第12話:それは確かに存在した記憶だった

 ゆっくりとライシは瞼を開けた。

 知らない天井が目の前に広がっている。

 明らかに自室ではなく、だが城内のどこかというわけでもない。

 ここは、いったいどこなんだろう。

 しかしライシは妙な懐かしさをこの天井に憶えた。


 ――う~ん、どっかで見たことがある気がしないでもないんだけど。


 そんなことを思いつつ、ライシは身体を横に向けようとしてハッとする。

 身体がまったく動かない! ライシは激しく狼狽した。

 どれだけ力を籠めようとしてもまったく身体がその通りに動いてくれない。

 それもそのはず。今のライシは首の座っていない赤子なのだから。

「あーうー」とつたない言葉を発してようやくこの事実に気付いたライシは最初こそ困惑したものの、すぐに冷静さを取り戻す。

 どうやら俺は夢を見ているらしい。ライシはそう結論を下した。


 再び赤子に戻るなどありえない。同時に冷静さを取り戻したところで奇妙な懐かしさについてもライシは納得する。

 程なくしてライシの目の前に二人の男女が顔を覗かせた。

 とても懐かしい。たった二か月程度の付き合いでこそあれど、その二人はライシにとって決して忘れてはならない人物に他ならない。アスタロッテの養子となってから早十年余り。すっかり悪魔との生活に馴染んだライシだが、脳裏には片時も両親の存在を忘れたことはなかった。



「■■はいつも元気なのに、この子はほどんど泣くことがないわね……」



 母の不安の言葉に、ライシは罰が悪そうに表情かおを曇らせる。

 このようになる切っ掛けを生んだのはすべて己が撒いた種だ。

 あの時もっとこうしていればよかった、と今更後悔したところでもう遅い。

 一度進んだ時は決して、元には戻せないのだから。

 これは夢である。ライシの記憶の奥底に秘めた、誰にも明かせない自分だけの大切な思い出。そうと理解しても簡単に割り切れないから、ライシは当時を再現する両親らに顔向けできずにいた。目線をそっと伏せたライシを他所に、二人の会話は続く。



「まぁまぁ、落ち着いて。この子はきっと特別なんだよ。なんとなくだけど、多分僕はそう思うんだ」

「……そう、よね」と、母。



 不安な面持ちが少しずつ、優しい笑みへと変わっていく。



「僕達の愛する子供であることには何も変わらない。色々と不安はあるだろうけど、今は僕達がしっかりと見守っていこう」

「……そうね。確かにそのとおりだわ」

「■■……お前は■■のお兄ちゃんになるんだ。もしも俺達に何かあったら、ちゃんと妹を守るんだぞ?」



 ――あぁ、本当に……懐かしい。


 隣から突然、けたたましい泣き声が室内に響いた。

 不快感はまったくない。とても元気で活発なその声にはライシも自然と頬を緩める。



「お、今■■が笑ったぞ!」

「本当に!? ふふっ、妹のことになると■■も嬉しくなるのかしら」



 戻ってきた母の細い腕の中には、一人の赤ん坊がいた。

 とても小さくて、しかしあふれんばかりの生命力を声にして発している。

 思えばこの時がはじめて、妹との顔合わせなのかもしれないな、とライシは母の中で徐々に落ち着く妹をジッと見つめた。妹の円らな瞳とライシの視線が交差した時、妹の顔にパッと花が咲いた。

 無邪気にはしゃぎライシの方へと手を伸ばす姿にはどうやら両親も驚きだったらしく、だがそれもすぐに歓喜の感情いろへと早変わりした。



「ふふっ、この子達とても仲が良いみたいで安心したわ」

「そうだな。■■、お兄ちゃんとして頼りにしてるからな」



 ライシに強烈な睡魔が襲ったのは、本当に突然のことだった。

 なんだか猛烈に眠たい。あれだけはっきりと聞こえた両親の声も、映った姿も、すべてが微睡みの中へと吸収されていくような、そんな感覚。

 あぁ、どうやら時間切れらしい。ライシはふと、そう思った。


 ――そろそろお目覚めってことか……。

 ――まぁ、これはあくまで俺の過去の出来事なんだ。


 夢はいつか目覚めるもの。ライシは沈みつつある意識を完全に手放した。

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