第3話 ティーブレイク
東山さまが口を開いた。
「
「はい、
東山さまの呼びかけに応じて英玲奈さんはすぐに席を立ち、奥に向かっていく。私は英玲奈さんの向かう先をじっと見つめていた。「いつものやつ」とは何だろうかという疑問はあったけれど、それよりも英玲奈さんが「いつものやつ」と言われただけで反応できる程、東山さまと近しい間柄なのだろうかという事が気になった。
「あの。ひとつ聞いてもよろしいでしょうか」
現状の生徒会室の静けさを紛らすように、私から声をかけてみた。
「ん? 何かしら」
「松岡さんは生徒会の役員をしているのでしょうか」
「英玲奈ちゃんは生徒会役員ではないのだけど、生徒会のお手伝いをお願いしているの」
「どうしてお手伝いを?」
「人手が足りないから毎年何名かの一年生に手伝ってもらってるの。英玲奈ちゃんは生徒会役員をしている二年生の子の妹だから適任だと思ってお願いしたのよ」
「そうなのですか」
「ひょっとして黒崎さんも生徒会の仕事に興味ある? 手伝ってくれるなら大歓迎だけど」
東山さまはちょっと悪びれた様子でにやけている。
「い、いえ。私はまだちょっと、その、遠慮しておきます」
「そう? それは残念」
別に生徒会に興味がないわけではないのだけれど、今は部活をどうするかや、勉強の遅れをどう取り戻すかを考えることが先決なのだから、生徒会を手伝うなんてことは到底考えられない。
「お待たせしました」
英玲奈さんが戻って来て何かをテーブルに置くとガチャンと小さな音が鳴った。それはおぼんの上に乗せられた小花柄のティーカップと白銀のスプーンがぶつかって鳴る甲高い音だった。
英玲奈さんが急須よりも一回り大きなティーポットを両手で持ち上げ、三つのティーカップに赤茶色のお茶を注ぎだす。するとわずかに白い湯気が湧き上がりほろ苦い紅茶の香りが漂ってきた。続いて三つのソーサーそれぞれにスプーンを静かに乗せて三杯の紅茶が出来上がった。ソーサーもティーカップとお揃いの小花柄で全体として調和がとれていた。
英玲奈さんは、東山さま、私、英玲奈さんの順に紅茶を配膳していった。私は英玲奈さんの手際の良い所作に見惚れてしまい、ついお礼を述べることさえ忘れるところだった。
「だいぶん様になってきたわね」
「毎日鍛えられてますから」
東山さまから褒められた英玲奈さんはそんなの当たり前ですと言わんばかりの自信に満ちた顔で返答して自分の席に着いた。
「いただきましょう」
東山さまはティーカップのハンドルを摘んで持ち上げた。
東山さまは紅茶を一口飲むと「やっぱりこれよね」と、私と英玲奈さんに向かって声をあげた。英玲奈さんも一度は口をつけ、置いたティーカップをじっと見つめていた。私は二人が先に紅茶を飲むのを見届けてからティーカップを手に取った。紅茶は砂糖も何も入ってないストレートティーで、
予期しなかったティーブレイクのおかげで重苦しかった生徒会室が一変した。
***
淹れたての紅茶を皆で飲みながら緩やかな時が流れていたところで、東山さまから唐突に質問を受けた。
「そういえば、黒崎さんはお姉さまに挨拶されたのかしら?」
「え? 東山さまのお姉さまに挨拶、ですか?」
あまりに突拍子もない内容だったので、思わず聞き返した。
「ふふふ、違うわよ。あなたのお姉さまによ」
「あのー、あいにく私は一人っ子でして、姉はいません」
「え!?」
東山さまは驚いて声をあげた後、私の返答が腑に落ちないようで頭をかしげて何か考えているようだった。英玲奈さんは引き
あれ? 私なにかおかしなこと言ったかな?
少しの沈黙が続いた後、「東山さま」という英玲奈さんからの呼びかけに気づいて東山さまは我に返った。
「私の勘違いだったみたい。変なこと聞いてごめんなさい。そうそう、黒崎さんといえば入学式は大変だったんじゃない?」
また唐突に、今度は入学式の話題が振られてきた。
「ええ、その日は校門付近で倒れてしまって救急車で搬送されたという話を後から聞きました。ただ、私自身その日のことはあまり覚えてないんです」
「そうなの? 実はその時生徒会のメンバーが校門付近に居合わせたの。で、目の前であなたが倒れたものだからその子混乱して大騒ぎだったわよ」
「それは申し訳ありませんでした」
私は心から申し訳ないという気持ちだった。聞くところによると私が倒れたせいで学園内で混乱が生じ、入学式があわや中止になるんじゃないかという事態にまでなったそうなのだ。なんとか事態は収拾したものの混乱の影響で入学式の開始が一時間も遅れたそうだ。
「気にすることはないわ。あなたが悪い訳ではないのだし。ただちょっと教えてほしいのだけど、どうして倒れたのかしら?」
「倒れた理由ですか? 理由はわからないです。私もその時の事を覚えてないんです。なにせ朝家を出たっていう記憶はあるのですが、気付いたら翌日になってて、周りを見たら自分が病室で寝てるって事を認識したくらいです。それに病院で検査しても倒れた原因はわかりませんでした」
「そう…」
東山さまは何か言いたいことを押し殺して黙ってしまった。東山さまがどうしてそんなことを聞くのか不思議ではあるけれど、実を言うと私の方こそ倒れた理由を知りたい。
一つだけわかっている事は、倒れたのは長い間私を悩ませている病気のせいということだろう。それは何かの拍子に気を失ってしまう病気で、いつ起こるかわからない、何がきっかけで起こるかもわからない、おかしな病気なのだ。
もしかしたら病気の原因を探る手がかりが見つかるかもしれないと思った。そんな望みをちょっとだけ抱いて試しに問いかけてみた。
「私が倒れたときどんな状況だったかご存知でしょうか」
「あの日は生徒会の二、三年生が学園からの要請で受付と式場案内をしていたの。私も近くにいたのだけど、あなたが倒れるところは見ていないわ。唯一居合わせた子がいたのだけれど、ショックを受けてしまったみたい」
「居合わせた人というのは?」
「二年生の生徒。最近ちっとも顔を見せないわね。彼女が何か事情を知ってるかもしれないけれど、その時のことがトラウマになっているみたいなの。だからあまりこの話は…、もう聞けないわね」
東山さまがその二年生の生徒を心配しているのが伝わって来た。なんとなく東山さまもこれ以上話したくないのではないだろうかと思った。
「大丈夫です。ご迷惑をおかけしたのは私の方ですし。これ以上のことは聞きません」
私は東山さまの気持ちを察してこれ以上のことは聞くまいと決心した。生徒会で二年生の生徒ということがわかっただけで十分。いつかその方とお話しできる機会があるかもしれない。望みは薄いかもしれないけれど。
ここで部屋の壁掛け時計から時報を告げる音が鳴った。見るとちょうど五時を指していた。
「もう時間ね。ここまでにしましょう。黒崎さん付き合ってくれてありがとう。またお話ししましょう」
東山さまは席を立ちカバンを手に取った。私と英玲奈さんには目もくれずに急いでドアに向かって行く。
「英玲奈ちゃん鍵お願いね。では、二人ともごきげんよう」
と言い残し東山さまは行ってしまった。再び静まり返った生徒会室に私と英玲奈さんが取り残された。
***
「ふうー、終わったー」
緊張の糸が切れた様子で英玲奈さんが大きく息を吐いた。私はというと急に話が打ち切られた感じがあって少々戸惑ってしまった。
「なんだか急展開だった」
私は率直な感想を呟いた。
「東山さまっていつもああなのよ。サバサバしてるっていうか淡白っていうか。掴みどころのない人」
英玲奈さんがティーカップを片付け始めたので「私も手伝う」と言って私もティーカップをおぼんの上に置き、英玲奈さんと一緒に運んだ。
生徒会室の奥に行くと水道と電気ポットが置かれた小さなスペースがあった。ここが英玲奈さんが紅茶の下ごしらえをしていた場所だろうということは容易に想像がつく。英玲奈さんが慣れた手つきでビニール製の手袋をはめて使い終わった食器を洗い始めた。
「私は洗ってるから
英玲奈さんは食器棚の横に吊るされたふきんを手に取り、絞って水切りしたものを私に手渡してきた。私は言われるがままテーブルを拭きに向かった。
私がテーブルを拭いて戻ってきたときには、英玲奈さんが洗剤のついた食器を水洗いしているところだった。
「紅茶が飲めるなんて恵まれた環境だね」
「この部屋? 元々は第二応接室といって学園のお客様を招くための部屋だったらしいわ。なので色々整ってるでしょ?」
「なるほど」
生徒会室は生徒が使う部屋にしてはちょっと場違いな雰囲気がある。高級そうな家具が置かれているし、水道も使える。英玲奈さんの説明で納得した。
「志津さん、手伝ってくれてありがとう。この後、鍵を返却してから帰るけど、そこまで付き合ってくれる? できたら一緒に帰ろう」
「うん、わかった」
喜んで。
生徒会室に来るまでの道程をはっきり覚えているわけではなかったので、ここで別れたとしてもすんなり校舎を出られるという自信はなかった。少なくとも教室から生徒会室までの行程は入り組んでいたように思える。なんだかこの学校はとても広くてわかりにくい。
英玲奈さんは食器を淡々と洗っている。私は英玲奈さんの横で食器についた洗剤が水に流されていくのをしばらく観察していた。ふと見上げると、英玲奈さんの髪が星形のアクセントの付いたゴムで綺麗に束ねられているのがわかる。そうして仕上がったツインテールが時折りゆらゆら揺れていた。
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