第33話:悪魔な母娘にバレちゃいました

 朝早くからゴロゴロと耳に残る音は、その不快感から気分を自然と滅入らせる。

 鉛色の雲に覆われた空で一度稲光が駆ければ、耳をつんざく雷鳴がどんと力強く轟く。


 今日は一日ずっと荒れ模様のようだ……今にも雨が降りそうな雰囲気を醸し出す外の様子を窓からしばしぼんやりと眺めたライシは、両腕に纏うそれに視線を落とした。

 赤みがかった黒の光沢を放つオープンフィンガーグローブ。

 まず、肝心の着け心地は最高の一言に尽きよう。あたかも自分の身体の一部であるかのような錯覚は、違和感と不快感そのどちらもない。

 手の甲から背腕はいわんまでしっかりと敵の攻撃を防御するだけでなく、打撃にも特化するよう用いられた素材は金剛石ダイヤモンドの約5倍の強度と言うのだからこれは非常に頼もしい。


 用いられた素材がオリハルコンとミスリル……霊鋼石の中でも極めて希少価値の高く、微量しか採取できない代物を、たかが一人のために惜しげもなく、ふんだんに使用したハルファスのなんと粋な計らいか。


 あの悪魔ヒトにはつくづく頭が上がらない……かと言って、わざわざ徹夜までして制作したのだけはどうしてもライシは頂けずにいる。寧ろ怒ってすらいた。

 完成はずっと後の方になる。そう思っていただけあって、別段ライシ自身も急かすつもりも毛頭なくのんびりと完成するのを待つつもり満々だった。


 むろん、一日でも早く完成品が手元に届くことは素直に喜ばしいことだ。

 実際にこうして着け心地ももちろん、性能テストをすぐにでも始められている。

 かといって、徹夜した代償がゾンビのようにふらふらと城内を徘徊した挙句、今では泥のように深い眠りに就いた始末。


 そんなになるぐらいならば、最初から無茶なんかしなければよかったものを……鍛冶に対する情熱が誰よりも熱い悪魔おとこだからこそ、ライシはハルファスに深い感謝の念を抱いた。



「それにしても、このグローブ本当にいいなぁ」



 改めて見やるグローブにライシは満足そうに頬を緩めた。

 装着したという認識さえ薄れるぐらい、このグローブには違和感がまったくない。

 重量も見た目からしてそれなりにあろうはずが、これではまるでふわりとした羽根のようだ。

 ハルファスさんこそ、世界最高の鍛冶師だきっと。もはや疑う余地は皆無で、つくづく味方であることにライシは心から安心した。



「――、ライシちゃん」

「――、母さん?」



 その来訪は突然すぎるもので、にこりとも笑わず氷のように冷たい無表情がライシに恐怖の感情いろを抱かせる。

 明らかに怒っている、それもただ怒っているなんて生易しいものではない。

 侵入者に対して向ける、魔王としての側面を何故自分は目にしているのか。

 当然ライシに心当たりがあるはずもなく、しかし怒りの矛先を向ける相手がこの場に自分しかいない以上、自分の原因があるのは確実だった。


 ――なんでこんな朝っぱらからめっちゃ怒ってるの?

 ――え? こんなに母さんが怒ってたことあったっけ?

 ――……あったような、なかったような……。

 ――……いややっぱりなかったわ!


 だとすれば猶更、彼女の怒り様をライシは理解することができない。

 こうなれば残された方法は、直接本人に尋ねる他なく。されど今のライシにそれを実行するだけの勇気は微塵たりとも湧かなかった。


 下手をすれば殺されかねない。そんな恐怖にすっかり心は支配されて、おどおどとさながら審判の時が下るのを待つ犯罪者のような心境のライシに、アスタロッテが静かに口を開いた。



「ライシちゃん、今日は大事な話があるの」

「大事な話……?」

「……ライシちゃん。ママをずっと騙していたのね」

「なっ……!」



 その一言がすべてを物語っていた。

 何故あのことが母さんに!? 驚愕冷めやらぬライシは、しかし本件と違うかもしれないとわずかな望みの方に賭けた。

 ここで焦り冷静さを欠いて墓穴を掘るような真似だけは、是が非でも避けねばならない。



「えっと、いきなり騙してたのかって言われても俺にはなんのことかさっぱりわからないんだけど……」

「……アモンが全部話してくれたわ。あの出来事が悪夢じゃなくて、現実だったってことも。ライシちゃんが人間の捨て子で、それをアモンが拾ってきたと言うことも……全部」

「ッ……!」



 言い逃れはもうできなかった。母さんは、すべてを知ってしまっている。

 驚くべきことは、何故アモンがこのタイミングで真実を暴露したのか。

 恐らくアモンは、きっと何もしていない。真実を告げなくてはいけない状況下に巻き込まれた、とそう考えるのが妥当であり、論より証拠とばかりに続けてやってきた新たな来訪者に、ライシは目を丸くする。



「ライシお兄様……」

「アリッサ……それに、お前ら」



 ぞろぞろとやってきた五姉妹と、その一番後ろにいるアモンの表情かおはいつになく暗い。一度だけ視線が交わり、アモンはすぐに申し訳なさそうに目線を伏せた。



「よくも……今まで騙してくれたわね」

「……騙すつもりはなかった、と言ってもきっと信じてもらえないか。確かに俺はこの城の……もとい、魔王アスタロッテの実の子供じゃない。それでも子供として振る舞ってきたのは、ただ生きたいがためだ」



 ライシはまっすぐとアスタロッテを見据える。

 今日と言う日までずっと母として慕った相手に今日、ライシははじめて敵対した。

 全身にずしりとのしかかる重圧感プレッシャーは、ライシも溜まらず「なるほどな」とつい納得してしまう。

 それほどまでに魔王の威圧感は途方もなく、これまで成す術もなく無残かつ残酷に冒険者が殺されたのも頷けた。

 敵対した以上、戦いは避けられまい。そうなればライシが置かれた状況は正しく絶体絶命以外のなにものでもない。


 ――今日は俺が殺される番、か……。

 ――殺されるつもりなんか、更々ないけど。


 しかし、仮にも育ての親に対して刃を向けると言うその行為にライシは何も思わないわけではなかった。他に何か道があったならば……そんなありえもしないifもしをちょうどライシが願った頃、



「さてと……この魔王アスタロッテを謀った罪はあまりにも大きく、しかし仮にも我が子として育てた時間がある。故に、お前には最初で最後の選択肢を与えてあげる」

「……選択肢?」

「一つ、ここで私に無様に殺されるか。二つ目は――」



 その時だった。

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