じゅうにわめ。

 淡水魚の水槽。

 カピバラやイグアナといった水辺に生息する生き物たち。

 小さなサメやエイのふれあいコーナーを過ぎると、もう水族館の出口だった。


 出た先がやたらと混んでいるなと思ったら、おみやげ屋さんがあるらしい。

 九重さんと西谷くんも店の中へと入っていった。

 ノートやボールペンといった文房具類が並んでいる棚の前で、二人はあれこれと手に取っては笑い合っている。


「真隅さんもおみやげ、見にいきますか?」


 羽住くんが店の中を指さした。

 正確には、目立つところに置かれたニシキアナゴとチンアナゴのぬいぐるみを、だ。


 花は全力で顔を背けると首を横に振った。


 見てしまったらさわりたくなってしまう。

 さわったら欲しくなってしまう。


 危険だ――!


「生写真で充分でございます」


「生写真という表現はいかがなものでしょう。……それじゃあ、ここで待っていてください。すぐに買ってきますから。どちらに行くか、見ておいてくださいね」


 家族へのおみやげでも買うのだろう。

 小走りに店の中へと入っていく羽住くんを見送って、花はあたりを見回した。


 見ておいて――と、いうのは九重さんと西谷くんのことだ。

 二人はレジに並んでいるところだった。


 しばらくすると会計を終えた二人が店から出てきた。


「うそ、行っちゃう……?」


 まだ羽住くんは店の中で、のんびりおみやげを買っている。

 柱の影に隠れて九重さんと西谷くんを見守っていた花は、羽住くんと二人を交互に見た。


 でも、九重さんと西谷くんは人混みを避けるように壁際に向かうとおみやげ袋を開け始めた。

 どうやら、すぐに水族館を出ていくつもりはないらしい。


 羽住くんがまだ戻ってきていないこの状況ではありがたい。

 花はほっと息をついて、九重さんと西谷くんのようすを見守った。


 西谷くんがおみやげ袋から出したのは二本のシャーペンだ。

 黄色と青色。イルカのチャームが付いている、色違いでおそろいのシャーペン。


 西谷くんは黄色いシャーペンを九重さんに差し出した。かと思うと、手を伸ばした九重さんの目の前で、ひょい! とショーペンを引っ込めてしまった。

 シャーペンをつかみ損ねた九重さんは目を丸くしたあと、けらけらと笑いながら西谷くんの肩を小突いた。


 大げさな仕草で痛がったあと――。


 西谷くんはぽりぽりとほほをかきながら、もう一度、シャーペンを差し出した。

 今度はきちんと受け取れた九重さんは、そっと両手でシャーペンを包み込んだ。


 西谷くんから隠れるようにうつむいているけれど、九重さんの横顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。


「お揃いのシャーペンを買ったみたいですね」


 いつの間に戻ってきたのだろう。

 驚いて振り向くと羽住くんがおみやげ袋を持って立っていた。包み紙にペンギンまんじゅうと書いてあるのが透けて見えている。


 と、――。


「真隅さん、どちらにしますか」


 驚いて後ずさった花の目の前に、透明なおみやげ袋に入ったしおり二枚が差し出された。

 

 白く長い身体に黒い斑点模様のチンアナゴ。

 黄色と白色のシマシマ模様のニシキアナゴ。


 水槽でゆらゆらと揺れていた姿も可愛かったけど、デフォルメされたイラストもかなり……。


「可愛い……!」


 羽住くんが差し出したしおりを前に花は目を輝かせた。

 でも――。


「いや、でも……どちらにしますかって……貰うわけには……」


 すぐに首を横に振った。

 ただし、手だけはゾンビのごとく、しおりへと伸び続けている。

 触れる寸前のところでどうにか止まり、ぷるぷると震え出す花の手を見て、羽住くんは肩を震わせた。

 もちろん笑っているのだ。


「……っ。あきらめて成仏した方がいいと思いますよ」


「成仏ってなんだ。あと笑い過ぎじゃないかい、羽住さん」


「笑ってませんよ……っ」


 完全に笑っている。

 花は唇をとがらせて、羽住くんをにらみつけた。


「それに古い定規をしおり代わりにしてるなんて、本好きとしてはいただけません」


 羽住くんに指摘され、うぐっ……と花は言葉を詰まらせた。


 羽住くんの言うとおりなのだ。

 いつだったか手近にあった定規をしおり代わりに挟んで、それきり。同じ定規を使い続けてしまっている。


 よく見てるな……と、花は羽住くんをにらみ上げた。

 羽住くんは視線をさえぎるように花の目の前にしおりを移動させた。


 透明な袋越しにニシキアナゴとチンアナゴがつぶらな瞳で見つめている。

 勝てるわけがない。


「……ありがとうございます」


 花は大人しくお礼を言って頭を下げた。


「いいえ。しおり本来の用途で使ってくださいね」


「いや、でも待って……どちらかなんて選べない……」


 二枚のしおりをじーっと見つめて、花はうめき声をあげ始めた。

 そんな花を見て羽住くんはふき出すと、ニシキアナゴのしおりを差し出した。


「はいはい。じゃあ、こっちで」


 なんだかいいようにあしらわれている気がする。


 でも、ニシキアナゴの可愛さの前ではどうでもよくなってきた。

 黄色と白色のシマシマ模様とつぶらな瞳が可愛い。


「羽住くんはちゃんとしたしおり、持ってるのに」


 ニシキアナゴのつぶらな瞳を見つめながら花はふと呟いた。


 クローバー模様の透かし彫りが入ったステンレス製のしおりだ。

 大人っぽくて羽住くんらしいしおりだな、と思ったからよく覚えている。


 花の言葉に羽住くんは目を丸くすると、チンアナゴのしおりを大きな手で隠した。


「もしかして、このしおりも狙ってるんですか?」


「ち、ちが……わなくはないけど、違うから!」


「はいはい。どっちにしろ、これはあげませんよ」


 羽住くんはチンアナゴのしおりをカバンにしまうと、くすくすと笑いながら先を歩き出した。

 九重さんと西谷くんが水族館の出口に向かって歩き出したのだ。


 羽住くんの背中を追いかけながら、花は手の中のニシキアナゴのしおりを見つめた。

 早くポシェットにしまわないといけない。失くしてしまったら大変だ。


 そう思うのだけど、つぶらな瞳が可愛すぎてしまうにしまえない。

 手に持ったまま、一歩二歩と歩いたところで――。


「前を向いて歩かないと人にぶつかりますよ」


 羽住くんが渋い顔で振り返った。


「すぐにしまわないと没収です」


「また、そういうお母さんみたいなことを言う……!」


 真っ青な顔でポシェットにしおりをしまう花を見て、羽住くんは大笑いしたのだった。

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