グリシーヌ・アローム

あうり

第1話 転校生と在校生

 教室の少女たちが、先生の隣に立つ私を見つめていた。先生から発言を促された私を静寂が包みこむ。皆、私の言葉を静かに待っているのだ。私と同じ制服を着た生徒たちなのに知り合いなど誰一人としていないのだから、妙に緊張してしまう。胸の高鳴りを落ち着かせようと深く呼吸する。


 どうしてこんなことになっちゃったんだろう。


 ほとんど準備もできなかったまま立たされている私を静かに見ている生徒たち。客観的にみるとこの状況はまるで・・・


「転校生?」

 生徒の一人が小声でつぶやいた。


 やっぱりそういうふうに見えるよね。いやいや違う。私は転校生ではないんです。と、思ったけれど、突っ込む状況でもなければそんな余裕もなかった。


 入学して一ヶ月が経った。事情があって今日が初登校の日なのだけれど、決して転校してきたということではなく、元からここの生徒なのだという気持ちでここに立っている。でも、「転校生」という生徒の一言の影響からか私は転校生として見られているかもしれないと思った。


 覚悟を決めて「わたしは」と言いかけたところで「遅れてすみません。よろしいでしょうか」と横から声がした。


 声のした方へ振り向くと教室の扉に立つ少女が一人。この子も私と同じ制服を着て同じ学校指定のカバンを両手で持ってこちらを見ていた。


 そして一堂の注目を浴びながらゆっくりと私の方に近づいてくる。ほんの三メートルほどの距離を歩いただけなのにその身のこなしはとても優雅に見えた。お嬢様が迫って来た。私はたじろいだ。


 ここは私立水澄ヶ丘みすみがおか女学園。中学から高校までエスカレーター式の中高一貫校だ。その歴史は大変古く、大正時代に開校した高等女学校が名前を変えながら現在まで続く、地域の名門校として女子の憧れとなっている。

 規律と礼儀を重んじる校風で、中学から高校までの六年間うら若き数多の少女を教育し、お嬢様に育て上げていく学校なのだ。

 この春、水澄ヶ丘女学園の高等部に私は入学した。


 私のそばまで歩み進んできた少女は私と顔を合わせるなり「お邪魔してごめんなさい」と言って優しく微笑みかけてきた。不意を突かれた私は「わたしは」から続きを話し出そうとして開いた口のまま止まっていた。


黒崎くろさきさん、いいかしら?」

「はい?」

 先生から名前を呼ばれて我に返った私はおかしな返事をした。


 そうだった。私はこの場で挨拶しようと覚悟を決めて話し始めたところだったんだ。


「はい。では仕切り直しましょう。黒崎さん」

 突然教室に入ってきた少女について何の説明もないまま、先生はもう一度私に自己紹介をするように促した。


 私は大きく息を吸った。そして遂に話し始めた。

「私は黒崎くろさき志津しずです。入学早々、入院していまして、ご心配をおかけしました。もうすっかり元気になりましたので、今日からよろしくお願いします」


 私はようやく挨拶を終え軽くお辞儀した。ついさっき職員室で先生から自己紹介をしなさいと言われたので、その場しのぎで考えた文面だったけれど、なんとか途絶えることなく発言することはできた。ただ、ちょっと面白みに欠ける内容になってしまったのは残念だった。


「はい、ありがとう。では次、結城ゆうきさん」

「はい」

 隣の少女は凛とした声で返事をすると一歩前へ出て全体を見回した。


 彼女が入ってきた時からみんなの関心は彼女にあったのだろう。きっと私の残念な挨拶も上の空で聴いていたに違いない。目の前の少女たちの視線がずっと彼女に向いていたのを薄々感じていた。私も彼女の動静を斜め後ろから見守っていた。


「皆さん、ごきげんよう。わたくしは結城ゆうき琴葉ことはと申します。清心せいしん女学園から転校して参りました。今日、水澄ヶ丘女学園で皆さんと出会い学べることを嬉しく思います。共に励んでいきましょう」


 威風堂々とした姿勢で、まるで演説でもしているかのようだった。結城さんはいかにもお嬢様といった風格があり、庶民の私とは全く別の人種であることは一目瞭然だった。


 目の前の同級生たちは、視線こそ結城さんに釘付けになっているものの、かくも平然としているように見えた。さすがお嬢様学校と名高い水澄ヶ丘女学園の生徒たち。お嬢様だらけの学園なのだからこんなことは些細な事に違いない。


「はい、ありがとう。転校生の結城さんと黒…、えっと、在校生の黒崎さん。今日からよろしくお願いしますね」

 先生が言った。


 転校生と在校生って? 確かにそうなのだけれど、わざわざ在校生って言わなくてもいいだろうに。「転校生の結城さん」を先に呼んだせいで、私(黒崎)への呼びかけが変になってしまったようだ。


「では黒崎さんと結城さんは自分の席に着いて下さい」

 先生から示された所には空席となっている机が二つ並んでいた。教室の最後列、窓側が私の席で、その右隣が結城さんの席だ。


 私が椅子に腰掛けると、少しだけ開いた横の窓から五月の爽やかな風が流れ込んできた。


     ***


 朝のホームルームの時間は私と結城さんの紹介だけで終わった。午前の授業が始まるまで少し時間がある。隣の結城さんの周りには多くのクラスメイトが集まっていた。転校生だからという珍しさなのか、いかにも気品のあるお嬢様だからなのか、早くも結城さんはクラスの注目を浴びていた。私は結城さんの周りに集まっている生徒の背中を眺めていた。


 それに引き換え、私は? こんなにも注目されないところを見ると、やっぱり私にはオーラはないんだなと思う。


 横目で見ていると、確かに結城さんには華がある。人と会話しているときに見せる笑顔は誰から見ても印象が良い。「お邪魔してごめんなさい」と言ったときのあの笑顔と同じ。その笑顔を見ているだけで心が和む。


 結城さんとクラスメイトの会話は自然と私の耳に入ってきていて、特に印象深かったのは「清心女学園」の話題だった。


 清心女学園とは結城さんが転校生してくる前にいた学校であることしか私はわからない。でもみんなはそれ以上のことを知っている雰囲気だった。


 もうすぐ一限目の授業が始まる頃、クラスメイトが結城さんから離れて行ったのを見計らって思い切って尋ねてみた。


「結城さん。清心女学園ってどういう学校なの?」

「あなたも清心に興味がおあり? 皆さんなぜか清心のことばかり聞いてくるの。どういった学校かというと、うーん、至って普通のところ」

「普通?」

「そう。皆さんが言うように裕福な家庭の子供ばかりいる学校だと思うけれど、同じ世代の子が集まっているのだから、どこの学校とも変わらないの。なので普通」

 結城さんは笑みを浮かべた。


「ははは」

 私はちょっと腑に落ちない愛想笑いをした。

 結城さんの上品な語り口と演説のような自己紹介を目の当たりにすると、清心女学園は見せかけじゃないと想像されるからだ。


「でも、みんなから聞かれるってことは有名な学校なんじゃない?」

「それはどうかしら。水澄ヶ丘と清心が提携しているから知ってるだけかと思うの。清心にいた頃も水澄ヶ丘の名前くらい聞いたことあるもの」

「え、そうなの?」

「黒崎さんってここのことあまり知らないのね」

「実はそうなの。私だって今日初めてこの教室に来たくらいだし」

「もしかしてここの中等部出身ではないのかしら?」

「そう。高校からなの」


 水澄ヶ丘女学園は中高一貫校ではあるけれど、私は高等部から入ったいわゆる受験組なのだ。それに加えて今日が初登校なのだからこの学校のことなんてまだほとんど知らない。


 少し違うかもしれないけれど、さっき初めて出会った結城さんは、この学校のことをあまり知らないという点で私と同じ境遇にいるのだと思う。


 そういう思いが伝わったからか、「同志がいてよかったわ。今後ともよろしくお願いします」と結城さんが言った。


 私と結城さんの会話が一区切りつくのを待ち構えていたかのように、ツインテールのクラスメイトが割って入ってきた。


志津しずさん、琴葉ことはさん、私は学級委員の松岡まつおか英玲奈えれなです。よろしくね。二人が学園生活に慣れるまでサポートするから困ったことがあったら何でも相談してね」


 松岡さんはよほど慌ててたのか少し息づかいが荒い。そしてなぜか教科書を抱えている。しかし言い切った感じで晴々とした表情でこちらを見ている。

「よろしくお願いします、松岡さん」

と私は返答した。


「あー、それ違う」

「え?」

「志津さん、水澄ヶ丘では同級生を下の名前で呼ぶのが普通よ。だから私のことは英玲奈って呼んで」

「そうなんだ」

 私は目を見開いた。

「それがここの伝統だからね」

 松岡さんはちょっと得意げに両手を腰に置いている。

「わかった。じゃあ試しに。英玲奈さん」

「はい、志津さん」

 私と英玲奈さんが無意味にお互いの名前を呼び合い見つめ合っているのを見た琴葉さんが笑った気がした。


「清心と同じだったみたいですわね。ちなみに先輩のことは普通に苗字でお呼びになるのでしょう?」

と琴葉さんが尋ねた。

「ええ、基本的には。でも先輩から指示された呼び名があれば別ね」

「わかりました。ありがとう、英玲奈さん」

 琴葉さんはにっこり微笑んだ。


「それからもう一つ。生徒会から連絡事項があるから伝えるね。放課後時間があったら二人には生徒会室まできて欲しいの」

「生徒会室で何があるの?」

「そこで新入生のオリエンテーションをするの。えっとね、新入生は最初に生徒会のオリエンテーションを受けてもらう必要があるの。校則や学園生活の注意点などを説明するだけだから気軽に聴いてもらったらいいわ」


「放課後ですか。わたくしは大丈夫ですが…志津さんはどうなさいますか」

 琴葉さんは返事を濁し、私が返事をするのを待っているようだった。英玲奈さんと琴葉さんが私の顔を覗っていたので「私も大丈夫」と返事をした。


 放課後とくに用事があるわけではないし。


「じゃあ決まり。放課後迎えに来るね。私が生徒会室まで案内するからここで待ってて」

 ちょうど予鈴が鳴ったので、英玲奈さんは自分の席に戻って行った。


「わたくし、生徒会室に一人で行くの不安でしたの。志津さんが一緒で良かった」

 英玲奈さんが向こうに行く後ろ姿を見ながら琴葉さんがつぶやいた。


「どうかした? 不安だなんて」

「実はわたくし人見知りで人に囲まれるのが怖くて苦手なの」

 琴葉さんは顔を曇らせてうつむいた。

「でも、さっきの自己紹介のときなんて知らない人達に囲まれてたんじゃない?」

「確かにそうですけど。あのときは相当無理してて、気を張っていたの」

「そんな風には全然見えなかった」

「ナメられてはいけないから。ほら、第一印象でその人との接し方が決まってしまうでしょう?」

「確かにそうかもしれないけど。考えすぎなんじゃない?」


 おっとりしたお嬢様だと思っていた琴葉さんの口から「ナメられてはいけない」という、お嬢様が到底使いそうにない言葉が出てきたことが意外だった。人の印象は第一印象だけじゃなく、時に意外な一面が見えたりすると、変わっていくものだと思う。たった今、私の琴葉さんのイメージはちょっと変わってしまった。これは悪い意味ではなく、琴葉さんが私たちに近い存在なのだというイメージに変わったということで、親近感が湧いてきたということなのだ。


「私は生徒会室に行くのもなんでも楽しみなんだ。なにより学校に長くいられることが嬉しい。私ね、入院しててずっと学校に来られなかったから。人って無いものねだりする生き物じゃない? 入院中は学校に行きたい行きたいってずっと思ってたもん」


「なるほど。志津さんの場合はそうですわね。素晴らしい考えですし、願いが叶って良かったと思う。志津さんのおかげでなんだか少し勇気が湧いてきました」


「よかった。私も一緒だから心配しないで」

「はい」

 落ち込んでいた琴葉さんが少し明るくなった気がした。

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