ななわめ。

「まずはチケットの購入列に並ぶ……はず、なんですが」


「ハンバーガーを買う列に並んでますねぇ、羽住さん」


 水族館前にたどり着いた花は、苦虫を噛み潰したような顔をしている羽住くんを見上げて苦笑いした。


 休日ということもあって水族館周辺は混み合っていた。チケット売り場も、入場口も、入場口の左手にあるカフェも。

 そのカフェに西谷くんと九重さんは並んでいた。


「……帰りのつもりだったのに」


 ぼそりと呟く羽住くんをちらりと見上げて、花は首を傾げた。花の視線に気が付いて、羽住くんも不思議そうな顔で首をかしげた。

 どうやらひとり言が声に出ていたことに気が付いていないらしい。


 花は聞かなかったことにして首を横に振った。


「さて、どうしよっか」


 呟いて、花はため息をついた。


 九重さんの朝からの行動を考えると、寝坊して遅刻。朝ご飯を食べ損ねたから水族館に入る前に腹ごしらえ……という流れだろう。


 初デートでこの展開はどうなのかとも思うけど、西谷くんと九重さんは店の前に掛かっている大きなメニューを指差して楽しそうに相談している。

 二人的にはありなのだろう。


 店の前に掛かっているメニューには大きな写真がついていた。

 ちょっと距離のある場所にいる花でも目をこらせばなんとか見える。


 ハンバーガーのバンズにはあざらしの顔の焼き印が押されている。

 イルカの形をしたパンに好きな具材をはさんでもらうイルカサンド。

 のりとたくあんでペンギンの顔に見立てたペンギンおにぎり。


 水族館の生き物にちなんだメニューが用意されているようだ。

 さすがは水族館併設のカフェだ。


「そこのベンチで二人が出てくるのを待ちましょうか」


 羽住くんが植木の影になっているベンチを指さした。


「うん、わかった」


「うん、わかった……と言いながらどこに行くんですか、真隅さん」


 ふらふらとカフェに向かおうとする花の肩をつかんで、羽住くんは苦笑いを浮かべた。


「あー、いやぁー……」


「まぁ、わかってますけど。目的はあれですよね」


 羽住くんが指差す先を見て、花はいきおいよくうなずいた。


 カフェメニューにはドリンクやデザートもある。


 シロクマの顔をしたアイスクリーム。

 魚の形のカラフルなシャーベットが泳いでいるソーダ。

 そして――。


「ニシキアナゴのヨーグルトフラッペ……!」


「真隅さん、大好きですもんね。ニシキアナゴとチンアナゴ」


「なぜ、それを……!?」


「逆に、どうして驚いてるんですか。キーホルダーやら小物入れやらスマホの壁紙やら。あれだけニシキアナゴとチンアナゴで揃えておいて、どうして気付かないと思ったんですか」


 そう言いながら羽住くんがあきれ顔で指さしたのは、花が斜めにかけているグレーのカバンだ。

 正確にはカバンのチャックにつけているキーホルダー。

 学校カバンにつけている物よりもひとまわり小さめの、デフォルメされたニシキアナゴとチンアナゴのキーホルダーが仲良く揺れていた。


 確かに、これだけぶら下げておいたら気付かれるに決まっている。

 羽住くんならなおのこと。


 花は気恥ずかしさに熱くなったほほをなでた。


「それじゃあ、買いに行きましょうか」


「二人に見つからないかな?」


「ふらふらと買いに行こうとしていた人が何を今さら」


「ニシキアナゴとチンアナゴの引力に引き寄せられるのは、人の性です。……仕方がない」


「真隅さんだけですよ、そんな性を持って生まれてきてる人は。……あちらはまだ店内のレジに並んでますし、外の持ち帰り用レジなら鉢合わせる心配はないと思いますよ」


 そう言いながら歩き出す羽住くんのあとを、花は小走りに追いかけた。


「他に気になるメニューはありますか?」


 浮かれてスキップ気味になっているところを羽住くんに見られてしまった。

 くすくすと笑いながら羽住くんが尋ねる。


「これ以上、食べたら夕食が入らなくなるので」


「昼食をすっ飛ばして夕食の心配ですか。大きくなれないですよ」


 お母さんか! と、レジで注文する羽住くんの背中にツッコミを入れようとして――。


「どうぞ」


 差し出されたニシキアナゴのヨーグルトフラッペを見た瞬間、すべてがどうでもよくなった。


 アイシングで白と黄色のシマシマを描いて、ニシキアナゴに見立てた太めのスティックビスケット。

 それがヨーグルト味の白いフラッペに三本差してある。


 白い砂から顔を出すニシキアナゴそのものだ。


「走ると転びますよ」


 またお母さんみたいなことを言ってるけど無視だ。

 羽住くんの手からプラスチックのカップを奪い取ると、花は小走りにベンチまで戻ってスマホを構えた。


 まずは真上から。

 つぶらな目がかわいい。


 次に斜め上から。

 ツンと持ち上げた顔がかわいい。


 次に真横から。

 黄色と白のシマシマ模様の細長い身体がかわいい。


 最後に、下から――。


「ストロー、差し忘れてますよ」


「待って! もうちょっと待って!」


「はいはい」


 ベンチに座ったり、立ち上がったり、しゃがみこんだりして、散々にニシキアナゴのヨーグルトフラッペを撮影した花は――。


「撮りきったぁ!」


 空を仰ぎ見て、叫んだ。

 もう、これで帰ってもいいくらいの充実感だ。


「今、帰ると町内運動会に引きずり出されますよ」


「心を読まないでよ、羽住くん」


「読めませんし、読んでません。真隅さんが分かりやす過ぎるんです」


 ニシキアナゴのヨーグルトフラッペ撮影会のあいだ、入り込まないように待っていてくれたらしい。

 振り返ると、羽住くんがストロー片手に苦笑いで突っ立っていた。


「……お待たせしました」


「いえいえ」


 ようやくベンチに腰掛けて羽住くんが差し出した青いストローを受け取った。


 このまま飾っておきたいかわいらしさだけど仕方がない。

 覚悟を決めてストローを突き刺した。


 眉間にしわが寄っていたらしい。

 羽住くんは自身の額を指さして、くすくすと笑い声をもらした。


 ストローを吸うと甘酸っぱいヨーグルトの味が口の中に広がった。

 走ったり人混みにもまれたりで少し汗をかいていたから、冷たさと甘すぎない味がちょうどいい。


 ほっと落ち着いたところで、花は羽住くんにフラッペのカップを差し出した。


「はい、羽住くん」


 羽住くんは目を丸くして花を見つめたあと、ストローを見つめて困り顔で微笑んだ。


「ヨーグルト味、苦手だった? 冷たいのがだめとか?」


「いえ、好きですよ。……だから、ストローをもらってきますね」


 ベンチから立ち上がろうとする羽住くんを見上げて、花はフラッペに差したままの青いストローを指さした。


「間接キスになりますけど?」


 花の不思議そうな表情と無言の問いに、羽住くんはイタズラっぽく笑った。


「気にするの?」


 花もにやりと笑って返した。

 からかっているのだと分かっているからというのもあるけど、本心でもある。


 このみやお兄ちゃんとだって同じようなことをしている。

 羽住くんだって言うほど気にしてないだろうと思ったのだ。


 でも――。


 羽住くんは目をしばたたかせたあと、にこりと微笑んだ。

 目が笑っていないタイプの微笑みだ。


「俺は気にしませんけど、少しは気にしてほしいとは思ってます」


 何が気に入らなかったのかはわからないけど、何か気に入らなかったらしい。


 羽住くんは花からカップを受け取ってストローをくわえたかと思うと、ズーッといきおいよく吸い込んだ。

 あっという間にカップの中身が半分くらいになってしまった。

 ニシキアナゴのスティックビスケットが傾いて、カップのふちに寄り掛かった。


「ど……どうかしましたか?」


「どうもしませんよ。むしろ、どうしてそんなことを聞くんですか?」


 思わず敬語で尋ねる花に、羽住くんはニコニコと笑顔で聞き返してきた。

 笑顔が怖い。笑顔なのに怖い。


 ご機嫌斜めな羽住くんのようすをうかがいながら、花はニシキアナゴのスティックビスケットに手を伸ばした。

 羽住くんはそっぽを向いて、カップを花の方に差し出してくれた。


 目が笑っていない笑顔は怖いけど、やっぱり羽住くんは優しい。

 花はニシキアナゴに見立てたスティックビスケットを一本、引き抜いた。


 つぶらな黒い瞳がこちらを見ている。

 やっぱりかわいい。


 口に入れるのを迷っていると、くすりと笑う羽住くんの声が聞こえた。

 覚悟を決めて頬張る。


 アイシングの甘さとビスケットのバターの香りが口の中に広がった。


「かわいい上に美味しい……!」


 ほほを押さえて思わずうなり声をあげた。


「ニシキアナゴ、一匹は羽住くんの分ね」


 花は傾いてカップの縁に寄り掛かっているニシキアナゴのスティックビスケット二匹を指差した。


ほんじゃなくて匹なんですね」


 くすくすと笑う羽住くんに花は当然とばかりにうなずいた。


「で、もう一匹は私の分」


 花は一匹を引き抜いて自分の口に入れた。

 そして、最後の一匹を引き抜くと羽住くんの口に押し込もうとして――。


「真隅さん」


 羽住くんにやんわりと、手で押し返されてしまった。

 さっきは目が笑っていないタイプの微笑みだったけど、今度は完全に仏頂面だ。


 何が気に入らなかったのかはわからないけど、またしても何か気に入らなかったらしい。


「だから、少しは気にしてほしいと……」


 低い声で言いかけて、羽住くんは言葉を切った。体をななめに傾けて何かをのぞきこんでいる。

 花も羽住くんの視線を追い掛けて、振り返った。


 羽住くんの視線の先にはカフェでハンバーガーを食べている西谷くんと九重さんの姿があった。

 さっきよりも人通りが多くなってきている。

 行き交う人たちのすきまから、二人の姿がコマ送りのように途切れ途切れに見えた。


 ハンバーガーとセットでポテトを頼んだらしい。

 九重さんがよそ見をしているすきに、ポテトを持っている九重さんの手をつかんで、西谷くんがパクリと食べてしまった。

 それに気が付いた九重さんは西谷くんの肩を小突いた。

 そして腕を伸ばすと、西谷くんが反対側の手に持っていたハンバーガーを引き寄せて――。


「この居たたまれない気持ちはなんでしょうか、羽住くん」


 途中で耐え切れなくなった花はベンチに座り直すと、羽住くんの顔を無表情で見上げた。


「なんでしょうね、真隅さん。俺たち二人もはたから見るとああいう感じになってしまいますけど、いいですか?」


 にこりと微笑む羽住くんを見上げて花は首をすくめた。

 また、目が笑っていないタイプの微笑みだ。

 理由はさっぱりわからないけど、またご機嫌斜めになってしまったようだ。


 少し考えて、花はポン! と手を叩いた。


「でも、ほら。九重さんと西谷くんと、私と羽住くんは違うから……」


 ああいう感じにはならないよ、というより先に――。


「……そうですね」


 羽住くんは低い声で言ったかと思うと、花の手からニシキアナゴのスティックビスケットを取り上げた。

 そのまま口に入れたかと思うと、サクサクサクサク……と、いい音を立てて食べきってしまった。

 しかも無表情で――!


「ちょ、ちょっと……でた? 味わった!?」


「さぁ、どうでしょう」


 多分、愛でられることも、味わわれることもなく。

 あっという間に姿を消したニシキアナゴに花は悲鳴のような情けない声をあげた。


 花の悲鳴に羽住くんは満足げに微笑んだ。

 悪い魔法使いとかがしそうな意地の悪い微笑みを見せたあと――。


「そろそろ行きましょうか」


 羽住くんはそう言ってベンチから立ち上がった。

 振り返って見るとカフェの中の九重さんと西谷くんもトレーを手に立ち上がったところだった。


「これでようやく、本命の水族館に入れますね」


 カフェの入口近くに置かれたゴミ箱へと向かう二人を眺めながら、羽住くんはため息混じりに言ったのだった。

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