第13話:歪な約束
「……ん」
少し呻いてからライシはゆっくりと瞼を開いた。
視界はまだわずかにぼやけてこそいるが、今度は見知った天井がそこにある。
どうやらここは現実世界であるらしい。
不意に聞こえた寝息にライシは視線をそちらへとやる。
くぅくぅとかわいらしく心地良さげに眠るアリッサがすぐ視界に入った。
「アリッサ……」
まず無事に逃げられたことについて、ライシはホッと安堵の息をもらした。
犠牲がまったくなかったわけではない、が多くの生存者を出せたのはまごうことなき事実。
そう思えばこの傷の痛みも大したことはない。
それにしてもよく生きてたもんだ俺も、とライシは改めて己をはたと見やった。
ライシの全身は夥しい量の包帯でグルグルと巻かれている。目にして大変痛々しい姿から、よほどの重症だったことは言うまでもなかろう。伴って熱した鋭い針で刺されたような激痛が、ライシの全身を先程から絶え間なく駆け巡っていた。
意識が覚醒したことで、それまで麻痺していた各機能も正常に稼働したのだ。
きちんと役割をこなす痛覚にライシはぐっと堪えながら、ゆっくりと呼吸を整える。
「……んぅ」
「アリッサ……? 悪い、起こしてしまったな」
「ライシお兄様……ライシお兄様!?」
「ぐぅっ……!!」
覚醒した矢先、このようなことになるとは最初から容易に想像はついていた。
涙目でぎゅっとしがみつくような抱擁をするアリッサに向けるライシの笑みは酷くぎこちない。じんわりと脂汗も滲んで、顔色も見る見る内に悪化していく。
だが妹の手前、決して弱みは見せまいとライシは気力を振り絞った。
――さすがに、悲しい顔をさせるわけにはいかないよなぁ……。
本音を吐露すれば、今すぐにでも離れてほしいところではあるライシだ
ったが、わんわんと泣くアリッサを前にそんな感情もきれいさっぱりに消えた。
「ところでアリッサ、エスメラルダやあの時護衛してくれたヒトは?」
「エスメラルダは無事です……他の悪魔も。だけど、だけどライシお兄様がこんなにボロボロになるなんて……」
「あれは、俺が望んでやったことだ。誰の責任でもないし、ましてやお前が責任を感じる必要なんてどこにもないよ」
「でも……でももし、ライシお兄様が死んじゃったらって思うと……」
「そう簡単に死ねるかって。俺はまだまだ死ぬつもりなんて更々ない、だから安心しろアリッサ」
「――、どうしたのアリッサちゃん!」
どかどかと荒々しく廊下を蹴ったその主は、部屋の扉を破壊しながらやってきた。
金属製のドアノブが歪な形へとひしゃげ、木製の部分は木っ端みじんに吹っ飛ぶ。
細かな木片が部屋いっぱいに散布されて、咳を誘発させる。
ゴホゴホと咳き込むライシを、
「大丈夫ライシちゃん! しっかりして! 誰か心臓か肺の薬を――」
「いや母さんが吹っ飛ばした扉の埃やらなんやらで咳き込んでるだけだから! ちょ、ちょっとアリッサ窓開けて窓!」
「は、はい!」
アリッサが慌てて窓を開放した。
次の瞬間、心地良い微風が窓から入り込み部屋の埃を消し去っていく。
ようやく咳も少し落ち着いたところでライシはアスタロッテに口を切った。
「……とりあえず俺は大丈夫だから」
「ほ、本当に? 本当に大丈夫なのね!?」
「こうやってお話できてるのを見れば一発でわかると思うけど……」
――めちゃくちゃ身体は痛いけど。
馬鹿正直に話せば間違いなくアスタロッテは暴走する。
故にライシは痛みを気力で無理矢理抑え込んだ。
「……そう言えば、あれからどうなったんだ? あの冒険者とかは?」
「あの人間達なら全員、ママが片付けておいたわ。ライシちゃんをここまで傷付けたんですもの。それ相応の報いを受けるのは当然だし、死だけでも全然足りないぐらいだわ」
「あ、そう……」と、ライシ。
最初からこうなることは、なんとなくながらも予想はしていた。
純粋な悪魔が人間に気遣うなど、そんな話は聞いたこともない。
気遣うことそのものが天文学的にありえないのだから。
「それよりも――」と、アスタロッテ。
「は、はい」と、恐縮するライシ。
ここからが本題だ。ライシはごくりと生唾を飲んだ。
アスタロッテの顔から笑みがぱたりと消えた。
端正な面立ちに感情は一切ない。無表情、まるで鉄仮面のような印象さえある。
アリッサがそそくさとベッドの隅へと身を潜めた。これから何が起こるのか、幼い彼女でも想像するのは容易だったらしい。
「その……ごめんなさい、母さん」
ひしひしと伝わる凄まじい怒気に、ライシは深々と頭を下げた。まずは謝罪することが第一優先だが、重要なのは何が原因としているか。この答えを間違えれば怒りと言う炎に油を注ぐのも同じ。
慎重に選べ俺……。ライシは恐る恐る、口を切った。
「それは何に対しての謝罪かしら?」
まるで地獄の裁判官のような、淡々として恐ろしい口調だ。
母の前で嘘は一切通用しない。深呼吸を一つして、
「母さんの言いつけを破って城から見える範囲外へ行ってしまったから……」
言ってすぐにライシは身構えた。
すべての原因はライシのこの行動から始まった。エスメラルダが空腹を訴えた時、森ではなく城の中に戻っていればひょっとすると、このような事態を招かなかったかもしれない。もちろん、今更後悔したところでもう遅い。一度進んだ時は元に戻すことは例え魔王アスタロッテでさえも不可能な事象なのだから。
それでも、後悔と学習することはできる。
犯した過ちから学び、同じ轍を踏まぬよう次へ生かせられる。
――とりあえず、これで合っててくれ……!
「……それもそうだけど、ママが怒っているのはそこじゃないわ」
「――――」
「まずは一つだけ聞きたいんだけど、あの時ライシちゃんが残ったのは護衛の悪魔がライシちゃんをそこに残したからなの?」
「は?」と、ライシ。
なんでそんな風に話が流れてるんだ? ライシは驚愕に目をぎょっと丸くした。
しばしして、一つの仮説がライシの脳裏によぎる。
あの時、護衛の悪魔が嘘を吐いたのだ。何故そうしたかはあえて彼らの口から語らせる必要はあるまい。彼らはライシを思いあえて自らを悪者として演じたのだ。自分が非を背負うことでライシへと処罰が少しでも軽減できるように、という計らいにライシはぎゅっと強く拳を握りしめる。
嬉しさ半分、残る半分は護衛の悪魔達への
余計なことをしてくれたものだ。ライシは自嘲気味に小さく笑う。
「あれは、俺が自分からやったことだよ。あの時は俺が残った方が最適解だった。だから誰の責任でもない」
「でも、それでライシちゃんが死んじゃったら意味がないでしょ!」
「それは……」
と、言葉を濁すライシにアスタロッテが手をそっと優しく握った。
その手の甲にぽつり、ぽつりと透明の雫が落ちる。
「もう二度と、こんな危ない真似をしないって約束して……」
「母さん……」
未だあの悪夢がアスタロッテの根底に残るから、我が子を失うことを極端に恐れる母だからこそ、嘘偽りのない本心にライシは目線を伏せた。
子供として振る舞うのであれば、母を悲しませることはご法度。それは重々承知しているところではあるが、ライシとて譲歩できない部分はある。
「……確かに今回は俺の軽率な行動が原因だったと思うよ。だけど、いざって時に妹達や他の皆を守れるようになっておかないと。それが兄貴として……この家で長男として生まれた俺の役割だと思うから」
「ライシちゃん……」
「今回は本当にいい勉強になったって思うよ――俺は、まだまだ弱い」
今回は奇跡的に生還できた。しかし次回もそうなるという保証はどこにもない。
自分の身を守るには、自身が強くあらねばならない。そのためにはアモンとの修練により一層熱を込めてやらねば皆を守るなどとてもとても。
時間が惜しい、その焦燥感をライシはぐっと理性で抑え込んだ。指一本すら動かすのでさえやっとの状態を酷使するような愚行は侵さない。
とりあえずイメージトレーニングぐらいはできる。先の戦闘では改善点は多くあったのだし、それから取り組んでも遅くはあるまい。脳内に鮮明に当時の状況を再現して――
「――、ライシ兄上様ぁ!」「生きてる!? ねぇちゃんと生きてるよね!」
「うわぁぁんしんじゃやだぁぁぁ!」
どたばたとこの慌ただしい入室者に妨害されたライシだったが、しかし彼女達の来訪を快く招き入れる。エスメラルダ、エルトルージェ、カルナーザ……わずかに遅れて、クルルを抱っこしたアモンがやってきた。
「ライシ兄上様お怪我の方は大丈夫ですかぁ?」
「あぁ、俺なら平気だ。今すぐに動くことは、まぁできないだろうけど……」
「ねぇ死なない!? ライシお兄ちゃん死なないよね!?」
「死なない死なない。現にこうして生きてるだろ?」
「グスッ……でもほんどによがっだぁぁぁ……」
「悪かったなカルナーザも」
「――、ライシお兄様。お話があります」
姉妹全員がこの場に集ったのを見計らったかのようなアリッサに、ライシははてと小首をひねる。心なしかクルルの
「改まってどうしたんだ?」
「……ライシお兄様が倒れた後、私達姉妹で話し合ったんです。これから先、私達姉妹はどうしていけばいいのか」
「ふんふん」
と、軽く聞き流すつもりだったが、あまりにも真剣な言動を前にすれば、おちゃらけた態度は失礼に値するのでライシも傾聴する気構えを整えた。アリッサに続けて今度はエスメラルダが口を切る。
「ライシ兄上様がもし死んじゃったりしたらきっとその時はエスメラルダ達は耐えられそうにありません……なのでぇ、」
「今日からボク達がライシお兄ちゃんを守ることにしたんだ!」
「これからウチらがライシの兄貴のこと守るからな!」
「つきましては今後、ライシお兄様の生活から何からまで、我々姉妹が全面的にサポートさせていただくことになりました。着替え、入浴、添い寝……その他諸々私達がさせていただきます」
「――――」
話がまるで見えてこない、というのが現状の心情。
内容については、理解できるが心の理解がまったく追い付いていない。
――いや、さすがにそれはないわぁ。
要約するならばライシの今後の人生は、妹達にすべて管理されると言ったも同じこと。
即ち個人の意思と自由の剥奪をさも平然と宣ったこの姉妹達に、肝心の母親は咎める気は更々ないらしく、寧ろよく言ったと逆に称賛すらする始末だった。唯一の良識人は案の定と言うべきだろう、クルルを抱いたアモンの落胆っぷりが、ライシの心の支えとなり活力を与える。
いくらなんでも暴論すぎる。ライシが反抗の意を示すのも、無理もあるまい。
「ちょ、ふざけるなって。さすがにそれはないわ」
「いいえ、これはもう全員で話し合って決めたことです。ライシお兄様は……私達にとって大切なお兄様なんです。だから私達が守ります」
「おいおい、妹に守られる兄貴がこの世界のどこにいるっていうんだよ。いるんだったらなんかそう言う事例を見せてもらいたいもんだよ」
「ですからぁ、エスメラルダ達がその事例になりますぅ」
「は?」「だからぁ、ないんだったらボク達が最初になればいいってことだよ!」
間の抜けた声を上げるライシに、間髪入れずにエルトルージェがにっと笑った。
「そういうことです。妹達を守るのが兄としての役目と仰られるのであれば、その逆があったとしてもおかしくない話。それで事例がないのであれば、私達が最初になればいい……何事も先人があってこそ歴史や価値観が後から生まれるのです」
ここでライシはアリッサ達にはじめて恐怖を抱いてしまう。
妹達の言動は真剣そのものだ。自分達の発言に一寸の違和感や間違いも抱かない、すべてが正義であるとそう主張する者の瞳には不相応なほど、澄んだ瞳はまるで闇だ。深く底の見せないドロドロとした沼地のようだ。
「ライシお兄様、もう安心してくださいね? これからずっと、ずぅっとアリッサ達がライシお兄様の傍にいてお守りしますから」
本当にこれは俺が知る妹なのか? にこりと笑う姿でさえ不気味さしかない妹達に、ライシは口を堅く閉ざすしかなかった。
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