第18話:命がいくつあっても足らないDEATH COOKING

 大食堂は広々とした空間がまず特徴的だった。

 ここでは多くの悪魔が一斉に食事をする。なので広く設けられているのは必然で、100人以上は優に収容できよう空間も今日はどこか狭く感じる。

 イベントには悪魔も人間も心躍るものらしい。かつての自分ならば何も思わなかっただろうが、ありありと視界に映る光景を目の当たりにすればそう思う他ない。



「えーそれではただいまより。第一回デビルズキッチンを開催したいと思います! 実況と解説はこのわたくし、料理長のニスロクが務めさせていただきます。続きまして審査員はアスタロッテ様、ファフニアル様、そしてライシ様の三名です。それでは各審査員の方々、何かコメントの方をよろしくお願いいたします!」

「私のかわいい子供達がどんな料理を作るのか今から楽しみだわ」

「日頃の鍛錬がどこまで生かせられるか、是非拝見させてもらうとしよう」

「ライシ様も何か」

「…………帰りたいです」



 ――どう足掻いても絶望しかないだろこんなの!


 100を超える悪魔達の歓声がワッと上がる大食堂にて、ライシはすこぶる本気でそう答えた。

 急遽開催されることとなったアリッサ達とシルヴィによる料理対決は、ある意味これまでになかった余興としては十分すぎる刺激があろう。ツヴァルネア城は基本平和な日々がとても多いので彼らが退屈していたのも頷けるわけだが、対価が食中毒かもしれないとだけあってライシの顔色ははっきりと言って悪い。


 もう時は戻せない。ライシに残された唯一できることは、せめて平和的に終わってくれるのをひたすら祈ることのみ。そんな切なる祈りも本日の主役である両者を見やれば、とても叶いそうにないとライシの口からも盛大な溜息がもれる。



「ね、ねぇアリッサお姉ちゃん? 料理対決だって言ったけど、できるの?」



 と、不安げな顔を示すエルトルージェにアリッサの顔には、いったいどこからその自信は湧いてくるのだろう。不敵な笑みを崩すことなく、対戦相手であるシルヴィを見据える横顔はとても雄々しく長女として頼り甲斐がある。

 何か秘策でもあるのか? 訝しむライシを他所に、アリッサがくるりと姉妹の方を向いた。



「……さて、どうしましょう?」



 ――いや何も策なかったのかよ!


 長女の一言は姉妹達の不安を助長させ、もはや敗戦ムードがすっかり漂う一方でシルヴィの方もあまり穏やかとは言い難い。家事をしているのならもう勝ったも同然だろうに、小首をはてとひねるライシが目にしているのはアリッサに負けず劣らず顔色を悪くしたシルヴィだった。


 やっぱり家事をしているのはハッタリだったのか? 不安と心配が入り混じる中で後に引けなくなった両者に無慈悲にも開始を告げる鐘が鳴り響いた。



「こ、こうなったらもうやるしかありません! ライシお兄様への愛が試される時! 各々できることを全力でやりますよ!」「愛情が一番の調味料っていうもんね!」「え? そうなのか?」

「エスメラルダも頑張りますぅ!」「クーもいっぱいお手伝いするもん!」



 勢いだけはよし、肝心の中身は案の定なのでライシはさほど驚かないが、アレがどのように完成するのかまでは想像がつかないのでゾッとした。



「おーっと! 先に動いたのはアリッサ様達! 用意した寸胴鍋に次々と食材を放り込んでいくー! しかーっし! 食材はあろうことかそのまま! カットや皮むき一切なし、これは食材そのものの味を最大限に活かすための作戦かー!」

「ねぇねぇ! これボクの好きな食材なんだけど入れたらどうなるかな!?」

「いいですねエルトルージェ。それも鍋の中に入れましょう」

「クーはこれにする! 甘くてとってもおいしいもん!」

「ウチはこれだな! このピリッ手する感覚がたまんねーぞ!」

「それじゃあ味付けはその二つをベースにしちゃいましょっかぁ」



 ――聞いてるだけで胃痛がしてきた……!


 寸胴鍋をどんどん満たす食材はすべて個人の趣味嗜好であり、その組み合わせについても前代未聞人類史上初と言ってもきっと過言ではあるまい。どこからともなく香る異臭は鼻腔をつんと強烈に刺激して、観客の一人が即座に換気をしたことにライシは心から称賛の拍手を送った。

 許されるのならそのまま料理も食べてほしいぐらいだ。


 ――なんて……できるわけないんだけど。


 食べる前から、アレがまずいのは十中八九間違いない。

 これがわざとだったならば食べずに捨てるところだが、料理の経験など皆無であるアリッサ達の顔は真剣そのもの。それはおいしい料理を提供しようとする強い意志があり、そうと知りながら無碍にするほどライシも冷酷ではない。

 ましてやかわいい妹がはじめての家事を投げずに自らの手で作ろうとしているのだから、兄としてもこれは素直に喜ばしくライシは思っていた。



「あ、あんな奴らなんかに負けてられるかっての!」

「こ、これはなんという素晴らしい包丁捌き! 未だ緊張が解けていないのか顔は少々強張っているものの、丁寧かつ的確に包丁を滑らせる動きは見事と言う他ありません!」



 ここにきてようやく、シルヴィにも動きがあった。

 表情かおはまだ若干優れないものの、食材を捌く手捌きにおいては長年料理長を務めるニスロクをも唸らせるほどで、意外にやればできるじゃないかとライシも素直に称賛した。

 ここにきて両者に大きな差がついたような、ライシはそんな気がした。

 片や手あたり次第食材を鍋にぶち込むだけに対して、片や華麗な包丁捌きを披露する。


 この時点で観客の関心はシルヴィの方へ傾き、鋭くも凍てつくような視線からライシの視線はアリッサ達に固定することを余儀なくされた。大方、大好きな兄だけは味方でいてほしいのだろうが、ちょっとぐらい見てもいいじゃないかという抗議すらもきっと受諾されないから、ライシは諦めて料理が完成するのをひたすらに待つことにした。


 もうシルヴィの料理だけが救いだ! 完成をひたすらに待つライシだったが、あちら立てればこちらが立たぬ。

 どうやら自分に応援がないことが不服だったらしく、調理中にも関わらずジルヴィの抗議の声がライシに飛んだ。



「ちょっとライシ! アンタはこっちを応援しなさいよ! 言っておくけど家族票なんかで評価したらアタシが許さないんだからね!」

「わ、わかってるって!」



 家族だからと評価は公平だ。

 その点についてはシルヴィから指摘される間でもなく重々とライシも承知しているし、仮にもファフニアルの娘を本気で怒らせることが如何にデメリットなのかもよくよくわかってるので、くだらない真似をする気などライシにはない。


 ――シルヴィも怒らせたら怖いからなぁ……。


 アリッサ達も十分強者であるが、シルヴィの実力も侮れない。

 付け加えるならかつて五対一という圧倒的不利な戦況だったにも関わらず、シルヴィはこうして生きているしあの時よりもずっと強くなっているのは、彼女の身よりひしひしと発せられる魔力を見やれば明らかだった。

 今の俺でも勝てないだろうな、多分。

 その時、シルヴィの発言についてアリッサ達が今度はこぞって声をあげた。



「ライシお兄様に気安く話しかけないでください! だいたい応援を強制するなんて卑怯じゃないですか!」

「ふ、ふん! 満足に料理ができないからって言い掛かりはやめてよね! だいたいなんなのよアンタ達の料理は……そんなの料理でもなんでもないじゃない。単なる煮よ煮、それも激マズの」

「なっ! ま、不味くなんかないです! そっちだって手際こそはまぁ、認めてあげなくもないですが地味で味気なさそうですよ!」

「え~一応、念のために言っておきますがここでは料理による勝負のみで、間違っても殴り合いだけはおやめくださいね~」



 ニスロクの忠告も果たしてどこまで効果があるのやら。

 いがみ合う両者を見やれば大して効果は望めそうになく、元が好戦的な悪魔達は今この状況を心から楽しんでいた。

 アリッサもシルヴィも、どちらとも怒らせるのは得策じゃない。

 どうか殴り合いだけには発展しないように。キリキリと痛む胃にライシの食欲はもうほとんどなかった。

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