第4話 アコール
生徒会室の鍵を戻しに行った
「お待たせ。行こっか」
「うん」
私と英玲奈さんは横に並んで廊下を歩き始める。体育会系の部活のかけ声が校舎の窓を伝わって耳に入ってくる。
「
英玲奈さんと一瞬目があったけれど、すぐに前を向いて廊下を進む。
「
「うん。確かあれは勘違いって言ってたっけ」
「いいえ。勘違いなんかじゃないと思うのよ」
「どういうこと?」
「志津さんは高等部から入ってきたから知らないと思うんだけど、高等部にはとても大事な伝統があってね…」
廊下を歩きながら高等部の伝統について英玲奈さんが詳しく説明してくれた。英玲奈さんの説明を要約するとこんなことらしい。
***
水澄ヶ丘女学園にはアコールという生徒同士が結びつく伝統がある。アコールはフランス語で同意という意味だそうだ。
その昔、ここが高等女学校と呼ばれていた時代、上級生が親代わりとなって下級生の面倒を見る事が当たり前だった。そのためお世話をする上級生とお世話をされる下級生が深く関わり合う事が必然となった。それは何年もの間続いていき、やがて伝統となっていった。
また長い歴史の中で、世代の違う生徒が共に過ごすことをいつの頃からかアコールと呼ぶようになった。アコールとは言い換えるなら、世代の異なる生徒たちが同意して集まった小さな家族、あるいは姉妹というわけだ。
そして、それぞれのアコールを区別する為に
規律と礼儀を重んじる水澄ヶ丘女学園の運営には、生徒の自主性から生まれたアコールの存在が欠かせない。水澄ヶ丘女学園の校則が他校のより緩く定められているのは、アコールで結ばれた生徒の上級生が規律と礼儀をしっかり指導するという伝統が代々受け継がれているからだ。
アコールは学園が定めたルールではないのだから校則には記載されていないし、学園はその運用に関与していない。元々生徒の自主性によって生まれたルールなのだから、生徒の代表である生徒会が取り仕切っている。そのため生徒会規約にはアコールのことが記載されているのだそうだ。
***
「話が長くなっちゃったけど、要するにこの学園で『お姉さま』『妹』と言ったらアコールの姉と妹のことになるの」
「じゃあ、東山さまが言ってたのは『アコールのお姉さまに挨拶したか』ということ? だとしても私にはそういう『お姉さま』はいないから大勢は変わらないんじゃない?」
「この際、挨拶は関係なくて。きっと東山さまは志津さんにお姉さまがいるかどうか確かめたかったんだと思う」
「確かめてどうするつもりだったんだろう?」
私は素朴な疑問を投げかけたのだけれど、英玲奈さんはうつむいてしまった。英玲奈さんの言う通りだとしても、どうしてそんな回りくどいことをするのだろうか。
「ごめんなさい。東山さまの真意はわからない」
英玲奈さんは申し訳なさそうに言った後、ずっとうつむいたまま廊下を歩いていた。
英玲奈さんはたいそうな話のように喋っていたけれど、特段重要な話ではない気がした。第一、お姉さまとか妹とかいわれたって私には無縁の世界なのだから。
ただ英玲奈さんがわざわざこの話をしたのには何か理由があるのではないかと思った。
***
私たちは会話している間に上履きから靴に履き替え、校舎を出て校門へ向かっていた。微かに聞こえていた体育会系の部活のかけ声は幾分明瞭に聞こえてくるようになった。英玲奈さんとは家が反対方向で、しかも私は徒歩で英玲奈さんは反対方向のバス停までが徒歩なので、校門を出るまで歩いたらそこでお別れとなる。
多少の不安はあったものの何事もなく無事に一日目が終わる。校門に近づくにつれ、今日の出来事を思い起こしながら歩いていた。
「ああ、琴葉さんにもアコールのこと伝えなきゃ」
英玲奈さんが急に歩みを止めて思い詰めたように叫んだ。私はちょっと遅れた分だけ前へ進んでから立ち止まり、英玲奈さんの方を振り返った。
私に説明してくれたように琴葉さんにも水澄ヶ丘女学園の伝統であるアコールのことを伝えなければならないという、学級委員の務めを果たす決意表明をしたかのような叫び声だった。でも英玲奈さんの表情からはもっと大事な思いがあるように見えた。
「志津さん、よく聞いて」
英玲奈さんは興奮してツインテールを小刻みに揺らしながらこちらに迫って来た。
「ど、どうしたの?」
私は英玲奈さんの気迫に押されて後退りした。でも私は英玲奈さんの緊迫さとは程遠いくらい冷静ではあった。
「転校生の琴葉さんも勿論だけど、志津さんだってこの学園に入ったからにはどなたかお姉さまと契りを結ばないといけない。でも、この学園に親しい先輩はいないでしょう? まずはお姉さま候補となる先輩と知り合いになって、それからアコールの申し出をして認められる必要があるわ。私協力するから、明日から頑張っていこう」
英玲奈さんは興奮冷めやらぬといった感じで、前のめりの体勢で私を見ている。
「いやいやいや、ちょっと待ってよ。私そういうのまだわからないし、しばらく様子を見てからでも」
と返したものの、本音を言えばあまり乗り気ではなかった。アコールのお姉さまよりも、授業についていけるようにならないといけないし、部活も探さないといけない。私には優先してやるべきことが多い。
「そんな悠長な事言ってられないわ。アコールは生徒の義務だもの。お姉さまをつくらない生徒なんて誰もいないし、あなたを導いてくれる大事な役割を果たすのはお姉さまだけなの」
英玲奈さんは益々興奮している。
「わかったから落ち着いて。英玲奈さん、心配してくれてありがとう。アコールのことは自分で何とかするから」
私はちょっと強めの口調で英玲奈さんに言った。英玲奈さんはハッと気づいたように目を見開いたまま沈黙した。英玲奈さんが心配してくれているのは嬉しいけれど、内容が内容だけに、実際にやるならば慎重に事を運ばなければならないのは明らかだろう。
「志津さんごめんなさい。言い過ぎちゃって」
「ううん、平気。まずはお姉さまになってくれそうな人を見つけるんだよね?」
英玲奈さんは何も言わずただ頷いただけだった。
私は英玲奈さんがアコールやお姉さまの話をした理由がわかった気がした。確証はないけれど、本来東山さまがするはずだった話を、英玲奈さんが代わりにしたのではないかと思った。それが東山さまを補佐する役割としてなのか、学級委員の役割としてなのか、それとも英玲奈さん個人の想いとしてなのか、わからないけれど。
***
水澄ヶ丘女学園の敷地は中高併設校だけあって相当広い。中等部と高等部は同じ敷地内にあるもののそれぞれに施設があり、催し物が執り行われる講堂だけが中高の共用施設となっている。各施設は通路で繋がっていて周囲はほとんど木々で囲まれているので大雑把にいえば森の中に建物が点在していると説明した方が早いかもしれない。
校舎から校門まで普通に歩いても五分はかかるだろう。でも英玲奈さんと話し込んでいたから自然と歩幅は狭くなり、十分くらいは余計に時間がかかっていた。
「英玲奈さんはお姉さまいるの?」
「いるわよ。当然」
英玲奈さんは「これ」と言って自分の胸元を指し示した。目を向けると、英玲奈さんの胸元にくっついている三日月の形をしたアンティークなピンバッジを
「月?」
「正解。私は
「へえー。そういうのってみんな身につけているの?」
「だいたいそう。アコールによって様々だけどみんな証を持ってる。ピンバッジ、ネックレス、組紐、ヘアピン、髪飾り、…色々。あまり目立たないからわかりにくいんだけどね」
みんなそれぞれの証を身につけているなんてこと、英玲奈さんに説明されて初めて認識した。みんな同じ制服と靴を身につけているから、顔と髪型、身長以外は同じだと勝手に思い込んでいた。
「そうなんだ。じゃあ、英玲奈さんはお姉さまをどうやってみつけたの?」
「うーん。あれ? 志津さんもだんだんお姉さまに興味が湧いてきた?」
英玲奈さんは話を逸らし、首を傾げてニヤけている。
「ま、まあ、それなりに」
私は苦笑いして返す。でも多少なりとも興味が湧いてきたのは事実だった。
「私はお茶会を通じて出会ったの」
「お茶会!?」
思ってもみない答えが返ってきたのでつい大声が出てしまった。お茶会というお嬢様が好みそうなワードが出てくると心が躍ってしまう。
「詳しい事は省略するけど、生徒会主催のサークル活動のことをお茶会と呼んでいてアコールの相手探しの場にもなってるの」
「みんなそこで相手を見つけるんだ」
「お茶会で相手を見つけるのは少数派。大体、部活や委員会で一緒になったとか、昔から知ってるとか、そういうのが多いかな。まあ出会いのきっかけは人それぞれ千差万別よ」
「なるほど、いろんな出会いがあるんだ。みんなもこれから出会っていくのかな」
「もう、まったく呑気ね。あなたと琴葉さん以外はみんなとっくにお姉さまがいるわよ」
「そうなの!? でもまだ入って一か月じゃない? 早すぎるよ」
「早くなんかないわよ。ほとんどの生徒は中等部の時にお姉さまを見つけて内定をもらってる。だから高等部に上がったらすぐお姉さまと契りを結ぶの」
英玲奈さんは胸を張って答えた。
考えてみれば確かにそうだ。中高一貫校なのだから中等部の頃から先輩と知り合ってても不思議じゃないし、知り合う機会も多いだろう。
「志津さんと琴葉さんはこれから探すわけだし大変だと思う。応援してる」
「うん」
私は自信なさげに小さくうなずいた。
私たちは既に校門を出ていて、校門の前で立ち話している状況だった。英玲奈さんは時計を確認しながら「バスの時間だから行くね」と言って歩き出した。私たちはお互いに「ごきげんよう」と挨拶を交わして別れていった。
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