じゅうろくわめ。

 夕飯を食べ終えたあと、花は自分の部屋で本を読んでいた。

 あの魔法使いが出てくるシリーズ――〝マリオネット冒険記〟の続きだ。


 前巻で登場した女盗賊は今回の巻にも出てきていた。残りの巻数と話の展開を考えると最終巻まで登場するのだろう。

 主人公と仲間のやりとりや話の展開は面白いけど、一つだけ気になることがあった。


 魔法使いがほとんど出てこなくなってしまったのだ。


 出てきても、ほんの一瞬。

 主人公とは言葉を交わさないまま、またすぐに姿を消してしまう。


 花は開いた本をお腹に乗せ、天井を仰いでため息をついた。

 今もまた、魔法使いは主人公の顔を一目見ただけで姿を消してしまった。


 なんだか、ちょっと……さみしい――。


 今日はこれ以上、読み進めるのはやめよう。

 そう決めて、花は通学用のカバンを引き寄せた。前巻の最後のページにしおりをはさんだままにしていたのだ。


 ごそごそとカバンを探っていた花は目的の本ではなく、入れっぱなしにしていたスマホを取り出して目を丸くした。

 羽住くんからメッセージが届いていたのだ。


 先週の金曜に連絡先を交換したものの、事務的なやりとりしかしていなかった。

 具体的に言うと――。


 町内運動会に参加したくなくて、水族館に行くことを了承する電話をしたときと。

 水族館でニシキアナゴとチンアナゴの写真を送ってもらっとき。


 その二回だけだ。


 ちょっとびっくりしながらメッセージを開いた花は、あ……と声をあげた。


 ――今日、図書室に来ませんでしたけど、どうしたんですか?


 そういえば帰りのホームルームのあと、廊下で羽住くんと会って言ったんだった。

 さっさと職員室に行って、ゴリ美にプリントを渡して、図書室に行く――と。


 マラソンでビリになった罰がプリントの提出だけじゃなく、採点もだとは思わなかったのだ。

 西谷くんと水族館デートの件を話していて遅くなってしまったというのもあるのだけど。


 花は肩をすくめて、ため息をついた。


 今日の昼休みに聞いた羽住くんと九重さんの会話。

 放課後、西谷くんから聞いた話。

 そして、水族館での羽住くんの読みの良さや行動。


 それらを考えると、羽住くんと九重さんが西谷くんに声をかける前からの協力関係だったことは間違いない。


 だとしたら、先週の木曜。

 恋愛物を読めるように研究しようと羽住くんが言い出したところから、もう二人の計画は始まっていたのかもしれない。


 入学式の日に二人を図書室で見かけてから一年ちょっと。

 羽住くんが九重さんの名前を出したことは、これまで一度もなかった。


 だから先週の木曜、西谷くんの名前といっしょに九重さんの名前が羽住くんの口から出たときにはちょっと驚いた。

 同時に、人魚姫の王子さまとお姫さまに重なって見えた入学式の日の二人の姿を再び、思い出した。


 恋愛ごとには疎い花だけど、人魚姫の物語と同じように二人は結ばれるんだと感じた。

 羽住くんが九重さんの名前を口にしたとき、トクンと心臓が跳ねたのは、きっとそれを確信したからだ。


 今、チクリと胸が痛いのは西谷くんの気持ちを知ってしまったからだろうか。

 印刷室であんなにもはっきりと九重さんへの気持ちを聞いてしまったから――。


「羽住くんもなんで、こんな計画立てたんだか……」


 その理由を聞くのは明日、羽住くんに直接会ったときにするつもりだ。

 今夜のところは採点をさせられていたことだけ伝えよう。


 スマホを片手で操作できるほど花の手は大きくない。まずはしおりをはさんで本を閉じないと。

 花は再びカバンの中を探って本を取り出すと、最終ページを開いて首をかしげた。


 本をパラパラとめくってみた。

 やっぱり見つからない。


 本を床に置き、膝の上にカバンを乗せて、大きく口を開いて中を探してみる。

 中身を全部出して、底板まで取ってみたけど、それでもやっぱり見つからない。

 水族館で羽住くんにもらったニシキアナゴのしおりが見つからない。


 カバンをごそごそと探しながら今日一日の行動を振り返って、花はみるみるうちに青ざめた。

 印刷室で採点をしているときに西谷くんに貸した。

 そのあと返してもらった記憶が――。


「ない……!」


 花は声にならない悲鳴をあげた。

 ニシキアナゴのしおりは教員用テキストにはさまったままだ。 


 ***


 翌朝――。


 花はいつもよりも早く家を出た。

 早足で学校に向かい、昇降口で靴を履き替えるなり教室ではなく職員室に向かった。


 ゴリ男は朝練でいなかったけどゴリ美がいた。

 しおりのことを話すと、ゴリ美はゴリ男の机から教員用のテキストを探し出して渡してくれた。


 目を皿のようにしてページをめくった花だったけど――。


「ない……」


 そうつぶやいて、がっくりと肩を落とした。

 ニシキアナゴのしおりはもちろん、何かが挟まっているようすもない。


 印刷室も床に這いつくばって探してみたけどやっぱりない。

 職員会議が始まるからと首根っこをつかまれて職員室の外に放り出されるまで、散々に探し回ったけどやっぱり見つからない。

 仕方なく、花はとぼとぼと教室に向かった。


 いつもよりも早い時間に着いたせいか。

 教室にはぽつりぽつりとクラスメイトがいるだけだった。


 朝のホームルームが始まるまで、まだ二十分ほどある。


 花は席に着いて本を開いて――すぐに机に突っ伏した。

 しおり代わりに挟んである古い定規を見た瞬間、ニシキアナゴのつぶらな瞳を思い出してしまったのだ。


「どこかに落としちゃったのかな……」


 教員用テキストに絶対にはさまってる! と、思っていた。

 でも、だんだんと自信がなくなってきた。


 西谷くんに貸したところまでははっきりと覚えている。

 そこからの記憶をたどって、西谷くんがから聞いた水族館デートの件を思い出して、またちょっともやっとして。

 落とした可能性のある場所を考えて……頭がぐるぐるしてきた。

 ぐるぐる考えすぎてちょっと気持ちが悪くなってきた気もする。


 だから、バタバタと賑やかな足音が近づいてきても。

 スパーン! と、勢いよく教室のドアを開ける音が響いても。

 花は顔をあげなかった。


 頭の片隅でにぎやかだな、うるさいな、と思った程度だった。


 一瞬の静寂のあと――。


「ハナ! ハナ、ハナ! ハナハナハナハナ!!」


 教室どころか、廊下にも、並びの教室すべてにも聞こえそうなほどの大声が響いた。

 あまりの大声に花は飛び起きると教室のドアを振り返った。


「ハナ!」


「西谷くん!?」


 朝練が終わって、急いで着替えて来たのだろう。

 ワイシャツの裾は出しっぱなし。ボタンも上三つと一番下が留まっていない。

 息も上がっていて、肩が大きく上下している。


 そんな西谷くんが教室の入口で手招きしているのを見て、花はゆらりと立ち上がった。


「西谷くん、西谷くん……!」


 ゾンビのように体をゆらゆらと左右に揺らし、力なく両腕を伸ばした青い顔の花を見て、西谷くんもつられて青ざめた。


「ど、どどどどうした! とりあえず、こっち来い! 端っこ、来い!」


 完全に足腰が弱ったおばあちゃんと、それを介助するヘルパーさんだ。

 花が弱々しく伸ばした手を取って、西谷くんはゆっくりと後ずさって廊下の端まで誘導してくれた。

 途中――。


「足元、段差があるからなー。ゆっくり、ゆっくりでいいぞー」


 なんてことを真顔で言われたけどツッコミを入れている余裕もない。

 西谷くんが最後の頼みの綱だ。


「西谷くん、昨日……昨日……」


 ニシキアナゴのしおりについて聞きたいのに、焦りすぎて言葉がうまく出てこない。


 西谷くんは腰を屈めて背の低い花の視線にあわせると、うんうんと優しい表情で相づちを打ってくれている。

 完全におばあちゃんの話し相手をするヘルパーさんだ。


「もしかして、これか? これ、探してたか?」


 結局、昨日……以上の言葉が出てこない花を見かねて、西谷くんがズボンの後ろポケットに手を突っ込んだ。


 出てきたのは短冊状のしおりだった。

 表面には可愛くデフォルメされたニシキアナゴのイラストが描かれている。


 ニシキアナゴのつぶらな瞳を見た瞬間――。


「これです!!」


 花は西谷くんの手からしおりを奪い取ると、胸にぎゅっと抱きしめた。


「やっぱりかぁ。羽住からもらったもんだもんな。なんちゃらヘビのこと、大好きだもんな」


「ニシキアナゴだよ!」


「借りたまま、ゴリ男にテキスト返しちゃってさ。家に帰ってから思い出して、慌てて朝練前に取りに行ったんだよ。ほんっと、ごめん!」


 西谷くんはパン! と、手を合わせて勢いよく頭を下げた。


 花も家に帰るまですっかり忘れていた。

 それに朝練が終わった直後、息が上がるほど急いで返しに来てくれたのだ。


「全然、気にしないで。むしろ、ありがと~!」


「泣くほど大事なもんだったのにかよ~。ほんとにごめんな」


 西谷くんはガシッ! と花の頬をはさむと、親指の甲で目元をゴシゴシと拭った。

 拭わないといけないほど泣いてはいないのだけど。


 こういうこともきっと犬のハナちゃんや、弟や妹にやっているのだろう。

 花はくすりと笑った。


 と、―――。


「……珍しい組み合わせですね」


 低い声に振り返ると、羽住くんが固い表情で立っていた。

 カバンを背負っているから、ちょうど今、来たところなのだろう。


 花は慌ててスカートのポケットにしおりを隠した。

 でも、羽住くんが花の不審な動きに気付かないわけがない。


 羽住くんは一瞬、探るような目で花を見つめたけれど、すぐに穏やかな微笑みを浮かべた。

 目が笑っていない気がするけど、多分、気のせいだ。


「何かあったんですか?」


「いやぁ、実はハナのやつにしお……!」


「な、なんでもない!」 


 満面の笑顔でしおりのことを喋ろうとする西谷くんの腕を、花は慌てて掴んだ。


 このまま西谷くんにペラペラと喋られたら、しおりを失くしかけたことがバレてしまう。

 もらったしおりをたったの三日で失くしかけたとは、さすがに言えない。気まず過ぎる。


 花は羽住くんにニコニコと笑いかけながら、西谷くんに目配せした。

 きょとんとしている西谷くんの目をじっと見つめると――。


「お、おう! なんでもない、なんでもない!」


 わからないなりに何か察してくれたらしい。

 西谷くんは挙動不審とも思えるくらい勢いよく首を横に振った。


 何か言おうと羽住くんが口を開いたけど、ちょうどよくチャイムが鳴った。


「ほら、羽住! チャイムが鳴ったぞ! 教室に行くぞ!」


 西谷くんに背中を押され、羽住くんは渋い顔をしている。

 でも――。


「お前ら、教室に入れぇ!」


 廊下を歩いてくる担任たちの声に、羽住くんは短く息を吐くとあきらめて教室へと入って行った。


 羽住くんの背中を見送って、振り返って手を振る西谷くんに手を振り返して、花は小走りで教室に戻った。


 席につくとすぐに朝のホームルームが始まった。

 なんだか朝から慌ただしかった。


 そっとスカートのポケットからしおりを取り出して――。


「よかった、無事で」


 花はニシキアナゴのつぶらな瞳ににっこりと微笑んだのだった。

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