よんひきめ。
にじゅうわめ。
翌日、木曜――。
羽住くんは昼休みも、放課後も、図書室に来なかった。
教室前の廊下ですれ違うことすらなかった。
金曜――。
十分休みに廊下ですれ違ったときに西谷くんが教えてくれた。
昨日も、今日も、羽住くんは学校を休んでいるらしい。
予想通り、西谷くんと花のうわさはあっという間に立ち消えた。
九重さんや彼女と仲の良い女子バレー部の子たちのあいだ以外では、だ。
花はときどき感じる鋭い視線に居たたまれなさを感じながら木曜、金曜と過ごしていた。
〝マリオネット冒険記〟は水曜のうちに最終巻まで返却した。
今は図書館司書の小林さんにすすめてもらったコメディタッチのスパイ物を読んでいる。
でも、いまいち内容が頭に入ってこない。
花が好きなジャンル、作者のはずなのに。
放課後、図書室で別の本を借りようか。
それとも――。
花はため息をついてスマホを取り出した。
「こういうときは心の癒し、シマシマヘビを眺めるに限るわぁ」
いつの間にトイレから戻ってきたのか。
このみに後ろから抱き付かれて花は苦笑いした。
今日、最後の十分休みだ。
明日は土曜。次の授業さえ耐えれば楽しい週末の始まりというわけだ。
そのせいか、このみの声はいつも以上に明るい。
「シマシマヘビ、可愛いよぉ、癒されるよぉ」
「勝手にアテレコしないでよ。あとシマシマヘビじゃなくて、ニシキアナゴ!」
「これ、水族館で撮ったの?」
このみは腕を伸ばして画面をスワイプした。次々と写真が切り替わっていく。
水族館に行ったとき、羽住くんが撮ってくれたニシキアナゴとチンアナゴの写真が入れてあるフォルダだ。
西谷くんや九重さんが写っている写真は入っていない。
でも、例の写真が入っている。
「ちょっと……勝手に見ないでよ!」
慌てて隠そうとするよりも先に、このみにスマホを取り上げられてしまった。
画面を切り替えていたかと思うと、このみがいきなり吹き出した。
「なにこれ、鼻の下が伸びきってるよ」
花が背伸びしてのぞき込むと心配していたとおり。
画面にはチンアナゴと花のツーショット写真が表示されていた。
「いいでしょ。好きな子を見てたら、こういう顔になるでしょ」
「好きな子って……それにしても緩み過ぎでしょ、これは……ぷはっ!」
「もう、いいでしょ。……ちょっと、このみ。笑い過ぎ!」
「いや、だって……ん?」
肩を震わせて笑っていたこのみが、ふと首を傾げた。
目を細めて一点を見つめていたかと思うと真剣な表情で画面を操作し始めた。
どうしたのだろう。
花も画面をのぞきこもうとして――。
「ちょっと、花さん。ここに写ってるのはどこのどなたですかねぇ?」
「く、苦しい……!」
このみの腕が花の首に巻き付いた。
このみの腕をバシバシと叩いていると、目の前に画面を突き付けられた。
画面をじっと見つめていた花は首を傾げた。
「誰って……誰?」
画面に映っているのは相変わらずチンアナゴと花のツーショット写真だ。
チンアナゴと花以外には何も映っていないように見える。
誰、と言われても困ってしまう。
でも――。
「ほら、ここ! ここだってば!」
このみは画面を拡大すると、トントンと水槽の上の方を指差した。
「ん~? ……あ」
よく見てみると水槽に人影が映り込んでいた。
スマホを構えた羽住くんだ。
「……全然、気が付かなかった」
メガネを外して、学校にいるときよりも前髪をあげた、尾行モードの羽住くんだ。
「デート? もしかして、デートですか? 私に……この私に報告も許可もなしで!?」
「報告も許可も取ってないけど、デートでもないですぅ」
「うそをつくな、どこでこんなソコソコ格好いいのと知り合った! 高校生……花のお兄ちゃんの友達とかか! 白状しろ! そして今度、会わせなさい! オネエサンが品定めしてあげるから!」
「ソコソコ……品定め……っ!」
このみの物言いに花は思わず吹き出した。
「顔が良くても性格が悪かったら許さん! どこのどいつなの!?」
写っているのが羽住くんだと、このみは全然、気が付いていないようだ。
メガネをかけて前髪をちょっとあげただけなのに、意外とわからないものだ。
尾行のための変装としては完ぺきだったというわけだ。
まぁ、本当は変装なんて必要なかったのだけど。
だって、西谷くんも九重さんも、花と羽住くんが尾けてきていることを知っていたのだから。
――嘘をついていました、すみません。
そう言って、あっさりと頭を下げた羽住くんを思い出して、花は苦い笑みを浮かべた。
と、――。
「私のおメガネにかなわないなら、花のことは渡さないんだから!」
ガバッ! と、このみに抱きしめられて花は笑い声をあげた。
ちょっと脇をくすぐられている気がする。くすぐったい。
「たぶん、このみのおメガネにはかなわないんじゃないかなぁ」
なにせ羽住くんだ。性格の悪さには定評がある。
花はくすくすと苦笑いした。
でも――。
「そう? 私のおメガネにかなわなかったらぁ! なんて、言いはしたけど大丈夫そうだなって思ってるよ。少なくとも写真で見る限りは花のこと、すごく大事にしてるっぽいし」
このみは写真を眺めなが、さらりと言った。
ふざけているわけでも、からかっているわけでもない。あっけらかんとした表情だ。
「なんで……?」
なんで、そこまで断言できるのだろう。
花が首を傾げると、このみはスマホを差し出して、トントンと画面を指差した。
「だって、ほら。花を見る目。すごく優しい目をしてる」
スマホを構えた羽住くんは被写体である花とチンアナゴに目を向けている。
穏やかな微笑みを浮かべた、いつもどおりの羽住くんだ。
このみの言わんとすることがわからなくて、花は画面を見つめたまま。
また、首を傾げた。
「お子ちゃまな花には難しいかぁ。ちょっと同情するわ、この人に」
澄まし顔で言うこのみに花はふくれっ面になった。
これは多分、またお子ちゃま扱いされている。
花のふくらんだ頬を指でつつきながら、このみはにやにやと笑った。
「いつから付き合ってるの? デートは何回目? 名前は? 年齢は?」
完全に尋問モードだ。
こうなると長い。根掘り葉掘り聞かれることになる。
「付き合ってないし、デートでもないってば。町内運動会に出るのがいやで、ちょうど水族館に誘われたから行っただけ」
本当のことだ。
でも、このみは食い下がってくるんだろうと覚悟していた、のだけど――。
「……そっか」
このみはあっさりと引き下がった。
なぜか眉間にしわが寄っている。
「花は本当にそうなんだろうけど……うーん、本気で同情するわ、この人に」
「どういうこと?」
「こういう目で見るのは相手のことが大切で大好きだからでしょ、ってこと」
茶化したり、からかったりしているわけではないようだ。
微笑んでいるけれど、このみの目は真剣そのものだった。
「花がお子ちゃまだからってだけじゃなく、当人だからわからないってのもあるかもしれないけどね」
このみにそっと頭をなでられながら、花は写真の中の羽住くんを見つめた。
やっぱりいつもどおりの羽住くんだ。
花が知っている羽住くんは、いつだってこんな目をしている。
でも、そういえば――。
「この目、どこかで見たことがある……かも?」
羽住くんとは別の誰かだ。
でも、誰だったか。どこで見たんだったか。
どうしても思い出せない。
花はスマホの画面を睨みつけた。
眉間にしわを寄せて唸り声をあげる花を見て、このみは苦笑いした。
「この人が花を誘った理由とか。この人が花をどう思ってるかとか。ちゃんと考えた方がいいよ」
チャイムが鳴った。
立ち上がったこのみは、くしゃくしゃと花の頭を撫でて自分の席へと戻って行った。
「このみの目だって、言うほど恋愛のことわかってないじゃん」
このみの背中を見送りながら、花はくしゃくしゃになった髪をなでつけた。
花は、羽住くんの大切で大好きな相手なんかじゃない。
だって――。
「羽住くんの大切で大好きな相手は……九重さんだもの」
花はぽつりとつぶやいて、頬杖をついた。
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