第四章:母と息子、兄と妹
第26話:盗み聞きはよくない
空がまだ
また母さんが何かしでかしたのか? その疑問はどたばたと慌ただしくやってきた家臣からの言葉によって融解する。
「あの、アスタロッテ様が至急玉座の間に来るようにとのことです。その……何かされたのですか? あんなにも怒られているアスタロッテ様はなかなか見たことがないものでしたので」
と、どこか怯えた様子で話す家臣に猶更疑問が深まったライシは、とにもかくにも直接本人の口から問い質さないことには始まらないとして急いで玉座の間に向かう。
――な、なんだ……?
――空気が重いし、息苦しい……!
玉座の間までの道のりは差して遠くもなく、複雑でもない。
まっすぐと続く長い廊下を渡ればいいだけのこと。たったそれだけのことなのに、ライシの足取りは重くなかなか一歩が踏み出せない。本能が先に進むことを激しく拒否していて、原因がやはりアスタロッテによるものだと察したライシがなんとか玉座の間に着くと、
「やっと来たわねライシちゃん」
「えっと、母さん……?」
朝の清々しさなど皆無である室内をぴんと張り詰める緊迫した空気に、ライシの頬から一筋の脂汗がじんわりと滲んでは顎先へと伝い、固唾を呑んでアスタロッテからの言葉を待つことにする。
「まず、どうして呼び出されたかライシちゃんはわかるかしら?」
「それは――」
わからないからこうしているのだ。その気持ちをぐっと胸の奥にしまいこんで、やはりどうしても理由が皆目見当もつかないライシは結局首を横に振るしかできなかった。
一つだけ可能性があるとすれば、ちらりとライシが横目にやればそこにはアリッサ達の姿もあった。
――なんだかあいつら、不機嫌っぽくないか?
さながら鉄仮面のようで、じろりと向けられた視線は猛禽類のように鋭くて冷たい。
とりあえず妹達をなにかしらの原因で怒らせたことが、今回の起因であるらしい。相変わらずその理由についてまでは知り得ないが。
「ライシちゃん、この城を出ていこうとしているって本当なの?」
「なっ……!」
アスタロッテの言葉にライシは戦慄した。
何故、母さんがこのことを知っている!? 昨晩アモンとのやり取りを誰かに見られていたという事実に驚愕したのもそこそこに、この難局を如何にして打破するべきかライシの思考は過去一番の目まぐるしさを見せた。
ひとまず、まだ自分が本当の子供ではないことはバレてないと見て間違いなかろう。
あくまで彼女からの追及は旅に出ることのみらしく、今後を考慮するなら誤魔化す必要がやはりあるのは確かだとライシは判断した。
「それで、その話は本当なの?」
「え、いや……どうしてそんな話が出てるのかが俺にはさっぱりなんだけど」
「……アリッサちゃんの聞き間違いだった、ということ?」
「アリッサが?」
と、ライシがアリッサの方を見やれば、今度はしっかりと
――こいつがここまで怒るなんて……。
ふとした切っ掛けで怒ることは確かに過去にも何度かあった。
もっとも、ライシが目にした怒りはどれも歳相応のかわいらしいもので、じゃれついているという認識の方が強くあったと言ってもいい。
殺意を含む怒気はあくまで人間に対してのみで、だからこそこんなにもハッキリとした怒気を向けるアリッサ達にライシは不謹慎ながらも、ほんの少しだけ安心してしまう。
例え愛する相手にでも怒ることができるのは、多分とてもいいことだと思う。
でも、死にたくないな……。ライシは心から切に彼女らの怒りが鎮まるよう強く願って、アスタロッテからの凄まじい重圧感を孕む言霊に身構えた。
「正直に言ってライシちゃん。ママ怒らないから」
「いやそれ、後で絶対に怒るパターンじゃん……」
「いいから白状しなさい! 正直に言わないとご飯とおやつを抜きにするわよ!」
「お、お母さん!? そ、それはいくらなんでも厳しすぎるんじゃ……」
「そ、そうですよぉ。そんなことしちゃったら一時間でライシ兄上様が餓死しちゃいますぅ!」
「いや後半……」
アスタロッテの発言に抗議する次女と三女だったが、ここでついさっきまで無言でぎろりと鋭い眼光を飛ばしていたアリッサが静かに、ゆっくりと前に出てその艶めかしい唇をそっと開いた。
「ライシお兄様……正直にお話しください。昨晩アリッサは、アモンとライシお兄様が会話しているのを聞いてしまったんです。途中からではありましたが昨晩の会話の内容、一言一句間違えることなく復唱できるほどに……」
「アリッサ……」
――そんな悲しそうな顔をするのは、反則だろ。
深い溜息を一つ、これはこちらが折れるしかないとライシは観念した。
よくよく考えれば、身内の誰かに聞かれた時点で既に積んでいるのも同じ。
仮にここで口を割らずとも、彼女らにはアモンがいる。
忠誠心の高いアモンのことだ、如何にライシとの間に契約があっても優先順位がアスタロッテ達にあるのは、わざわざ言うまでもなくわかりきっている。
「……もうすぐで俺は二十歳になるだろ? そうなったら成人だ。だから俺は、旅に出ることにした」
ヤケクソという意味合いもあるが、迷いないはきはきとした口調でライシが答えた瞬間、それまで静謐だった玉座の間は一気にざわざわとどよめきに包まれる。
嘘だ、信じられない――そんな姉妹からの激しい動揺と狼狽が飛び交う中でアリッサとアスタロッテだけが、この場において冷静さを保っている。
「それは、どうしてそんなことを思ったの?」
「純粋に、外の世界が気になったから」
「そんなの、ママは絶対に許さないわよ!」
と、案の定すぎる返答だったものだからライシはつい心中にて苦笑してしまう。
人の話は最後まで聞いてほしい。咳払いを一つして、
「城の中にいてばっかりじゃあ情報にも偏りが多くなるし、何より自分自身の成長に繋がらない。外に出ていろんなことを経験して学ぶ、それが今後この城のことや母さんを支えていくための力になるって俺はそう信じているから」
もっともらしいことを述べる。
自分が主体である限り、この家族はテコはもちろんドラゴンにだってきっと動かせない。
だから自分ではなく相手にすり替える。
――本当はどうしても確認したいことがあるからなんだけど。
先日、その出会いは運命かはたまた神の悪戯か。
フレデリカ・ラーゼス、まったく同じ顔をした人間との出会いから、今もずっとライシの脳裏に色濃く残り、その姿を浮かべてはいつも他人のように思えないという奇妙な感覚に苛まれた。
あの女騎士と自分との間には、何か縁があるのかもしれない。もし勘違いだったならばそれこそ茶でも一杯飲み交わして、しれっと別けれればいい。
「俺がこの城で生まれてからもうすぐで20年……悪魔からすればたったの20年でも、人間にとってはこの20という数字は進化を促すのに十分な時間だと俺は考えてる」
「えっとさ、ライシのアニキ? 言ってる意味がよくわかんないんだけどさ……」
と、小難しそうな顔でうんうんと唸るカルナーザについ微笑ましく思いながらもライシは言葉を紡ぐ。
「要するにだ。人間だからって舐めてかかるといつか必ず痛い目に遭う。人間だって馬鹿じゃあないし、日々俺達のような悪魔をどうやって討伐すればいいかで頭いっぱいだ。だからこそ俺達も敵側の情報を入手しておく必要がある。戦いにおいてまず重要なのは情報だって言うだろ?」
「それは……そうかもだけど」と、アスタロッテ。
「だ、騙されてはいけませんお母様!」
と、明らかに焦った様子のアリッサの声にアスタロッテがハッとした顔で「そ、そうね」と冷静さを取り戻した。後少しだったのに余計なことをしてくれたものだと、この時ばかりはアリッサについてほんの少しだけ、ライシは恨めしく思った。
いずれにしても、まだ打つ手はある。
「そ、それならライシお兄様でなくてもいいではありませんか! 実際この城には諜報活動を主とする家臣もいることですし……!」
「確かにな、だけどそれも万全じゃない。俺が旅に出る利点はもう一つある、それはなんて言ってもこの身体だろう」
「身体……ですか?」と、不可思議そうにするアリッサ。
「そうだ。俺は見ての通り、生まれつき悪魔としての要素がほとんどない。翼もないし角もなし、だから人間社会にすんなりと溶け込める、他の悪魔よりもずっと情報収集がしやすいってことだ」
「なるほど!」
と、無意識に納得の意を示したカルナーザだったが、とりあえず頭を叩いたアリッサの行動はあまりよろしくない。
ご丁寧に拳骨でさぞ痛むであろう頭頂部を涙目で擦る四女にはライシも溜まらず撫でにいってしまう。
「おいおい、いくらなんでも拳骨はないぞアリッサぁ。大丈夫か?」
「うぅ……ヘヘヘッ、ライシのアニキが撫でてくれるからへっちゃらだぞ!」
「そうか。お前は強い妹だな、カルナーザ」
「あぁぁぁぁぁぁぁ! ズルいズルい! ボクも撫でてよ~!」
「エスメラルダもお願いしますぅ!」「クーもクーもっ! なでて、なでて~!」
当然ながら他の姉妹達から羨む声が多々上がるも、まだ話の途中だ。
名残惜しそうな顔をするカルナーザからそっと距離を取ったライシは再び、家族と相対した。ぶーぶーと非難の声が殺到するが気にしないことにする。
「――、と言うわけだから俺自身のスキルアップや経験のためにも旅に出る。以上」
「よくわかったわライシちゃん、ライシちゃんがそこまでママやみんなことをよく考えてくれていたのね」
――おっ? これはいけるか?
「――、なんてママが許すわけがないでしょ!」
「ですよねぇ~」
涙目で猛反対するアスタロッテに、ライシは苦笑するしかなかった。
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