珍しいものではないみたいです」

「琴葉さんはお姉さまを作れって言われても抵抗はない?」

「わたくしは制度をとやかくいうつもりはないですけれど、強制されるのは承服できないと思っていますの。この学園に面識のある先輩方はいませんし、今後も先輩方とはお付き合いすることもないと思いますし。だからそういうのには参加せずやり過ごそうと思っていますの」


 なんだか意外。

 皆の前で「共に励んでいきましょう」と前向きな挨拶をした人が、今度は「やり過ごそう」と逃げるような言動をしている。琴葉さんのことはまだよくわからない。


「でも、英玲奈さんは『生徒の義務』だって言ってた」

「それは本当のことみたいです」

 琴葉さんはポーチを開けA5サイズ位の生徒会規約と書かれた小冊子を取り出してページをパラパラとめくり出した。


「ここをご覧になって」

 琴葉さんは生徒会規約の開いたページを私に見えるように差し出した。


   ***


『水澄ヶ丘女学園 高等部 生徒会規約』

『第○○章 アコール』

『第△△条 会員はアコールに所属しなければならない。』

『第△△条 会員は複数のアコールに所属することはできない。』

『第△△条 会員はアコールに所属した旨を会長に届け出なければならない。』


   ***


 英玲奈さんがいう『生徒の義務』というのは間違ってはいなさそうだった。それにしても、それを知っていながらやり過ごそうとしている琴葉さんって強い人だなと思ってしまう。


 この義務に従わなかったらどうなっちゃうんだろう。従おうという意志があっても、お姉さまが見つからなかったら義務を果たせないことになるけれど?


「志津さんはどうなさるの?」

 琴葉さんは、差し出された生徒会規約のページを読んでいる私の顔をのぞきこんで問いかけた。


「ご縁があれば。知ってる人いないから全然あてはないんだけどね」

 私は生徒会規約の小冊子を閉じて琴葉さんに手渡した。

「志津さんならいい人が見つかる気がします」

 琴葉さんは照れながらこちらを見ている。

 どうしてそういう気がしたのか知りたかったけれど、きっとただのリップサービスだろうから、理由は聞かなかった。


 アコールについて琴葉さんの思いを知ることができた。アコールに対して琴葉さんは否定的で、私は肯定的だった。考え方は対極にあるけれど、きっとお互いに意見を尊重しているから、相容れない関係にならなくて済むだろう。


   ***


「でも、わたくしたちはそれどころではないはずです。来週から始まる中間試験の対策はどうなさいますか?」

 琴葉さんは胸に手をあててこちらを見つめている。


 考えたくないことを聞かれてしまった。琴葉さんがいうように、お姉さまを探すどころじゃない。それは二の次で、試験勉強を最優先にしなければまずいことになる。中間試験まであと六日しかないのだ。いまの実力だと赤点は確実かなと思う。


「それ考えたくないなぁ。もう時間がないから対策のしようがないもの」

 私は足を伸ばして空を見上げた。


「あきらめてしまいますの?」

「あきらめてないよ。だから…」

 私は言葉に詰まった。


 やはり休養中に勉強しなかったのはまずかった。つい昨日授業についていけなかったことを悔やみ、これから徐々に勉強の遅れを取り戻そうと思っていたのに。五月中旬から中間試験があるなんてことは全く思いも寄らなかったわけで。


「やるだけのことはやってみる」

 私は自分に言い聞かせた。


「琴葉さんはどう?」

「わたくしも前の学校であまり授業を受けられなかったから、正直に言って自信がないです」


 私たちは今後起こるであろう補習、追試、課題提出という名の悲劇を想像してため息をついた。

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