第一部終章:遥かなる旅路、さらば我が故郷(嘘)

第37話:これからも家族として

 ここ最近悪天候もなく、清々しいほどの広大な青空が続いている。

 同時に、トンカチが規則正しいリズムを刻んで釘を打つ音も然り。

 半壊以下の被害で済んだのは恐らく、誇張や大袈裟ではなく奇跡と呼んで問題なかろう。


 修練場は完全に消し飛び、その周辺の部屋や廊下などの被害も甚大でこそあるが、城として稼働する分には差し支えなし。

 今日も復興作業に駆り出された家臣達は汗水を垂らしては必死に修復作業に務めて、ならばせめて負担を軽減せんとサポートするアリッサ達に、家臣達のテンションは著しく高まった。

 主人の娘ではあるがかわいい女子からの声援だ、男と言うのはなんて単純な生き物なのだろうと、同じ男であるライシはつくづくそう思った。


 午後の休憩を挟んで、ライシは医務室へと訪れた。

 ここも修練場からさほど遠くなかったが、奇跡的にも無事だったことには安堵の息も自然ともれる。



「――、それで? 調子の方はどうですか?」



 二床のベッドの上、片やミイラ男よろしく全身を包帯でぐるぐる巻きにされて大変痛々しい姿をした悪魔がじろりと視線を向けた。

 ライシからの返答に対してその悪魔は、何も答えることなくぷいっと顔を背ける。

 現状を見やれば一目瞭然で、大方愚問であるとそう言いたいのだろう。

 とりあえず意識はしっかりとあるし、不貞腐れるだけの元気はあるらしい。



「それで、母さんは?」

「……ちょっと元気ないかな」



 片や、ミイラ男と比較すると治療の割合は極めて少なくはあるが、顔色の方はいつもよりもやや悪い。

 長年目にしてきているから一発で子供の手前と無茶していると察したライシは、やっぱりアレは使うべきじゃなかったと今更ながらに後悔した。


 ライシが再び修練場に戻った時には、二人の戦いは終わりを迎えようとしていた。

 戦況は案の定アスタロッテの優勢。守ると宣言したアモンだったが、主人に暴力を振るうことは決してせずあくまで防御を徹底していたのみ。

 だからこうも二人の怪我の程度には大きな差があって、ライシの介入にようやく戦いは終結した。



「……ライシよ。貴様、どこであんなものを用意した?」

「え? いやあれは本来対侵入者迎撃用トラップとして採用しようとしたんですけど、あまりにも臭いがキツすぎたんで。でも何かの役には立つだろうなぁってことで、ずっと大切にしまっておいたんです」

「……ちなみに、あの異臭の元は?」

「……アリッサ達がずっと前に作った料理の残り汁です。色だけはきれいでしょ?」

「臭いは最悪だがな」

「うっ……ママ、なんだかまた気持ち悪くなってきちゃったかも……」

「アスタロッテ様、どうかお気を確かに!」

「いや、それについてはさ。本当にその、ごめん」



 アリッサ達の失敗作の残り汁を顔面にたっぷりと浴びたのだ。

 確かにあの場で戦いは収まったものの、その後に待っていたのは解放された異臭と嘔吐という最悪の結末。

 数日が経過してようやく比較的マシになった方、だがどこかまだアスタロッテからは近寄りがたい臭いが否めない。

 でもあれしか方法がなかったし、これが最善だったと今も信じている。



「そう言えばアモン、一つ気になったんですけど……」

「……なんだライシよ」

「もう俺のこと、小僧呼びじゃないんですね」

「――、貴様はもうとっくに我を超えたのだ。ならばいつまでも小僧と呼ぶのもおかしな話だろう」

「…………」

「どうかしたのか?」

「あ、いえ。なんでもないです。ちょっと考え事を――」



 言葉の続きは、新たな来訪者によって遮られる。



「お母様、具合の方はいかがですか?」



 開口一番、母を案ずる少女の優しさにアスタロッテは力なく、けれども優しい笑みを返した。



「えぇ、ママなら大丈夫よ。心配させてごめんなさいね」

「そんな……自分の生みの親を心配するのは当然ですよお母様」

「ふふっ、ありがとう。でも、それだったら――パパの方も心配してあげてほしいわ」

「……パパ?」



 ――そう言えば、俺はともかくとして……。

 ――アリッサ達の父親って、誰になるんだ?



 ここにきて、ひょっとすると何気に重要かもしれない事実にライシははたと気付いた。

 長年城にいながら、父親の姿を一度として見たことがない。

 さらにはその違和感にさえ、今こうして指摘されるまでまったく認識しておらず、それはアリッサ達も同様で「お父様って……誰?」と、アリッサの呟きに妹達も軽く困惑している。



「――、ねぇアモン。もういい加減、父親として振る舞ってくれない?」

「え……?」

「えぇぇぇぇぇええええええええっ!?」



 アモンがアリッサ達の父親だって!? アスタロッテの口より語られた真実は十分すぎるほど驚愕に値し、ならばこれまでずっと家臣として対応してきたアリッサ達の驚き具合はライシよりもずっと大きい。

 しかし、これは予想外すぎた。



「ど、どうして……ア、アモンが本当にその、私達のお父様……なのですか?」

「そうよアリッサちゃん。だってずっとママと一緒にいてくれたし、困った時が合ったら誰よりも真っ先に駆けつけて支えてくれたんですもの。でも、パパったら“自分は家臣であり、ましてや魔王の夫になるなど恐れ多い”って言って全然認知してくれなかったの」

「それについては……! 何度も申しているとおり、我はアスタロッテ様の家臣としてこの身を捧げると誓いました。ですので、その……」

「もう、いい加減認めてくれないと困るんだけど」



 そう口では言いつつも、アモンに向ける微笑みは愛する者を想うそれで、当人は娘達がいる手前気恥ずかしさからか布団にこっぽりと包まってしまった。



「もう、パパは恥ずかしがり屋ねぇ――さて、ライシちゃん」



 不意に名前を呼ばれ、ライシはアスタロッテの方へと向き直る。

 笑みは消えて、真剣みを帯びたまっすぐな眼差しが瞳を捉えて離さない。

 ただし恐怖や不安と言った負の感情は一切なくて、力強くも暖かくて優しい温もりが確かにそこにはあった。



「二つ目の選択肢についてだけど――」

「それならアリッサ達から聞いた。結論から言えば答えは、ノーだ」



 あの時、アスタロッテが提示しようとしたもう一つの選択肢――本当の家族となること、即ちそれはアリッサ達と結婚を意味するもので、今後のことを考えるのであれば受諾した方がいいに決まっている。

 しかしライシは、あえてその選択肢を自らの意志で蹴った。

 瞬く間にアリッサ達が縋りつき、せっかく新調したばかりの服も涙と鼻水でぐちゃぐちゃで汚れたことに、ライシは内心で嘆いた。


 それはさておき。



「ライシお兄様、どうしてそこまでして私達を拒絶するのですか!?」

「まぁ落ち着けって。現時点ではノーってことだ」

「……つまりどういうことですかぁ?」「わけわかんないよライシお兄ちゃん!」

「だから落ち着けっての――血の繋がりがないって言っても、俺の中じゃあお前らはやっぱりどこまでいっても妹なんだよ。魅力的ではあるけど異性として見られるかって言われたらやっぱり、う~んってなるわけだ」

「じゃあ今日からウチらと何をする時も一緒にいたらいいってことか!?」

「クー、にいちゃと一緒にお風呂入りたい! お背中洗ってあげる!」

「クーはありがとうな、その気持ちだけで十分だ」



 末女の純粋な好意は素直に受け取るライシのすぐ横で「私達だったら身体を使って……」と、大変危険極まりない発言をする長女から三女には後でキツく叱ると心に固くライシは誓った。



「……まぁ、要するにあれだ。お前らだってこれから先、必ず新しい出会いはきっとある――二十歳になってももし、俺に対する気持ちが代わってなかったら、その時はそうだな……改めて俺に言ってくれ。その時には俺も気持ちに応えられるようにはしておくから、な?」



 我ながら、なんて苦し紛れの言い訳……ライシのこの提案は根本的な解決には至らず、ただ先延ばしにしただけ。

 だがここできっぱりと断ってしまうと、多分今度こそ妹達の歯止めが利かなくなる。そうなってしまえばもう、ライシに成す術はない。


 如何に神聖属性の力があろうと、アリッサ達との戦力差が埋まると言うには少々厳しいところがあって、ましてや五姉妹に母親が加われば勝率など皆無だった。

 無理矢理手籠めにされて一生飼い殺しにすることも、この母娘ならばやりかねない。いや、必ずやると断言してもいい。



「……わかりました。ならば私達が成人になるまでにライシお兄様を堕とせばいいのですね!」

「お前話聞いてた? 別に俺を堕とせとか一言も言ってないんだけど」

「そうなったらもう遠慮は一切しません。あの手この手、ありとあらゆる手段を用いてライシお兄様を篭絡しますので、覚悟してくださいね?」

「まぁ、アリッサちゃんったら大胆ね。でも、これでこの城も安泰だわ」

「いやいやいやいやいやいや! 母さんも何言ってんの!?」



 いくらライシが抗議しようと、もうとっくにアリッサ達の耳には届いてすらいない。

 これからどうして動くべきかと早速会議までし始める五姉妹と、それを微笑ましく見守るだけの母。

 この場において唯一無二の良心だったはずの父は、諦めろと無言の眼差しを向けるばかり。



「――、あ、でも俺旅は出るから。それだけはよろしく」

「嫌ですライシお兄様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」



 相変わらずこの城はうるさいぐらい賑やかで楽しい。目の前に広がる光景にライシはふと、そんなことを思った。

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