第27話:子離れできない母からの試練

「とにかくママは許しませんよ! もしライシちゃんが危ない目に遭ったりするって考えると、ママは……」

「母さん……」

「――、でも。きっとママがこう言ってもライシちゃんは納得しないでしょ?」

「え、まぁ、うん」と、ライシ。



 小さな溜息の後、アスタロッテがゆっくりと口を切った。心なしかその表情には、なにか強い決意のようなものを感じる。

 何を言われるのだろうか。身構えるライシに、アスタロッテがその口を勢いよく切った。



「どうしても旅に出たいと言うのならライシちゃん、ママから一つ試練を与えるわ!」

「し、試練?」



 と、尋ねるライシよりも外野の方が何故か激しくざわつく。



「お、お母様! 試練とはどういうことですか?」

「いやそれ俺の台詞なんだけど、なんでお前が言うんだよ……」

「ママからの試練を無事に乗り越えることができたら……悲しいけど、ライシちゃんが旅に出ることを許可してあげる。だけどもし失敗したら旅の話はなし、それでどう?」



 アスタロッテからのこの提案にライシはしばし沈思する。

 双方にとって悪い話、ではない。不毛な口論をするよりかはずっと効果的で、互いに納得ができる。仮に失敗したとしてもこっそりと出て行ってしまえばいいだけの話であるし、どちらに転んでもメリットがあるのはこちらだ。どんな試練の内容かはさておき、ライシはアスタロッテに静かに首肯して答えた。



「わかった。その試練に挑ませてもらうよ母さん」

「……本当にいいのね?」と、アスタロッテ。

「もちろん」

「本当に本当にいいのね!?」

「いやだから、うんって言ってるじゃん……」



 自分から提案しておきながら随分とくどくないか? まるで試練を受けないように誘導している気がして、しかしライシは頑として己の主張を貫く。


 問題はやはり内容について。ライシが思うにあの母のことだからきっと、早々簡単にクリアできるような軟な試練ではきっとあるまい。かと言って命に関わるようなものとも、どうも考えにくい。


 ――まぁ、どんな試練でもやることには変わらないけど。

 ――これまで散々鍛えてきたんだ。


 俺なら絶対にやれる。そう自らに強く言い聞かせて、ライシはアスタロッテに促した。



「それで、試練の内容は?」

「それはね――おつかいよ!」

「……は?」



 と、素っ頓狂な声をもらすライシを他所に五姉妹から一斉に驚愕の声があがった。



「しょ、正気ですかお母様!」


 ――ある意味、俺も同意見だったりする……。


 もっと無茶難題を言ってくるものだと身構えてたばかりに、その内容はあまりに稚拙すぎるからとついライシも呆れてしまう。

 確かに一度も城から出たことがなかったら、たかがおつかいとは言っても怖気付いたかもしれない。

 外の世界は未知なることが多く、その分死に直結する危険だって少なくない。


 これも前世の記憶の賜物か……とにもかくにも、肝心の内容についてはまだ不透明な部分が多い。簡単に済むのであれば越したことはないのだけれど。

 一抹の不安と緊張を胸にライシは固唾を呑んでアスタロッテからの言葉を見守る。



「このツヴァルネア城の近くにある、ガチュア山は知ってるわね」

「それは、まぁ……」



 訪れたことは一度もないけれど、その存在程度であればライシは幼少期の頃から知っている。

 標高はおよそ432m程度で、この一帯の中では比較的小さい山に部類される。

 そんな山でもかつては蟲毒の王と恐れられた魔王カルヴァルの根城で、人々は死の山として誰も近付こうとしないぐらい危険だった。


 今となってはそのカルヴァルも過去の存在でしかなく、当時満足に家臣もいなかったアスタロッテがたった単身で三日三晩死闘を演じた末に勝利したと言うのだから、つくづく我が母をライシは恐ろしく思った。


 でも、とライシはここで沈思した。

 あそこには今は特に何もなかったはず……アスタロッテの管轄下となってからのガチュア山は、かつて死の山と畏怖された頃の面影などもう微塵も残っていない。

 アモン曰く、緑と花が豊かで退屈極まりないほど平穏であるらしく、そこに何をしに行けと言うのだろう。ライシははてと小首をひねった。



「あのガチュア山の山頂にはね、ママが植えたお花がたくさんあるの。ライシちゃんはガチュア山まで行って、その山頂にあるこのお花……リエサークを採ってくる。それがママからライシちゃんに与える試練よ!」

「なるほど。そんなことでいいんだったら、今からでも行ってくる」



 ――そんなことでいいんだったら簡単じゃないか。

 ――要はそのリエサークとかって花を採ってくれいい。


 内容自体もあまりに簡単すぎるだけにライシは意気揚々と踵を返す。

 まだ日は高いし、ガチュア山までの距離もそう遠くはない。どれだけ遅くても昼過ぎ辺りには戻ってこれるだろうし、あの付近に出現する魔物もアモン達や冒険者との戦いに比べれば赤子の手をひねるようなものだ。


 こんな簡単な試練でラッキーだ! 玉座の間から出ていこうとするライシだったが、ひしっとしがみつく五人分の重量が行かせまいとして、必死かつ今にも泣きそうな形相を見上げるアリッサ達にライシも困惑せざるを得ない。



「な、なんだよアリッサ! それに皆も……!」

「ライシお兄様……ライシお兄様は正気ですか!?」

「何が!? 俺は至って正気だろ!」

「いいえ、ライシお兄様はおつかいの恐ろしさをまったく理解していません! これほど危険な試練はないと言っても過言ではありませんよ!」

「えぇ~大袈裟ぁ……」



 ――そりゃお前らからすればそうかもしれないけどな……。


 たかが近所の山に行くだけと言う感覚のライシとは真逆に、外の世界より知らないアリッサ達にはさぞ未知と恐怖で満ちた世界なのだろう。だからとおいそれと引き下がるつもりはライシには毛頭ない。



「危ない人間が出たらどうするんですか!?」

「いやこれまでにも何度も冒険者と戦ってるし、城にいたってあいつらはくるぞ?」

「お、恐ろしい悪魔や悪魔が出たら危ないですぅ!」

「出たとしても問題ないだろ。だいたいガチュア山って母さんの管轄下だし、もしここで下手に手を出したら自分らがどうなるかぐらい理解してると思うぞ?」

「えーっと、えーっと……」「何か、何かないのかよ……!」「うーん……わかんないよー」

「……エルトルージェ、カルナーザ、クルル。何も思いつかないんだったら無理して発言しようとしなくていいぞ?」



 ことごとく論破というには少々大袈裟で、しかしこれ以上の口論で自分達に分が圧倒的に不利だと悟る五姉妹が次に頼るのは当然で、泣き縋る我が子を前にしたアスタロッテ本人も涙で瞳を潤ませるものだから、ライシもぎょっと驚愕に目を丸くする。


 何故母さんまで泣く!? 母娘揃って静かにさめざめと泣く光景は異様で、ただしどうすることもできないのでライシは狼狽する他なかった。



「ライシちゃんおつかいなのよ! 危険なことがいっぱいで、とにかく危ないのに本当に行っちゃうの!?」

「え、うん」



 と、そう答えるので精いっぱいだったライシだったが、次の瞬間。清流が濁流と変わるようにアスタロッテから大粒の涙がわったあふれた。

 わんわんとけたたましい泣き声は家臣達を呼び寄せ、現場を目にした途端そっと退室していった彼らの対応は正しい。

 触らぬ神に祟りなし、下手に関われば自分達の命も危うくなる。



「知らないおじさんに連れていかれたりしたらどうするの!?」

「え? この歳にもなってそんなこと思われてるの? 俺ちょっとショックなんだけど……」

「ママからすればライシちゃんだってずっとかわいい子供よ!」

「親目線からすればそうかもしれないけどさぁ……」

「――、ちょっとアモン! どこにいるの!」

「――、私ならばここに。アスタロッテ様」



 音も気配もなく現れたはずのアモンの顔は、心なしか疲労感が漂っている。

 大方このやり取りをどこかで聞いていたに違いない。



「あなたからもライシちゃんを説得して!」

「えっ!? わ、我がですか!? あ、あ~え~とだな。ライシ……様、その、ここは諦めた方が――」

「いや、普通に無理だから」

「申し訳ございません。無理でした」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!」



 なんだこれ? 泣き喚く母娘に呆れ顔で小さいながらもしっかりと溜息を吐くアモンと一緒にライシもほとほと呆れた。

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