幕間:とある冒険者の後悔

 雲一つない快晴の下、木漏れ日が示す道を歩く男達の出で立ちは、なんとも貧相としか言いようがない。布の服を主に質素な装備品を少し、ヒビや汚れから察するにまったく手入れができていないのは明白で、しかしそれをさも平然と着こなす彼らの顔は一様に不気味な笑みが浮かんでいた。



「アニキぃ、本当にこの先にあるんですかい?」



 と、尋ねた小太りの男に「あぁ」と先頭にいるスキンヘッドの男がにしゃりと笑う。

 鬱蒼うっそうとした森を抜けた先には魔王の城がある――つい最近も、ここに訪れた冒険者がいたがとうとう皆の前に帰ってくることはなかった。正確にはたった一人だけ生存者がいた、両腕を惨たらしく破壊された挙句精神が崩壊した状態を奇跡的と呼ぶにはいささか無理があるが。



「あの城に行っちゃいけないってずっとうわ言のように言ってたからなぁ……」

「な、なぁアニキ。やっぱやめときません?」「今回はさすがにマジでやばいような……」



 もともと今回の遠征に乗り気でなかったのであろう怖気付く彼らの挙措に、男の一喝が飛んだ。



「何をビビってやがるんだこの馬鹿野郎共が! この俺様を誰だと思っていやがる。俺様がいりゃあどんな相手だろうと楽勝ってな!」

「だ、だけど相手はあの魔王アスタロッテっすよ!?」

「だからなんだってんだ。あの冒険者は確かにランクだけは高かったみたいが如何せん中身ができちゃあいねぇ。所詮は顔とかだけで選ばれたポンコツ野郎だったってことだ。その点俺様には実力がある! それなのによぉ、全員見た目だけで判断しやがって……」



 これについては全面的に彼らに非こそあるが、しかし自分達は悪くないと頑なに思っているのがなんとも質の悪い話である。男達よりかなり前に魔王城へ赴いた冒険者とそのルックスを比較すれば、絵に描いたような雲泥の差が見事に生じる。

 貧相な装備に付け加えて清潔感が皆無な小汚い出で立ちをする輩に好印象を持てるはずもなし、されど「俺はイケメンなんだぞ!」とぼうぼうに伸び放題の髭と尖った鼻で自信満々に宣うものだから、これにはさしもの部下も苦笑いを浮かべざるを得なかった。



「――、それよりもアニキ! あの城がそうじゃないんですかい?」



 と、やせ気味の男の指先にある巨大な城を前に、男がにしゃりと笑った。


 ツヴァルネア城――魔王アスタロッテが住まう巨城が、たった今から男達の人生のための足台となる。そう信じてまるで疑おうともしない男達が、怪訝な眼差しを向けたのは一人の青年だった。

 男の口からチッと舌打ちがもれるのも、彼の容姿を見やれば無理もなかろう。


「気に入らねぇな……」と、吐き捨てる男とはまるで正反対にある青年の右手に、一振りの剣が握られる。鈍い鉛色の輝きこそ放つが、陽光を浴びる角度によって細かな無数の輝きから男はあれが高価なものだと瞬時に見抜く。

 対する男の剣は案の定というべきか、見た目から中身まで極めて御粗末な出来栄えには青年も呆れ顔だった。



「……ここにくるのなら、せめてもう少しまともな装備ができなかったんですか? はっきり言って舞踏会に出席するためにきれいなドレス着てくる方がまだマシですよ」

「はっ! 男はなぁ、装備や見た目だけじゃあねぇんだよ! テメェみてぇな何から何まで整った温室育ちが俺ら貧民街育ちに勝てるわけねーだろうが!」

「そうだそうだ!」「俺らはあの過酷な環境でずっと生きてきたんだ!」

「お前なんかが俺らに勝てるかよぉ!」「やっちまえアニキ!」



 わぁわぁと騒ぎ立てる外野に青年は目もくれず、まっすぐと男だけを補足する視線の鋭さは氷の如く冷たい。明確な敵意と殺意、それら両方を前にしてようやく男も危険だと察したらしく、慌てて剣を構えたが素人丸出しと言う他ない。


 全身に筋肉は酷く強張り、剣先も小刻みにだがプルプルと震えて安定性がなし。

 対する青年は、無構え。剣をだらりと下げておおよそ戦うには相応しくないが、一部の隙もないから男は踏み込めずにいた。



「一応聞いておきますけど、このまま回れ右をして帰るつもりはありませんか?」

「ふ、ふざけるな! ここまで来て帰れるわけがないだろうが!」

「……まぁやっぱりこうなるよなぁ」

「俺はな……俺達はなぁ、一攫千金目指してここまで来たんだよ。悪魔の分際で俺らを見逃すとか、人間様を舐めんじゃねぇぞコラ!」

「その無駄な虚勢で命を無駄に落とすことに意味が果たしてあるのかどうか……その辺りを考えてほしかったんですけどね。まぁ引く気がないって言うんなら仕方ないか……」



 言動はすべて穏やかなであるのに、青年の振るう剣は裏腹に嵐のような剣だった。

 鋭くて重量感のある一撃が男を容赦なくその腕ごと剣を弾く。

 激しく火花がわっと散っては、けたたましい金打音を奏でる男は、しかしその顔に苦悶の色を濃く示す。青年の剣があまりにも重たいので、剣を通して全身に伝わる衝撃が男に痛みとなって変換していた。



「な、なんつーパワーしてやがんだよ!」



 と、男はなんとか距離を取ろうとさっきからずっと後退する一方だが、青年の剣がそれを許さない。

 荒れ狂う大海原が船を絡め海底深くへと沈めんとするような剣は、一人の犠牲によってわずかばかりの静謐さを取り戻した。



「ア、アニキ……」



 小太りの男の右肩には、青年の剣が深々と切り込まれている。

 ばっくりと裂かれた傷口から鮮血が勢いよく噴出する光景は、誰の目から見ても致命傷であり、もう助かる見込みはない部下だったものに男の剣が唸りを上げる。鈍い刃でこそあるが、込められた剣気の鋭利さは真剣以上で、憤怒の感情いろを示す男の一撃に今度は青年が大きく飛びのく結果となった。



「おぉ……」と、感嘆の声をもらす青年の頬からは薄っすらと血が伝う。

「テメェ……よくも俺のかわいい部下を殺しやがったな!」

「殺しやがったなって……ここにくる以上殺すか殺されるか、どっちしかないっていうのはそっちも承知済みだったでしょうに。だいだいそれを言うなら俺は最初に回れ右して帰れって警告も出してますよ?」

「だ、黙りやがれぇ!」

「やれやれ……」



 刃と刃が幾度となくぶつかり合う。

 その光景は凄烈の一言に尽き、しかし戦況は少しずつ優劣の差が目立ち始めた。

 優勢なのは青年の方だった、このような結果になるのは至極当然の流れだったと言い様がなかった。両者の間には歴とした実力の差が明確化されており、最初からこの戦いに勝ち目などないにも関わらず男は果敢にも青年に剣を振るい続ける。

 がむしゃらで無駄が多い、しかし仲間を殺された執念だけは青年も素直に男には敬意を払った。

 全力を賭して討つべき敵と認識したからこそ、剣が遥か遠くに弾き飛ばされことで男の両膝は糸が切れた人形よろしく、力なくがっくりと地に着いた。



「もう終わりか?」

「クソが……殺したきゃ殺しやがれ」

「ア、アニキ!」「俺らもアニキに続くぞ!」「アニキを守るんだ!」



 部下がどれだけこの男を慕うか、身を挺して庇うその姿にすべてが集約されている。

 依然として戦力差は天と地の差。如何に人数で勝っていようとも、一騎当千の単騎よりも劣れば意味などなし。立ち向かったところで犬死をするだけで勇敢でもなんでもなく無謀というものを、部下達の目は濁りを微塵も感じさせない。



「お、お前ら……」

「お、俺達はこんなだけど全員アニキに救ってもらったんだ!」

「今こそ恩に報いる時なんだよ!」「死ぬ時はアニキを守って死ねりゃあそれでいい!」



 一歩も退かない、強い覚悟を秘めた部下達の言葉に、男はふっと笑って立ち上がる。

 先程の諦めた表情かおはもうどこにもない。



「……悪いな。やっぱ俺様はこんなところで死ぬわけにはいかないみたいだわ」

「……いい仲間を持ちましたね。正直なところ、我先に逃げるとばっかり思ってました」



 青年の顔にもふとした笑みが微かに浮かぶ。

 その挙措が男達の目を丸くしたのも、悪魔と言う残虐性を知るからこその反応なので、決して間違ってはいない。



「……一つ聞く。お前は何者なんだ?」と、男。

「アスタロッテの息子です」と、淡々と答える青年。



 よもや彼らもいきなり王手に近い輩が出てくるとは予想すらなかったろう、雑魚どころの話ではない。

 いきなり幹部級ボスクラスを前にした絶望は想像を絶しようと言うのに、ここにきて新たに増援が加わったことで男達の顔から一瞬にして不敵な笑みが消えた。



「ライシお兄様、ご無事ですか?」

「アリッサ……それにみんなも来たのかよ」



 ぞろぞろとやってくる少女達に一瞬だけ男達はどよめき、しかし可憐で美しいその姿にすっかり見惚れてしまった。それが彼女らの逆鱗に触れたと男達が理解したのは、文字通り身も心も凍てつく冷気と断末魔によってハッと我に返った。

 苦悶の表情を浮かべたまま、この穏やかで暖かな気候の中で凍死するという結末は異様でしかなく、恐怖にすっかり支配された男達に次の魔の手は一切の慈悲を示さない。



「ラ、ライシ兄上様頬っぺたから血がぁ……!」

「あ、これは……」「この人間達がやったんだよね?」



 赤毛の少女がにこりと笑い、青年はたじろいだ。

 有無を言わせない威圧感は男達の方にもひしひしと伝わっていて、ヤバいと本能的に察しした男が叫んだ――逃げろ、と。



「逃がすかっての!」「クーがみんなやっつけちゃうもん!」

「ライシお兄様に手を出した罪、その命をもって償いなさい下等生物が……!」

「おいやめろアリッサ、みんなも……!」



 青年の呼び掛けも虚しく、五人の美しき少女はその猛威を振るう。

 慈悲の欠片もない悪魔に命乞いなど無意味とわかっていながらも、結果惨たらしく殺される部下を横目に男は赤に染まった空をぼんやりと眺める。


 こんなことなら最初から来るんじゃなかった……。その思考を最後に、男は意識をそっと手放した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る