第32話:たまには静かな語らいを

 雲一つない澄んだ夜空は今日も相変わらず、数多の星が美しく煌めいていて、しんとした静寂は大変心地良い。

 如何せん今日はいつになく騒がしかったし、たかがおつかいで盛大に祝われたことは思い返しただけで気恥ずかしさが否めない。


 もっと子供の時だったらな……素直にあるいは、喜べたかもしれないが大きくなった現在いますべきことではきっとなかったはず。

 そうライシは複雑に思う傍らで、だが人間褒められればやはり嬉しいので、家臣達がしてくれたことは決して嫌ではなかった。

 もっとも、全員が全員そうでなかったのはあえて語る必要もなかろう。



「母さん達……あれからずっと部屋にこもりっぱなしだし」



 リエサークを手にして戻った瞬間、アスタロッテ達の表情は絶望の感情いろに染まり以降あれから顔を合わせていない。

 それだけ家族にとってこの結果は到底受け入れがたいもので、明日からいつものように接するかどうかも怪しく思うライシは、夜遅くであるにも関わらずまだ明かりと熱気を帯びるその部屋へとそっと身を投じた。



「ハルファスさん、夜分遅くにすいません」

「おぉ、これはライシ様。ライシ様こそこのような夜更けにどうされましたか?」

「えぇ、忙しないのはわかってはいるんですけど、どうしても進捗の方が気になっちゃって……」



 月光剣を失った今、ライシが頼れるのはその制作者にして唯一の鍛冶師であるハルファス以外に存在せず。

 しかしライシの問い掛けに対しハルファスは難色を示した。



「……申し訳ありませんがライシ様。さすがにここま破壊されてしまっては、いくらわたくしでも……」



 それより先、言葉が紡がれることはないものの、何を言わんとするかわからないほどライシも鈍くはない。

 要するに修復は不可能ということで、月光剣が二度と戻らないという事実を否が応でもライシは受け入れるしかなかった。


 ――もう二度とこいつは使えない、か……。

 ――付き合いは短かったけど、でも大切な剣だったのに……。

 ――……ちょっとだけアモンが憎くなってきたわ、俺。


 いずれにせよ、ないものを強請ったどころで事態が進展するはずもなし。ライシは次なる太刀の制作をハルファスへと依頼した。



「それでハルファスさん。また新しく太刀を作ってほしいんですけど……」

「もちろんです! ライシ様からのお願いでしたらこのハルファス、全身全霊を賭して最高の一振りを打ってご覧にいれましょう! あ~でも、ただしですね」

「どうしたんですか?」

「……月光剣をもう一度作ることは不可能だ、ということだけはどうかご了承ください。素材が現在不足しているというのも理由の一つではありますが……」

「それについては……えぇ、仕方ないので気にしないでください。ハルファスが打ってくれた太刀なら俺は喜んで使わせていただきます。それともう一つ、別にお願いがあるんですが……」

「お願い? どういったものでしょうか?」

「その、ガントレットというかグローブと言うか、そういう系統のって作れますか?」



 徒手空拳術を今後も必要する場合……否、必要とする日は必ず訪れるであろうとライシは確信がった。

 その際に剥き出しになった拳というのは自身を痛めかねず、現にアモンの鎧を打った時は無我夢中で気付かなかったが、いざ意識すると鈍痛が現在いまも両手に帯びている。


 拳を保護するための防具がほしい。ライシからのこの注文に対してハルファスは、どうやら鍛冶師としての本能が疼いたらしく夜中であるにも関わらず、いつものように振舞おうとするので必死に制止した。



「ガントレットですね! それぐらいであれば明日にでもすぐに完成させられます! お任せくださいライシ様! このハルファス、ライシ様のために最高のものを作ってみせましょう!」

「わ、わかりましたから。わかりましたからもう少し声を抑えて――」

「そのためにはまずデザインからサイズの測定とやる必要がありますね。ライシ様、申し訳ございませんか腕のサイズを改めて採寸させていただきます。最高の代物を作るためにはきっちり綿密に作業をしなくてはいけませんからねっ!」

「わ、わかりましたからもう少し静かに……!」



 幾分か声量は落ち着いたものの、完璧でないことがライシは悔しく思う。

「あ~……本当に武器のことになると周りのことが一切見えなくなるなぁあの悪魔ヒトは」



 夜だと言うのにフル稼働する工房を後にしたライシは、本当に何気なく中庭の方へと立ち寄った。

 言うまでもなく人気は皆無であり、静謐な時間が流れる空間にてぼんやりと夜空を眺める。


 不意に気配が一つこの場に生じ、振り返ったその先にいる人物をライシは不可思議そうに見やる。

 もう動いても大丈夫なのかというライシの心配を他所に、どかりとベンチに座るアモンの手には一本の瓶とグラスが二つ。



「酒盛りですか?」



 と、尋ねるライシにアモンはふっと微笑むと無言のまま空いたグラスに酒を注いだ。

 まるで血のように色鮮やかな赤で満たされたグラス。

 その片方がスッと差し出される。



「まさか、アモンの血じゃないでしょうね?」

「本気でそう思っているのなら医者にかかることを勧めてやるぞ小僧。これは我が所有する中でもかなり高級に部類される一品だぞ」

「わかってますって。さすがにこんないい香りがする血はないでしょう――でも、どうして酒なんかを?」

「大したことではない。もうすぐ成人を迎える小僧の前祝というやつだ」

「なるほど……それじゃあ、これはありがたくちょうだいしますね」



 前世でも酒は飲んでいるので記憶こそあるが自身の経験ではない。

 なので人生初の飲酒にいささか緊張しつつ、ライシは恐る恐る微々たる量だが口腔内に酒をクッと流し込んだ。

 瞬く間に広がるブドウの仄かな甘みが口腔内を満たし、食道へ通してからも仄かに残る後味が絶妙で、



「おいしいですね、このお酒」



 と、素直に感想を述べるライシにアモンがどこかおかしそうにくつくつと笑う。



「それはただの果汁水ジュースだ」

「はぁ!? お酒じゃないんですか!?」

「小僧が酒を飲むなどまだ早い。今の小僧には果汁水ジュースで十分よ」

「ぐっ……! 人のこと馬鹿にして……!」

「ふんっ、散々我を好き勝手殴ったのだ。少しばかりやり返しても問題はなかろう」



 子供のやることじゃねぇか! 悪びれる様子もなく子供じみた悪戯を実行したアモンにライシは、逆にそれがあまりに面白かったから笑みをこぼした。



「――、しかし貴様もいよいよこの城を出るか。二十年と言う年月は本当に長いようで短いものよ」

「本当ですね……アモンに拾われてからもう二十年ですよ。あっという間すぎて、これまでのことなんかも昨日のことみたいに思ってしまいます」

「…これで我の肩の荷も下りた。もはや貴様に我の守りはもう必要なかろう」

「えぇ、本当にこれまでありがとうございました――“父さん”」



 次の瞬間、アモンの手からするりと滑り落ちたグラスが乾いた音と共に破砕した。



「――、小僧。貴様今、何と言った?」

「え? 父さんって言いましたけど?」

「……我は貴様の父親ではないし、それ以前に貴様のような子供は御免被りたいぞ」

「いや酷い言い様ですね……。でも、本当にそんな風に思ってますよ?」



 この言葉に嘘偽りはない。赤子の頃に拾われてからずっと近くで見守ってくれたアモンを父としてライシが思うのにそう時間は掛からなかった。

 それでも今の今までずっとアモンのことを父として呼び慕えなかったのは、やはり種族の違いや契約という壁があったことと、後は単純に今更ながら“父さん”と呼ぶことが恥ずかしかっただけ。


 もうすぐで別れる今だからこそハッキリと言えるとは、なんと皮肉なことか。

 しかし、ずっと喉に突っかかった魚の小骨が取れたような心境に、ライシの顔もどこか清々しかった。



「……父さん、か。やはり小僧のような出来損ないの息子はいらないな」

「本当に遠慮ないですねアモン。そんなこと言うんだったら今すぐ壊した月光剣の弁償してほしいんですけど」

「形あるものはいつか必ず壊れるもの。あの剣はあの場で壊れるのが運命だったのだ、諦めることだな」

「母さんに訴えますよ?」

「それだけはやめろ」

「冗談ですってば。まぁでも、俺もようやくアモンの血を飲まなくていいって思うとホッとしましたよ。いくら母さんの目を欺くためだからって、ここまでするかって本気で思いましたからね」

「それは仕方なかろうと何度も説明しただろうに……あの時の小僧はただの人間だったのだからな。当然の判断だ」

「はいはい、わかってますってば――さてと、それじゃあ俺はそろそろ寝ます。おやすみなさい。アモン」



 大きな欠伸を一つしてライシは中庭を後にする。


 ――さてと、明日から成人するまでの間、どうしてすごしたもんやら……。


 なんの予定も思いつかないまま、しかしのんびりと考えればいいと結論を下したライシは、のんびりとした足取りで自室へと続く長い廊下を歩いた。


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