第5話 ゴシップ

 初登校の日の翌日。


 登校すると一年一組と二組の教室の境目の辺りに人集りが出来ていた。


 校舎の昇降口から入ってすぐのところに一年一組の教室がある。隣が二組の教室で、その中間に何かがあるとも思えないのだけれど、どういうわけか廊下に沢山の生徒がいて、何やら盛り上がっているようだった。


 それを横目に教室に入ろうとしたとき、「来た」という叫び声が集団から聞こえてきた。


 ん? 何が来た?


 女子が集まって盛り上がり、誰かを待っている様な素振りは、学園の有名人とか憧れの先輩とか、そういった人が来るのを待つファンの光景に違いない。


 私もつい周囲を見回して誰が来たのか確認した。でも私の他に廊下を歩く生徒は誰もいなかった。多くの生徒の視線は私に向けられているようにも思えたのだけれど、心当たりはなかった。私は首を傾げてその足で教室に入ろうとした。


志津しずさん、ちょっと」

 偶然目があったまだ会話もしたこともないクラスメイトが私を呼び止めた。私は何かやらかしてしまったのかという思いが頭をよぎった。


 不安な気持ちのまま人集りの方へ行ってみると、先ほど私を呼び止めたクラスメイトが「これを見て」と言って壁の方を指さした。示された先には掲示物が貼られていて、最初に目に入ったのは『号外』の文字だった。


「号外って?」

 私は思わず呟いた。クラスメイトは「あなたのことが書かれてあるの」と教えてくれた。確かに。『号外』の次に『黒崎』の文字が目に入ってきた。気になって、周りのことを気にする余裕もないまま、私は食い入るように掲示物の全体を読み始めた。


   ***


『水澄ヶ丘女学園新聞 五月○日号・号外』

花組フルール長女エネが妹候補に接近か?』


 花組フルール長女エネである東山とうやま未景みかげさんが新入生二人を生徒会室に呼び出しアコールへの加入を要請したのではないかという情報が当編集部の記者から寄せられた。

 話題の新入生とは、入学式の日に失神して療養していた一年一組の黒崎くろさき志津しずさんと、姉妹校の清心女学園から転入してきた同じく一年一組の結城ゆうき琴葉ことはさんである。彼女たちは東山さんから呼び出され生徒会室に入っていくのを記者が目撃している。

 記者はこう証言する。

『放課後、私は生徒会室にいたんですが、生徒会長からオリエンテーションをするからと言われて、部屋にいた人全員部屋から締め出されたんです。私たちが部屋を出ると一年の黒崎さんと結城さんが生徒会室に入っていきました。オリエンテーションをするだけなのに私たちを部屋から締め出す必要はあるのでしょうか。不審に思った私は部屋の外から様子を覗っていました。しばらくすると結城さんだけ部屋から出てきました。私は記者として結城さんをつかまえて中で何を話していたか問いただしました。結城さんはオリエンテーションの説明を受けていたと言い張りました。そして、黒崎さんが出て来ないのはどうしてか問いただしました。結城さんは東山さまから話があるということで残ってるんだと話しました。続いて、東山さんと黒崎さんは中で何を話してるのか聞こうとしましたが結城さんは急いでいるからと言って逃げるようにして足早に行ってしまいました』

 記者の証言からこう予想する。東山美景さんはオリエンテーションの名目で新入生を呼び出し、花組フルールへ迎え入れようと要請した。しかし、結城さんから早々に断られたため、本命を黒崎さんに絞ったのではないか? そして結城さんを先に帰し、黒崎さんと二人っきりで秘密の話を行ったのではないか?

 長女エネが自ら一年生の妹を探すのは前代未聞である。しかし、そうまでするのにはご存じの通り花組フルールの存続がかかっていることが大きな理由であろう。もう五月である。東山さんは焦っているのではないだろうか。

 当編集部は今後の動向を注視しながら取材を継続したいと思う。アコールはとてもデリケートな話であるため、皆さんには余計な詮索などしないようにご協力を賜りたい。


   ***


 え? えええぇぇーー、何これ??


 読んでいる途中から変な笑いがでそうになったけれど、品のない笑い方をするのはこの学園に相応しくないと思うので我慢した。水澄ヶ丘女学園新聞という堅苦しい名前とはかけ離れている目の前の掲示物は、新聞というより怪文書の類、あるいはゴシップ雑誌の切り抜きといった方が的確かもしれない。


 ちょっと興味をそそる内容だからこんなに人が集まっていたのかと理解はしたけれど、自分のことを書かれるのはあまり気分が良くない。それに東山さまとは雑談しただけで、アコールの話なんてされた覚えはない。でも、遠回しにそんな話をされていたのだろうか? 混乱してきた。


 昨日の放課後の出来事がこんな形で記事になって新聞として掲示されているのをみると、ちょっと恐ろしくなってくる。


 私が新聞を最後まで読み終えて一考していると、静かに見守っていた周囲の生徒たちがだんだんざわつき始めた。そして、ここぞと言わんばかりに一斉に質問をし始めた。


「ねえねえ、ほんとに要請があったの?」

「妹になるの?」

「琴葉さんはどうして断ったの?」

「みんな詮索しちゃダメよ。それで何て返事したの?」


「ちょっと待って」


 周囲の生徒たちから矢継ぎ早に質問をされてきてどう処理していいかわからない。実質二日目の学園生活でまだ皆から知られていないはずの私がこんな風に注目を浴びてしまうのは想定外だった。


 間違っていることは間違っていると言った方がいいだろう。でも、考えがはっきりまとまらないけれど、この記事はなんだか引っかかる。


「えと、ちが…、違うの」


 周囲の勢いに押されて私はしどろもどろになりながら、曖昧にしてやり過ごそうとしたのだけれど、どこからか悲鳴が湧き上がり周囲が一層騒がしくなったので、私の声はかき消されてしまった。そのうち興奮したクラスメイトが私の袖を掴んで問いかけてきた。


「東山さまから呼びだされたのは本当なんでしょう? それで妹にならないかって言われたんでしょう?」

「いえ、そんなことは…」


 やっぱり本当のことをありのまま話そう。


 けれど、すぐに言葉が出てこなかった。


「みんな、ホームルーム始まるから教室に入って」と学級委員の英玲奈さんが声を張り上げた。廊下に集まっていた生徒が一斉に声のした方向を見て、英玲奈さんが教室の窓から顔を出してこちらを睨みつけているのを認識すると、みんなそそくさと教室に入り始めた。


 私は皆の後について行ったので最後に教室に入った。英玲奈さんは私が教室に入るのを見届けるまでこちらを見ていた。


 英玲奈さんが声をかけていなかったら私はクラスの皆から質問責めに遭い耐えられなくなっていたかもしれない。


「ありがとう」

 私は英玲奈さんに助けてもらったお礼を言った。

 英玲奈さんは険しい顔のまま「どういたしまして」と言った後、自席に座った。


   ***


 一時間目の授業が終わり五分休憩が始まってすぐに英玲奈さんがやってきた。


「志津さん、琴葉さん、新聞のことは気にしないでね」

「わたくしは全然気にしていませんわ」

 琴葉さんはクスリと笑って答えた。


 どうやら、私より早く登校した琴葉さんもあの集団から新聞のところまで呼ばれ、私と同じように多くの生徒たちから質問責めにあったらしい。しかし琴葉さんは質問にはまともに答えず、受け流し続けたそうなのだ。


「琴葉さんは流石よ。それに引き換え、志津さんはまだまだね。こういうのは完全無視するかうまくかわして行かないと。まともに受けてちゃ騒ぎが大きくなるだけよ」

「うん」

 私は英玲奈さんのダメ出しに意気消沈して頷いた。


「わたくし、志津さんが囲まれているところを遠くから見ていましたの。ちょっと可哀想かなとも思ったのですけれど、志津さんの棒立ちになった姿がおかしくって見惚れてしまいました。あの時の志津さん、絶対魂が抜けてたんじゃないかしら」

 琴葉さんは口に手をあてて嬉しそうにしている。


「もう、見てたなら助けにきてよ」

「ごめんなさい。今度は助けますから」

「それはそうと、あんな新聞誰が作ったの?」

「新聞部よ。普段は週刊で新聞を発行してるんだけど、面白そうなネタがあると記事にしてあんな風に号外を発行するのよ。中等部の新聞部と同じで幼稚よね、まったく」

 英玲奈さんが腕組みして説明してくれた。人差し指をトントンしている仕草からイラついているようだった。


「それにしてもあのような個人的な内容の記事を書いてもよろしいのかしら?」

 琴葉さんが不満気に尋ねた。


「まあアコールは学園公認の制度だからそれを記事にすることは問題ないのよね。現に、四月にアコールに入った一年生はみんな学園新聞で紹介されたんだから」


 新聞のネタになるくらいアコールって大きな存在なの?


「あの時嫌な予感がしたから釘を刺しておけばよかったって後悔してる。新聞にも書いてあったけど、昨日、生徒会室に新聞部員がいたっていうのは本当。二人が生徒会室に入る前に入れ違いで何人か生徒が出てきたでしょ。あの中にいたの」

「もしかして新聞部の人が部屋の外から盗み聞きしてたの?」

 私は琴葉さんと目を合わせた。琴葉さんは驚いた様子で手で口元を覆った。


「さすがにそこまではしなかったと思う。聞かなくたってあれ位の記事は憶測だけで書けそうだし。きっと東山さまが人払いで部屋から追い出しちゃったから怪しまれたんだと思う」


 英玲奈さんの推理は一理あると思った。


 英玲奈さんは腕組みしてしばらく考え込んだ後「そうそう」と言って顔を上げた。


「新聞部があなたたちの身辺を嗅ぎ回っているかもしれないから気をつけて。もし、しつこく付き纏われたときは私に言ってくれれば生徒会に通報してあげるから。業務連絡は終わり。じゃあ」

 英玲奈さんはこちらの返事も聞かないまま、振り返って自席に戻っていった。


 気をつけろと言われても、何をどう気をつければいいのかさっぱりわからない。とりあえず新聞部の記者に遭遇しないようにすればいいのだろうか。さりとて、昨日生徒会室から出てきた生徒たちの中に新聞部員がいたんだとしても、顔なんて全く覚えていない。


 新聞についてはわからないことだらけだ。花組フルールの存続がかかっているとか、東山さまが焦っているとか、書かれてあったっけ? 事情がわかりそうな英玲奈さんはもう行ってしまったし、琴葉さんは私と同じでわからないだろうし。かといって、周りの誰かに聞いてみようものなら、また質問責めにあうかもしれないし。


 あれこれ考えているうちに二時間目を迎えてしまった。

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