はちわ。
九重さんと西谷くんはカフェを出ると水族館のチケット売り場に向かった。
「予定より一時間遅れですね」
二人がチケット売り場の列に並ぶのを確認して、羽住くんはほっと息をついた。
ようやく本来の目的地である水族館に入れる。
「まぁ、最初からそういう予定だったかもだし。尾行させてもらってる私たちが文句言うのは失礼でしょ」
「……まぁ、そうですね」
歯切れの悪い羽住くんの手からカップを奪い取って、花は残っていたヨーグルト味のフラッペをズズーッ、と吸い込んだ。
「ゴミ、捨てて来るね」
「わかりました。それじゃあ、俺は先に並んでますね」
チケット売り場の列を指差す羽住くんにうなずいて、花はカフェの外に置いてあるゴミ箱に小走りで向かった。
ゴミ箱に空になったカップを捨てて、チケット売り場に向かおうと振り返ったところで花はたたらを踏んだ。
開館時間から一時間近く経っているからだろうか。
思っていたよりも早く入場券を買えたらしい。
九重さんと西谷くんが花の前を横切ったのだ。
と、言ってもそこそこ距離はあるし、人混みの中だ。二人が気付いた様子はなかった。
気付かれても偶然を装って誤魔化せばいいのだけど――。
「羽住くんじゃないからなぁ、私」
花の場合、すぐに顔に出てしまいそうだった。
念のため、大柄な男の人の影に隠れて二人の様子を探る。
九重さんと西谷くんはチケットを手に水族館の入り口へと向かっていた。
ふと九重さんが足を止めた。
スマホを取り出して画面を見た瞬間、九重さんは目を見開き、ほほを押さえた。
心なしか、顔が青ざめて強張っているように見える。
西谷くんも九重さんの異変に気が付いたらしい。心配そうな表情で何か声をかけた。
でも、九重さんは素早い動きでスマホをしまうと、勢いよく首を横に振った。
そして、西谷くんの背中を押して水族館へと入っていってしまった。
お母さんからお説教でも届いたのだろうか。
九重さんの表情を不思議に思いながら見つめていた花は、すぐにハッとした。
この人混みだ。
あっという間に二人を見失ってしまうかもしれない。
あわててチケット売り場にいる羽住くんの元に向かおうとして――。
「そんなところで立ち止まっていると、人とぶつかっちゃいますよ。行きましょうか」
そっと肩を押されて花は顔をあげた。
いつの間にやってきたのか。
花を見下ろして羽住くんが微笑んでいた。
うながされるままに水族館の入口へと歩き出した。
自動ドアをくぐり抜けて、係員にチケットを渡す。
館内は夜のように薄暗かった。
天井や足元では、白やピンク、青色の小さな明かりがついたり消えたりしている。
まるで星空を歩いているみたいだ。
「ぼんやりしていると転びますよ」
ぽかんと口を開けてあたりを見まわしていた花は、羽住くんに背中を押されてエスカレーターに乗った。
一人分の横幅しかない細いエスカレーターだ。
薄暗いトンネルの中を昇って行くと不意に明るくなった。
眩しくて思わず顔を伏せると――。
「ペンギンですよ」
羽住くんの声。
エスカレーターの下の段にいる羽住くんが肩越しに指差すのを見て、花は顔をあげた。
ゆらゆらと揺れる水面の向こうに青空が見えた。波のあいだをぬって太陽の光が差し込んでいる。
その光を小さな影が横切った。
ペタペタと歩くちょっと間の抜けたかわいらしい姿からは想像もできない。
飛行機雲のように水の泡の線を引きながら、ペンギンたちは水の中を飛び回っていた。
「……!」
声にならない歓声をあげると、羽住くんがくすりと笑うのが聞こえた。
トンネル型の水槽の中を泳ぎ回るペンギンは右に左に、上に下にと縦横無尽に飛び回っている。
ぐっと頭を上げて空へと向かっていき、あっという間に小さくなる姿はいっそ格好良い。
「なんだか人魚姫みたい」
「人魚姫ですか?」
羽住くんが不思議そうに聞き返した。
花は満面の笑顔で頷き返した。
外の世界に何があるのか。
ドキドキしながら海面を目指して泳いでいく人魚姫の姿がペンギンたちと重なって見えたのだ。
「足元、気を付けてください」
羽住くんの声からほどなくしてトンネル型の水槽が終わった。
白塗りの天井にハッとして足元を確認するよりも早く、羽住くんがそっと背中を押してくれた。
おかげでつまずかずにエスカレーターを下りられた。
自動ドアをくぐって外に出ると、そこは屋上だった。
見上げると真っ青な空に白い雲が浮かんでいた。
いい天気だ。
こんな日に屋外で運動会だなんて、たまったものじゃない。
羽住くんは足早で端に避けると人の邪魔にならないところで足を止めた。
あたりを見回しているのはターゲット二人の姿を確認しているからだろう。
そういえば、ぼんやりと眺めていたせいで飛び回るペンギンたちを撮り忘れてしまった。
「逆走はできないですけど、再入場はできますよ」
未練がましくエスカレーターの出口を見つめていると羽住くんが言った。
当然のように考えていることを言い当てる羽住くんに、花は後ずさった。
「だから、心を読まないでってば。羽住くんは魔法使いなの?」
「魔法使い? ……じわじわ距離取るの、やめてください。傷付きます」
「今、読んでる小説に出てくるんだよ。ほぼ万能。人の心の中をのぞき見ることだってできちゃう魔法使い」
へぇ……と、相づちを打ちながら羽住くんがすっと指をさした。
見ると、九重さんと西谷くんが並んでペンギンを眺めていた。
あの下にトンネル型の水槽があるのだろうか。
早くのぞきに行きたいけど、二人が離れるまでは近付くわけにもいかない。
手近な水槽をのぞき込むと二匹のウミガメがゆったりと泳いでいた。
手すりに頬杖をついて眺めていると、隣にやって来た羽住くんも同じように手すりに寄り掛かった。
「土日に読むと言っていた小説ですか。性格の悪そうな魔法使いですね」
「そう、羽住くんによく似た
「なんだ、女性キャラなんですね」
「性悪ってところはツッコミないの?」
呆れ顔の花に羽住くんはくすりと笑うだけだ。
二匹のウミガメは丸い水槽の中をゆったりと泳ぎながら、鼻先でつつき合っている。
「恋を知らない魔法使いの少女は、幼なじみの命と引き換えに主人公から恋をする心をもらうの。丸ごと、全部」
「そして、恋ができなくなった主人公に恋をする……と、いったところでしょうか。さ、行きましょうか」
あっさりと言い当てる羽住くんに、花は唇をとがらせて歩き出した。
見ると九重さんと西谷くんがペンギンの水槽を離れていくところだった。
その次はカワウソのようだ。
カワウソも早く見たいけど、まずはペンギンだ。
花は人混みをぬってペンギンの水槽へと駆け寄った。
展示されているのはケープペンギン。海の近くの草原に生息するペンギンだ。
展示場の奥に作られた陸地部分には草が生えていた。
「落ちないでくださいよ」
身を乗り出して水槽の中をのぞきこむと、揺れる
やっぱりこの下にトンネル型の水槽があるらしい。
泳ぎ回っているペンギンも多かったけど、陸で毛づくろいしているペンギンの方が多い。
ふわふわの毛におおわれたヒナもいた。
「魔法使いの恋はどんな感じなんですか?」
ヒナを撮っていると、花のスマホをのぞき込みながら羽住くんが尋ねた。
図書室でも羽住くんからストーリーを聞かれることはよくある。
読む気がないから聞くのかと思っていたけど、ネタバレを気にしない性格らしい。
ミステリーだけはうっかり犯人を言ってしまうと渋い顔をするのだけど。
「まだ三巻だし、メインは主人公と幼なじみの友情と冒険だから。魔法使いの行動がトラブルの原因になったりはするけど……あんまり進展はしてないかな」
「魔法使いも全部じゃなく、半分くらいにしておけばよかったものを」
「元も子もないことを言うなぁ。まぁ、過去になんかあったっぽいんだけど……あ、続きが読みたくなってきた」
「今は我慢してくださいね」
羽住くんはそう言いながら、スマホとパンフレットを取り出して見比べ始めた。
背伸びでのぞき込もうとすると、花が見える高さまでパンフレットを下げてくれた。
パンフレットにはショーのタイムスケジュールが書かれていた。
三十分に一回は何かしらのショーや体験会をやっているようだ。
「あと十分ほどでアシカショーなんです。二人はそれを見に行ったみたいですよ」
「行こう! カワウソを見てから行こう!」
「はいはい、わかりました。カワウソを見てから行きましょうね」
カワウソの展示場のようすを探ると、すでに九重さんと西谷くんの姿はなかった。
花がペンギンに夢中になっているあいだに移動してしまったようだ。
花はちらりと羽住くんを見上げた。
羽住くんも同じようにペンギンを見ていたはずなのに、どうして二人がアシカショーを見に行ったとわかったのか。
「背中に目がついてる……いや、やっぱり人の心を読める……?」
ますます小説に――〝マリオネット冒険記〟に出てくる魔法使いっぽい。
カワウソの展示場へと歩いていく羽住くんの背中をにらみつけて、花は大真面目な顔でそんなことを考えていた。
アシカショーの会場はカワウソの展示場の、さらに奥にあった。
ショーの会場の手前にあるアマゾン川コーナーで、のんびりとピラニアを眺めていたせいで開始時間ギリギリに入ることになってしまった。
水槽にへばりついていたのは花の方だ。羽住くんは大量のピラニアからずっと顔を背けていた。
ピラニアが出てくるパニック映画を見て以来、苦手らしい。
アシカショーの会場はすり鉢状になっていて、丸いプールの中央に丸いステージがぷかぷかと浮いていた。
ぷかぷかと揺れるステージの上にアシカが泳いで登場するらしい。
ぐるりとショーの会場を見回して、先に座っているはずの九重さんと西谷くんを探す。
広い会場で二人を探すのは難しいけど〝ウォーリーを探せ〟みたいでちょっと面白い。
先に見つけたのはやっぱり羽住くんだった。
別に勝負をしていたわけじゃないけど、なんだか悔しい。
九重さんたちは前から二列目のベンチに並んで座っていた。
西谷くんのスマホを二人でのぞき込んでいる。
撮ったペンギンやカワウソの画像を見ているようだ。
花と羽住くんは二人の真後ろの、最後列に腰掛けた。
「人間の背中に目はついてませんから、ここが一番見つかりにくいですよ」
羽住くんがそう言うのを聞いて、花は白い目を向けた。
だって、そう言う羽住くんの背中には目がついてる気がするのだ。
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