第19話:ゲテモノは大抵美味い、らしい

 そうこうしている間にも両者の料理はいよいよ大詰めを迎える。

 殴り合いに発展しなかったのがせめてもの救いか。それは鼻腔を刺激する強烈な異臭と目に大変優しくない色合いを目の当たりすれば、寧ろ起きて台無しにしてほしかったとライシはすこぶる本気で思った。



「えっと……両者とりあえず完成したようです。ではまずアリッサ様達の料理から――ちなみにこれは何をお作りになられたのでしょうか?」

「ライシお兄様へ私達の愛を込めて作りました――名付けて、“ラブビーフシチュー”です!」



 これが料理か? 青ざめた顔のライシにすっと提供された料理に観客席からもちょっとしたどよめきが起きる。

 ゴポゴポと泡立つ液体は紫色と大変毒々しい。換気が間に合わないぐらいの異臭の元凶は言うまでもなく、人体の多大な悪影響を与えようことは自明の理だ。


 ――毒沼だって言われても俺は疑わないぞ……。


 食欲はとうになく、たった一口食すだけでも酷く躊躇いなかなかスプーンが進まない。

 水面より顔をひょっこりと覗かせる食材も、この毒沼による影響かこの世に現存しない異形にしかライシの目には映らず、だが五人からの期待と不安が入り混じる眼差しを前にしては食べる以外の選択肢など最初ハナからなかった。



「え、えっと……す、素敵な料理名までつけられて自信満々なのが我々にもひしひし伝わってきます! と、とにかくおいしそうですねぇ……ははっ」



 ニスロクの頬は明らかに引きつっていて、言葉回しも語彙力が極めて低い。

 もっとも、毒沼を前にすればニスロクがそうなるのも無理もないが。



「まぁおいしそうねぇ! はじめて作ったのになかなか上手にできてるじゃない」



 と、にこやかにコメントするアスタロッテにライシは彼女の正気を疑ったが、娘が傷付かないよう母親としての最大限のフォローだと理解した時はたまらず称賛の拍手を心中にて送った。

 言うまでもなく、アスタロッテの笑みはどこかぎこちなく。スプーンも小刻みにだが確かに震えていた。如何に魔王であってもこれはさすがに躊躇うらしい。



「ふむ……もっと酷いもんができるんじゃねぇかって思ったが、こいつぁなかなかの出来栄えじゃねーのか? まぁシルヴィには劣るけどな!」



 と、自身の娘であるシルヴィもしっかりと立てつつ称賛のコメントを残すファフニアルにも、ライシは同様の尊敬の念を抱いた。ただしやはりと言うべきか、ファフニアルの笑みもぎこちなくてスプーンを手に取ろうとすらしない。


 ――そう言えば、肝心のシルヴィは?


 料理はもう一つある。きっとそちらの方も負けず劣らずのゲテモノがくるに違いないと、そう身構えただけにいざ提供された時のライシは思わず目を丸くしてしまう。

 じゅうじゅうと熱された鉄板の上で今も焼かれ続けるそれからは、絶えず香ばしい香りが鼻腔を通して失ったはずの食欲を急激に蘇らせる。

 自然と口腔内は唾液で満たされて、はっきり言って妹達のゲテモノよりも遥かにおいしそうという感想が脳裏を占める。



「シ、シルヴィ様の料理はなんというかアリッサ様達よりも地味! シンプルイズベストとでも言うべきでしょうか、この料理はいったい……?」

「下手に凝って不味くするよりも、まずはどうすれば相手においしく食べてもらえるかが重要じゃない? アタシの作ったのはドラゴンもどきを使ったステーキよ!」



 悪魔は基本、肉食が多い。

 その性質も相まってか会場の盛り上がりも異様なほどの高ぶりを見せた。


 ――せめて、俺ぐらいはあいつらの味方でいてやらなきゃだな……。


 旗色が悪いと一番感じているのはアリッサ達本人であり、敗戦が濃厚な雰囲気の中でライシは大きなため息を一つして毒々しい紫色のスープを口に運んだ。どよめきが再び会場を満たし、全員による心配の眼差し一身に受けるライシは静かにスプーンを動かす。



「…………」



 不味い、本音を吐露したい気持ちをライシは無理矢理理性で抑制する。

 一度そうと認識してしまえば、その時は二度とこの料理を食べれそうになかった。

 理性を殺し、気力がまだある内にとにもかくにも食すことのみを念頭に置く。

 これまでおいしいものしか食してこなかったから、じゃりじゃりとした触感もねっとりと残る苦みが酸味かもよくわからない味付けも不快感の極みに達し、それでもすべては妹達を悲しませないためにライシは一心不乱にスプーンを運び続ける。



「ライシちゃん……! アリッサちゃん達のためにそこまで……お兄ちゃんの鏡だわ!」

「以前から思っていたがなかなか根性がある。さすがはアスタロッテの息子、と言うべきか」

「当然よ! なんて言ったって私の大切な子供なんだから!」



 ――口よりも手を動かしてもらえませんかねぇ!


 褒めるくせにしてその実、二人のスプーンはさっきからずっと定位置のまま。

 食べる気が更々ないと言っているのも同じで、そんな二人をじろりと横目で睨みながらもライシはとうとう、最後の一口を食べた。



「ご、ご馳走様でした……」

「おーっと! ここでライシ様完食! あのデスクッキ――あぁ、いや……愛情たっぷりのビーフシチューは皿に一滴も残っていません!」

「うぐ……」



 気分は言うまでもなく過去最悪だった。

 胃の中に残る食物がずしりと重く伸し掛かり、呼吸すれば異臭が逆流して容赦なく嘔気をもよおす。今すぐに吐けと脳からの危険信号に従いたいのは山々で、だがアリッサ達がいる手前そのような失態は見せまいとライシは気力を振り絞る。


 一先ず、水を大量に飲んで少しでも濃度を薄くする。現時点できることを精一杯行うライシは、このビーフシチューらしきものの後とだけあって、控えた救済処置に対する期待も大きくあった。


 次はいよいよシルヴィのステーキだ。ただじっくりと焼き上げるというシンプルな調理方法でありながら、食欲がまたしても減衰したライシだからこそ最高の口直しという他なく。期待しかないライシのナイフは一寸のためらいもなくステーキをカットし、ミディアムレアによる見事な赤みに自然を顔も綻ぶ。


 ――これは申し訳ないけど、シルヴィの勝ちだな。



「いただきます!!」



 一口、続けてジャリッとした不快な感触の後に強烈な甘みが口腔内を瞬く間に侵す。

 例えるなら、それは砂糖の塊を食しているかのようで――



「どう? めっちゃくちゃおいしいでしょ?」

「あ、甘すぎる……」

「こ、これはちょっと甘すぎるかしら……」



 と、見た目と匂いだけで食せると判断したアスタロッテもこの甘さにはさすがに言及せざるを得なかったらしく、そしてシルヴィの母親であるファフニアルもまた、無言に徹してはいるものの表情かおは険しい。



「ちょっと! まだ残ってるじゃないちゃんと全部食べ切りなさいよ!」

「いや、でも……うぷっ」



 どうやったらこんなクソ甘い味付けになるんだ!? 食欲も完全に失せまだ皿に残る料理にシルヴィが不満を露わにするが、ライシはそれを力なく首を横に振って必死に拒否した。


 さすがにこれ以上は無理だ。何度も込みあがる嘔気と格闘するライシだったが、そこで目にした光景は罪悪感を心中に植え付ける。



「な、なによ……アタシだって一生懸命作ったのに。そんなにアタシの料理駄目なの……? そんなに妹達の方がいいの……?」

「うっ……あ~もう!」



 どうしてこうも甘いんだろうな、俺は。嘔気はまだ収まらず、これ以上の摂取は命を危険に晒すと本能が激しく警鐘を鳴らす中で、ライシはステーキへと思いっきり齧りついた。

 思考はこの際完全に外界へと追いやり、目の前の肉――もとい糖分の塊を食すことだけに全神経を集中させる。本音を吐露すれば、今すぐにでも吐き出したい。

 それを気力で無理矢理抑えて大量の水と共に食せばもはや味などなきに等しく、そしてついにシルヴィの激甘ステーキをも完食したライシには万来の喝采が贈られた。



「さすがですライシ様!」「見事な食べっぷりでした!」「がんどうじだぁぁぁぁっ!」



 耳をつんざく歓声を一身に受け止めながらライシは一人、無言で席から立ち上がる。

 よろよろと覚束ない足取りであるライシに、ニスロクが透かさず駆け寄った。



「ライシ様! どちらの料理がおいしかったでしょうか!?」


 ――それ、今答えなきゃ駄目か……?


 こんな事態になってもブレない姿勢にライシは小さく苦笑いを浮かべて――



「この勝負、ドローで……」



 と、一言だけ残して大食堂を後にした。



「うぉぉ……ぎ、ぎもぢわるい……吐ぎぞう……」



 壁にもたれかかるようにして、ライシが向かったのは医務室である。

 さすがに薬の一つでも飲んでおかないとこの後に多大な支障を来すのは目に見えていて、しかしどうしてこうもタイミングが悪いのか。窓の向こう、偶然にも視界に入った不穏分子にライシはくるりと踵を返した。

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