第2話 生徒会室
放課後。
やっと終わった。それが率直な感想。
本日最後の授業が終わり気が緩んで思わず背伸びしてしまった。授業が嫌だったわけではないけれど、緊張していたためか終わったときの解放感が気持ち良かった。
放課後は生徒会室に行く予定となっていて、案内役の
授業から解放されても心は晴れず、私は机に突っ伏した。予想していた事とはいえ、今日の授業にほとんどついていけなかったという事実には少なからずショックを受けていた。特に二限目の数学なんて、四月で行う授業を理解していないとさっぱりわからない内容だった。数学以外は理解度がどれくらいか自分ではわからなかった。
とりあえず言える事は休んでいる間に勉強しておけばよかったということ。失敗したかも。
いくら入院していたとはいっても、時間は十分にあったはずなのに、病室に学園の道具は一切持ち込まなかった。そして退院して自宅療養になっても、自宅で教科書を開いたことは一度もなかった。
遅れを取り戻せるだろうか。わからないままついていけなくなるのではないだろうか。僅かな不安を感じる。しかし、後悔しても遅い。
突っ伏したまま周囲の音を聞いていると、段々クラスメイトの声が遠くなっていく感覚がした。
***
「ちょっと
遠くから名前を呼ばれていることに気がつくと「はい」と返事をして起き上がった。英玲奈さんと
「大丈夫? ずっと反応がなかったから気分でも悪いのかと思った。それか、入学式の時みたいに倒れてしまったんじゃないかって」
と英玲奈さんは言った。
「大丈夫。ごめんなさい。私、寝ちゃってた」
「お疲れだったかしら」
琴葉さんが胸に手をあてて呟いた。英玲奈さんは呆れていたけれど、二人とも安堵したのかふうっとため息をついた。
「ちょっと寝たから元気になったよ。ははは」
私はとっさにごまかした。
実際のところ、眠ってたかどうか自分でもわからなかった。もしかすると意識を失いかけていたかもしれない。入学式の日も今みたいに人の声が遠くなるように意識が遠のいてそのまま倒れてしまったのではないだろうか。
周囲を見回すとまだ数人の生徒が教室に残っていてそれなりに騒がしかったのに、なぜか音がほとんど聞こえていなかったようだ。
危なかったかもしれない。
英玲奈さんと琴葉さんの緊迫した顔が少し緩んだのを確認すると、私は胸をなでおろした。
***
英玲奈さんに連れられて、私と琴葉さんは生徒会室の扉の前までやってきた。
「ちょっとここで待ってて」
英玲奈さんは私たちを扉の前で待たせると独りで生徒会室に入って行った。
すると何名かの生徒が部屋から出てきて「ごきげんよう」と挨拶を交わしてそのまま行ってしまった。
ここでのフォーマルな挨拶は時刻に関係なく「ごきげんよう」だ。誰かと対面したときやお別れのときに「ごきげんよう」と挨拶する。挨拶は必ず立ち止まってから相手の目を見て軽く微笑みながらするのが鉄則だそうだ。多くの生徒は中等部の頃から鍛えられているのでごく自然に立ち回る。私はというと、ぜんぜんおぼつかないのだ。
待っている間、私は生徒会室と書かれたプレートを眺めていた。しばらくして英玲奈さんが出てきた。
「お待たせ。中へ入って」
英玲奈さんに招かれ私たちは生徒会室へ入った。
生徒会室は一見すると教室の半分ほどの広さがあり、真ん中には大きなテーブル、周りには書棚や家具などが配置されている。奥にはキッチンのような作業台と水道が見える。このちょっと広い部屋に上級生が一人、席に着いて私たちを見つめていた。
学校の部屋にしてはちょっと大人びた雰囲気がある生徒会室はちょっと落ち着かない。私たちは人のお
「どうぞ座ってちょうだい」
「失礼します」
上級生に言われた通り、私と琴葉さんは彼女と相対する席に腰を掛け、英玲奈さんは彼女と私たちの間の席に着いた。
目の前の上級生は、前髪ぱっつんでほんの僅かな隙間から眉をのぞかせ、毛先が少し内巻きになっているボブスタイルで清潔感を感じる。しかし机の上の書類らしき紙の上に両手を置いて組み、微動だにしない。何故だか生徒会室には妙な緊張感が漂っていて落ち着かない。
「一年一組、黒崎志津さんと結城琴葉さん、ようこそ水澄ヶ丘女学園へ。入学おめでとう」
その上級生は私たちが席に着いてから間を置いて歓迎の言葉をかけてくれた。私と琴葉さんは「ありがとうございます」と返した。私としては今更「入学おめでとう」と言われるのには若干違和感があったのだけれど、それはさておき、お祝いされるのは嬉しかった。
「私は生徒会長の
「よろしくお願いします」
私と琴葉さんはかしこまって会釈した。
生徒会長の東山さまは自己紹介したあとも私たちから
こんなに見つめられていると緊張がほぐれるはずもなく。その証拠に、私の手から冷たい汗がずっとしみ出ているのを密かに感じていた。
そんな私の様子に気づいたのか、東山さまは「そんなに緊張しないで」と言って、テーブルに置いてあった資料に目を向けた。
やっと視線が外れた。と思ったら一気に体が軽くなる。なんとなく蛇に睨まれたカエルの気持ちがわかった気がした。
「英玲奈ちゃんから聞いてたかと思うけど、新一年生を対象にしたオリエンテーションを生徒会主導でやることになっているの。だから今からする話を聞いててちょうだい」
東山さまは続けざまに説明を始めた。
「新入生のオリエンテーションを始めます。まずは手元の冊子をみて。これは校則だから読んでおいて。あと四月から改訂された校則は別紙にまとまっているからこれも。それと図書室とパソコン室の利用の手引きと、校内LANの接続手順ね。抜き打ちで風紀検査することがあるから身だしなみは常にキチンとしておくこと。以上で説明終わり。何か質問ある?」
速い。手元の冊子に気を取られているうちに説明が終わってしまった。東山さまがとても流暢に話されたものだから、説明のほとんどが頭に入らなかった。
えっと、校則、接続、キチン? もっとたくさん説明を受けたはずなのに言葉の断片しか出てこない。
東山さまは私たちの反応をうかがっている。私は困ってしまって琴葉さんのほうをチラリと見た。
「質問はありません」
琴葉さんは平然とした態度で返答した。私は琴葉さんの言葉に合わせて軽く頷いた。
さすが琴葉さんだ。あとで何と言ってたか教えてもらおう。
琴葉さんの返答を受けて「よろしい」と東山さまは言った。
「次に、普通ならここで各部活の主将による部活紹介を行うのだけど省略させてもらうわ。部活は学園の公式ホームページと校内LANのホームページでも紹介しているから各自確認して気になる部活があったら見学させてもらうこと。顧問の先生方には話を通してあるからいつでも見学できると思うわ。ここは全生徒部活参加だからあなた達も今月中には何か決めてちょうだい。以上で部活の説明終わり。何か質問ある?」
またしても速い。でも今度は大筋は理解したつもり。要するに今月中に部活に入ろう? 頭を整理しているうちに琴葉さんが口を開いた。
「あの、部活は絶対に入らないといけないのでしょうか」
「ええそうよ。全員、絶対、例外なくね」
「あの・・・」
琴葉さんが歯切れ悪そうに何かを言いかけていたところ、東山さまが遮った。
「なーんてね。それは建前よ。学校と生徒会としては部活を推薦してるわけだけど、強制するものではないわ。現に部活に入ってない子もいるわよ。でもほとんどの子が入っているし、あなたも入ってみたらどう? 楽しいと思うわ、ねえ英玲奈ちゃん」
「え? うわっ、はい。楽しいです」
まさか自分に話が振られるとは思ってもみなかったことが私にもわかるくらい慌てて英玲奈さんが返答した。その様子を見た東山さまと琴葉さんから笑みがこぼれる。申し訳ないけれど私もつい笑ってしまった。
「もう、急に振らないで下さいよー」
英玲奈さんは照れ笑いしながら東山さまに抗議した。
東山さまは英玲奈さんに「油断してはダメよ」というと、琴葉さんに顔を向けた。
「それに部活の先輩と素敵な出会いがあるかもしれないし。だから、検討してみてはどう?」
「はい…。わかりました」
琴葉さんはバツが悪そうに答えた。部活に絶対入らないといけないのかと尋ねた辺り、部活に入りたくないという気持ちがあったのだろうか。それか私みたいに部活ができない事情があったとか?
「黒崎さんは何かある?」
東山さまは今度は私に問いかけてきた。私はちょうど部活について質問しようと思っていたけれど、同じ質問を先に琴葉さんがしたので疑問は解決していた。だからこう返答した。
「私はまた倒れてしまうといけないので、体に負担のかからない部活を探そうと思います」
「体はまだ悪いの?」
「いえ、体は大丈夫だと思いますが」
私は今まで体が悪いという自覚を持った事は一度もなかった。なぜなら、無自覚のうちに突然前触れなく倒れてしまうのに、目覚めたときは体に何の異常も感じないからだ。
「学校に来られるくらいには回復したということよね? 倒れることを気にして何もしないなんて折角の学園生活がもったいないんじゃないかしら。体に負担のかからない事を是非やってみて。どうしてもという事情があるなら、ご両親に陳述書を書いて頂くか医師の見解書を提出しておけば先生方も配慮して下さるから」
「わかりました。お気遣いありがとうございます」
親身になってくれている東山さまの言動はなんだか勇気づけられる。不思議とやってみようという気になってしまう。さっきまでとても緊張していたけれど、今はなんだか心地良い。
「他に質問あるかしら? 長くなったのでここまでにしましょう。オリエンテーションはこれで終わりね」
え? まだ体感で五、六分くらいしか経ってないのですけど?
ちょうど隣を見たとき琴葉さんと目が合ったのだけれど、琴葉さんも肩透かしを食らったような目でこちらを見ていた。
生徒会室に呼びだされたことに不安が全くなかったわけではない。だから多少身構えて臨んでいたのに、意外とあっさり終わってしまった。
気づいたら東山さまは積んであった資料を片付けている。琴葉さんは配布された校則と諸々の書類をカバンに入れ始めたところだった。
私も琴葉さんに釣られて、配られた書類をカバンに片付け始めた。すでに身の回りの整理を終えた東山さまは静かに私たちを見ている。英玲奈さんは先程の失態の影響からか神妙な顔つきでこちらを見ていた。
「もう帰っちゃうの? 少し雑談でもしましょう」
テーブルの荷物をカバンに入れてしまいあとは席を離れるだけとなった私たちを引き留めるように東山さまが雑談の誘いをしてきた。
「せっかくオリエンテーションを早目に終わらせたんだから、ちょっとくらい付き合ってくれてもいいんじゃなくて? それとも、何か都合が悪いかしら」
「いえ、そんな」
私は今にも席を立とうとしていたのを止め、椅子の奥に腰を据えた。東山さまが私から琴葉さんへ視線を向けると琴葉さんが申し訳なさそうに切り出した。
「あの、わたくしは夕方から家の引っ越し作業をすることになっていましたの。申し訳ありませんがこれでお
「そうなの? じゃあ仕方ないわね。承知したわ。機会があればまたお話ししましょう」
東山さまは快諾した。琴葉さんは席を立つと私の背後にまわり小声で話しかけてきた。
「志津さんごめんなさい。わたくし、六時間目が終わったらすぐに帰らなくてはならなかった事、すっかり忘れていましたの。帰って引っ越し業者の方の相手をしないといけなくて。本当にごめんなさい」
「うんわかった。私のことは気にしないで」
琴葉さんは言葉を発することなく笑顔で返してきた。
「では皆様、ごきげんよう」
琴葉さんはその足で生徒会室のドアを開けると、音を立てずにドアを閉じて去って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます