幕間:花嫁修業【料理編】
時刻は午前10時頃と昼食までにはまだ早く、その所為もあっていつも利用する食堂もしんと静けさが漂っているはずが、今日は物珍しい来訪者らによってとても賑やかしい。
「――、というわけですので。今日から本格的にライシお兄様のために料理の特訓を開始いたします」
渋ることなく俄然やる気に満ちた妹達にはアリッサも頬を優しく緩め、脳裏をよぎる忌まわしき記憶が瞬く間に険しさを帯びさせる。アリッサだけでなく、五姉妹にとってその記憶は完全にこの世から抹消したいと心から強くそう願うほどの汚点であって、一時は記憶を消す薬の開発を家臣に要求すると言う無茶もやらかした。
あのような失態は二度としない! 青くした顔で去っていく兄の姿に、それはそれで興奮を憶えつつも早速アリッサは厨房に立った。今回はイベント用の簡易な調理台ではなく、本格的な調理場を前に以前のように滞ることはまずなかろう。
その予定のはずだったのにいざ食材を前にすれば、どうすればよいものかという疑問が壁としてアリッサらの前に立ちはだかった。
「ねぇねぇアリッサお姉ちゃん、これどうやって切ればいいの?」
「えっと、それは本によると……こう?」「クーのは? クーのは!?」
「う~ん……この短冊切りってこんな感じでしょうかぁ?」「……なんか太くね?」
失敗をしてから一応自分達なりに料理の勉強をしたが、知識だけ得るのと実際にするのとでは訳が違う。知識と技量この二つが合わさってこそはじめて形となる。
――本には下級モンスターでもわかると書いてあったのに……。
――適量とか、少々とか……もっと具体的に書けばいいものを!
これだから人間と言う下等な種族はとアリッサが憤慨するのも、あろうことかすべて人間が記したものばかりだからに他ならない。
この書物を管理するのは料理長のニスロクで、彼に何故このような人間が書いたものを蒐集しているのかという疑問の声が多々あがった。
「……人間は時に我ら悪魔をも凌駕する時があります。それは技術であり信念も然りです。特に食……料理に関する人間達の情熱には目を見張るものがあります。そこは素直にわたくしも称賛しているんですよ」
混じりっ気のない言葉をアリッサは理解できず、ただし心から料理を愛する彼だからこそいつもおいしいのだろうと改めて実感した。あのアスタロッテでさえも料理に関してはニスロクを師と仰ぐほどで、いつか母のようになりたいと強く思うようになった。
――私ももっと頑張らないと……!
料理に関してはさほど興味がなく、作るのは使用人の仕事だからというアリッサらの考えはあのイベントをもってがらりと大きく変わった。
おいしい料理を大好きな兄に振る舞いたい。おいしいと言ってもらいたい。
あわよくばそのまま妻として娶られたいと年相応の乙女心を爆発させるアリッサらは、料理本を片手に悪戦苦闘の末にできた料理は、お世辞にもおいしいそうとは程遠い。
「うっ……なんか、変な臭いがずるぅ……」
鼻をつまんであからさまに嫌悪感を示すエルトルージェに続けて、他の姉妹達も同様に距離を取る様子から誰も試食をしようとはしない。悪臭だけがただ漂う中で沈黙を貫く一向は、このできそこないとしか言い様のない料理をどう処分するかで思考を忙しくなく巡らせる。
――こんなもの、ライシお兄様にお出しなんかできない……!
見た目と臭いだけで食欲など湧くはずもなく、しかし処分せぬことには次に行くこともままならなければ、貴重な食材を無駄にしたことへの説教もアリッサ達は何よりも恐れた。
どうにかして処分しないと。でもどうやって処分すればいい? うんうんと姉妹総出で悩んでいたその時。不意に「あれ?」というクルルに一同がどうしたのかと小さき少女の視線を追えば、一瞬にして一様ににしゃりと歪んだ笑みが浮かんだ。
「失敗作とは言え、私達が作った手料理を渡すなど本来なら死んでもありえませんが……今回の場合は致し方ないですね」
「それじゃあ、早速行きましょうかぁ」「ボクも行ってきまーす!」
元気よく飛び出す三女に続いて次女が追いかける。
私達はとても運がいい。ライシはもちろん母から家臣と誰にも迷惑をかけずに、この失敗作を処理できるというのだから、下等で下劣と蔑む人間を捕縛することにも今回はなんら躊躇いもない。
あっという間に捕縛したその冒険者は、四肢をもがれもはや死以外の道はないであろうはずなのにキッと強くアリッサらを睨み返した。風前の灯火の分際にしていったいどこに反抗心が湧くのかと差して興味もないアリッサの思考からすぐに関心は失せて、出来立てほやほやの料理を前に出した次の瞬間。
「な、な、なんだよそれは……!」
と、明らかに恐怖する冒険者にアリッサは黙ってスプーンを差し出す。
皿の部分を満たすどろりと粘着質が極めて強い緑の液体からは、シューシューと悪性のガスを噴出しそれを間近で嗅いだ冒険者が激しくのたうち回る。
さながら陸に上がった魚のようで、しかし問答無用でアリッサは口の中へとスプーンを突っ込んだ。無理矢理だったから力加減などは一切配慮しておらず、そもそも人間だしどうせ殺すのだからどっちでも構わない。
「光栄に思いなさい人間。あなたは死ぬ間際にこの私達の手料理を食せるのですから」
「でも、味見ですけどねぇ」「これはボクもちょっと食べたくなかったし……」
「おいどうなんだ? うまいかまずいかハッキリと答えろよ!」「わくわく……わくわく……!」
一口の量は差ほど多くはなく、だがものの数秒足らずで冒険者の身体に異変が生じた。
がたがたと激しく
程なくして冒険者は動かなくなった。健康的だった肌は紫色に変色し、飛び出した眼球はどろりと溶けて腐敗臭を漂わせて、エルトルージェの放つ赤黒い炎が跡形もなく燃やした。
「――、とりあえずこの料理はやはり失敗だったみたいですね」
「とりあえずまだ時間はありますから頑張りましょうよアリッサお姉さまぁ」
「そうですね。幸いにもまだ
視線を下ろした先、怯えた様子で見上げる姿はまるで子羊のよう。これから自身に何が起きるか理解した冒険者らに、アリッサは冷ややかな視線をただ返した。
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