第36話:奥の手は最後まで隠すから奥の手

 一見すれば何の意味もない、意表を突くと言う意味合いでは多少は効果があろうが、事態の収拾を図るには不十分過ぎよう。


 意味がない――断じて、それは否である。

 ここがライシの自室で、部屋主だからこそ先の行動には意味もあれば価値もあると知っている。


 天井に深々と突き刺さった刀身は、その隙間からちょろちょろと微量の水滴を滴らせ、やがて大量の水が一気にライシの自室を水浸しにした。



「なっ……こ、これは、水……?」

「これは対侵入者迎撃用のトラップだ。まぁ一度しか使えない上に次に使うまでにかなりの時間も必要となる。後は、部屋が水浸しになって使い物にならなくなるぐらいの欠点があるけどな」

「で、ですがこんなただの水では私達は――」

「おいおい、さっき言ったのをもう忘れたのか? 対侵入者迎撃用のトラップでわざわざ普通の水なんか使うはずがないだろ? この水は当然特別なもの、そうだな……すごくわかりやすく言うと、触れた対象者に強烈な睡魔をもたらすってことだ。悪魔だろうとなんだろうと、一瞬でぐっすり眠ってしまうほどのな」

「なっ……」



 と、アリッサが驚愕の感情いろ表情かおに示すよりも早く、妹達が次々とその場に倒れた。

 すぅすぅと心地良さそうな寝息を立てる中で、さすがは長女と言ったところだろう。辛うじてだが意識をまだ保つアリッサは、今にも泣きそうな顔で訴える。



「ライシお兄様……どうして、そこまで……嫌です……私は、アリッサはライシお兄……様と離れたくあり……せん」

「……本当の兄妹じゃないんだぞ?」

「だからこそです!」



 と、アリッサの執念はもはや限界であろう眠気にも勝るほどらしく、言葉の意味がまったくわからないライシは、妹の勢いに気圧されながらも小首をひねった。



「いや、だからこそってどういうことだ?」と、ライシ。



 よろよろと立ち上がって、自傷行為によって強制的に睡魔を排除したアリッサの太ももより赤い雫がぽたぽたと滴る。



「アリッサお前、何やってるんだ!」

「ぐぅっ……い、痛い……だけど、これでライシお兄様をゆっくりお話することができる」

「だからってこんな……自傷行為をする奴があるか!」



 ――本当にこいつは何馬鹿なことやってんだ!?

 ――傷が残ったら……どうするつもりだよ。


 不幸にも自室に医療道具の類は一切なく、あったとしてもこの水浸しではそもそも使い物にすらならなかったに違いあるまい。

 だから応急処置程度なのは否めないライシだが、ないよりはマシだろう。自らの服を千切って包帯の代用とする。


 とにもかくにも、まずは止血が優先的だ。後で医者に診せるのは必須として、ライシはひょいとアリッサをお姫様抱っこすると、ベッドへと横たわらせる。

 天幕付きのベッドはライシにとっても安全地帯であり、だからこそアリッサ達が頭からかぶった幻覚作用をもたらす・・・・・・・・・魔法薬からも逃れられている。



「ライシお兄様……私達を置いて行かないでください」

「……さっきも聞いたけどさ、だからこそってどういうことだ?」

「そ、それは……ライシお兄様との血縁関係がないとわかった今、これで合法的に結婚できると」

「え? 今まで騙してきたから殺すとか拷問するとかそっち系じゃなくて?」

「そんなことするはずがないじゃないですか! 私達はライシお兄様との結婚を確実なものにするために――」

「あ~……とりあえず、母さんのところに戻るか。母さんが言おうとしていた二つ目の選択肢って言うのをまずは聞かないことには始まりそうにないし」



 そのために、わざわざ自室まで戻ってコレ・・を取ってきたのだから。

 蒼い液体に満ちた小瓶を怪訝そうに見やるアリッサに、ライシは小さく溜息を吐いた。

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