第30話:白銀の刺客
ガチュア山へとようやくの思いで着いた頃、ライシの頭上は色鮮やかな茜色に染まっている。
――くそっ、もうこんな時間か……!
――思った以上に時間取られたな……!
もうすっかり日は傾き、山の向こうへ少しずつだが着実に沈みゆく夕陽にいよいよ焦燥感を抱かざるを得ない。こんなことならばもっと無視して先へとどんどん進んでおくべきだった……これまでの行動を振り返り後悔しつつも、山頂までは後少しとライシは歩を急ぐ。
山道はアスタロッテの管轄下にあるとは言え、下手に整備などの類はまったくと言っていいほどない。
そのためごつごつとした石ころや、太い木の幹が容赦なくライシの足取りを阻む。
時間が惜しいっていうのに! どんどんと膨らむ不安と焦りに苛まれながらも、目の前に広がる美しい光景にしばし呆然と立ち尽くすライシだったが、やがて安堵の溜息をこれでもかと吐いた。
「つ、着いたぁぁぁぁ……」
ガチュア山の山頂は、これもきっと母の趣味嗜好による仕業だろう。
殺風景な山道の先にて登山者を迎える光景は、登った甲斐があったとそう思わせるだけの価値が確かにあった。
規模はツヴァルネア城の花畑よりもやや大きい方、ライシにとっては名前も種類もまるでわからないものだらけでも、美しいきれいだという感情を抱くだけの色鮮やかな花が咲き乱れている。
快晴の時にでも訪れれば、いいピクニック場所としても十分だ。
「さてと、こんなことをしてる場合じゃないな。急がないと……!」
今日の目的は登山ではなく、あくまで試練のためにリエサークという花の採取にある。
――確か、大きな
――リエサークなんて花、本当にあるのか……?
――まさか、ここまで来たのに嘘吐かれたとかじゃないよな……。
不安の
しかしきっとどこかにあるはずだと自らにそう強く言い聞かせてついに、
「あ、あった!」
一つだけ、他と異なる形状かつ白く仄かに輝くそれを前にしたライシの
リエサーク……花弁の中に溜まるほんのわずかの水滴は、万能薬の材料として欠かすことができない貴重な素材で、人間界ではこれが驚くほど高い値段で取引されるという。
悪魔なので金銭には差して興味はなく、いずれにしてもこれで試練は無事に合格できたと喜んだ、それも束の間のこと。
「な、なんだ……!」
「…………」
それが夕焼けの空より降り立ったのは、本当に突然のことだった。
夕陽を全身に浴びる出で立ちは、正しく騎士そのもの。
ただし聖騎士のような神聖さは皆無で、鎧の禍々しいデザインも相まって魔騎士としての印象が強い。
純銀の輝きと重量感あふれるそのデザインは鉄壁の城塞の如く。
背中に生えているのは翼、と果たして形容してもよいものか。一本、一本が鋭利な刀のようであれだけでも十分な武器として機能するだろうに、魔騎士の右手には剛剣と呼ぶに相応しい、肉厚で幅広の湾曲剣がしっかりと握られていた。
――城にいる悪魔じゃないな……。
――これだけひしひしと強い魔力が伝わってくるなら、すぐに気付くし。
――じゃあこいつは、試練とは関係ないのか……?
――でも、冒険者っぽくにも見えないし……。
結局のところこの魔騎士が何者であるか、という疑問にはなんの価値もない。
剣を抜き対峙する、これだけで相手が敵であると認識するには十分に事足りた。
素直に後ろにあるリエサークを採取させろという交渉も、きっと徒労に終わろう。
手に入れるためにはこの魔騎士を倒すこと以外道はない。
「……どこの誰かは知らないけど、俺には先を急ぐ理由があるんです」
「…………」
魔騎士は相変わらず言葉を発しようとしない。
知性が低い、と言うわけでもないのは湾曲剣の構えからして一目瞭然だった。
これまでに相対したどの冒険者よりもずっと洗練させれていて、そして恐らく誰よりも強い。
もしかすると母さんよりも強いのかも……アスタロッテの実力をまだ半分も目にしていないライシだが、そんな考えがふと脳裏によぎった。
どっちにしてもこいつを倒すしかない! ライシが霊鋼剣アルガスを抜いた、それとほぼ同時にけたたましい轟音がガチュア山に鳴り響く。
魔騎士の一脚は美しい花を無慈悲に荒らし、大量の砂煙を巻き上げて肉薄する勢いにライシは一瞬気圧された。
「ぐっ……!」
鋭く重たい一撃をライシは辛うじて受け止めた。
並大抵の剣だったならば今頃、先の一撃ですべて終わっていただろう。ライシの頬に冷たい汗がつっと伝う。
それほどに強烈な剣を魔騎士は容赦なく、無慈悲にして凄烈に振るいさながら嵐のようだ。
――これ以上受けるのは危険だ!
得物の質は幸運にも互角で、しかし仕手であるライシは耐えうるだけ頑丈にできてはいない。
受け続ければ真っ先に破壊されるのは言うまでもなく自身の五体そのものであり、目まぐるしい
それも辛うじてで、現にライシの頬や腕には小さいながらもいくつもの刀傷がしかと刻まれていく。一度でも集中力を切らせば死に直結するのは自明の理で、その中でライシは必殺の好機をジッと待った。
――来たっ!
それは不意に訪れた。
恐らくは彼らのこの戦いの余波に不幸にも巻き込まれたのであろう。
例えその存在は悪魔やモンスターよりもずっと弱小で、弱肉強食で言えば最下層に部類されようとも、それが何重とも連なればどうしてもその存在を目で追わざるを得なくなる。
茜色の空へ、一斉に羽ばたいた鳥達の羽ばたきが魔騎士の意識をほんの一瞬だけ鈍らせる。当然ライシがそれを見逃すはずもなし、そして得物はなにも
最速にして一撃必殺に相応しい技と得物がライシの左腰にはある。
「疾――ッ!」
鋭い呼気と共に一気に月光剣を抜き放つ。
抜き、そして斬る。
蒼白い閃光が中空を駆け抜け、その一刀の前には例え悪魔の焔であろうとも両断する。また刀身が
決して防御できないその一撃は正しく必殺と呼ぶに相応しく、初見で見切られる確率は極めて低いという確信すらライシにはあった。
勝った……! ライシは己の勝利を信じて疑わず、しかし無手取りという究極の護身術の前に呆気なく崩れ去ることとなった。
――こいつ、本当になんなんだ!?
――人間か? それとも悪魔なのか!?
あるいはどちらでもない、まだ邂逅したことのない種族か。いずれにせよ、はじめて目にしたはずの技をこうもあっさりと看破しただけでなく、たったの指二本で掴んだ度量と技量の高さは人外と呼ばざるを得まい。
魔騎士が掴んだままの月光剣へ、自らの剣を撃ち落とした。
けたたましい金打音が鳴り響いて、瞬く間に焦燥感を孕んだ
ダメージなどもはやないに等しいが、距離を取ることが目的なので仔細はない。
月光剣を納刀しようとした、だがそれを魔騎士の追撃が許さない。
「な、なんだと!?」
と、もはや平然とすることさえもままならないライシは、月光剣から徐々に蒼白い輝きが失われて余計に焦った。
鞘の中という暗闇を与えなければ路傍の石に等しい欠点を抱えた剣を、一刻も早く納刀しなければ折られてしまう。
しかし魔騎士の追撃の手が緩むことはなく、寧ろ一合と刃を重ねる度により
まるで
――だ、駄目だ……!
――納刀する時間がない!
――こいつはどこまでも俺を追ってくるつもりだ!
「あっ!」と、声をあげたライシの目の前で、それは甲高い破砕音と共にいくつもの破片となって宙を舞った。
とうとう魔騎士の剣戟が
炎をも切り裂くとは言っても、それは刀身に蒼白い輝きを帯びている時のみ。
単なる石ころ同然と化した
「よくも俺の大切な剣を……!」
「…………」
「お前は、お前はいったいなんなんだ!」
こんな時でもやはり魔騎士が答えることはなかった。
月光剣を失ったことによる怒りと悲しみを露わにしたライシの右手は再び
感情の昂ったライシの剣は、嵐のように猛烈でありながらなんとも脆い。
勢いだけでどうにかできるほどのレベルじゃない、そんなことはライシも重々わかっているが、制限時間が残りもうあと僅かであることへの焦りと、それに加え武器を破壊された怒りや悲しみとで、感情がごちゃごちゃと激しく混ざり合い冷静さを完全に失っていた。
当然、冷静さを失った剣が当たるわけもなく。
最後の要でもあった
「がはぁ……!」
「……………」
「はぁ……はぁ……く、くそ……マジでなんなんだ、お前は」
ゆっくりと、あたかも恐怖を煽るように迫る魔騎士はさながら死刑執行人と言ったところか。
このままだと俺、確実に殺されるな……片や得物は無残にも破壊されて、片やもう一つの得物も今は遠く離れてしまっている。
腰の鞘でどうにか太刀打ちできるほど相手だったならば、そもそも得物を両方も失うことはきっとなかったろう。
絶体絶命以外に形容する言葉はなく、ならば諦めるかと問われればそれもまた否だ。
まだまだ身体の方が動くし、何よりもライシは生きている。
「はぁ……はぁ……俺の、命はそう簡単にはやらないからな……!」
正に絶体絶命と呼ぶに相応しいこの状況下で、ライシが次に出た行動はあまりに無謀だと言わざるを得ずない。
自慢の剣も技も通用しない実力者に無手で挑もうなど、これが自殺行為と呼ばずしてなんだと言うのか。
固く握りしめた拳を静かに構えるライシの目に迷いは微塵もなし、どうせ今日ここで死ぬのだとしても、それならばいっそ最後まで戦ってから死にたい。
退路は元よりないのだから。
とは言え、得物をどちらとも失ったのはライシにとって極めて痛手であるのは、紛れもない事実である。
やるしかない……! 握った拳をまっすぐとライシは突き出す。
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