第17話:楽しいお茶会のはずなのに
誰かが、その色鮮やかな赤は血のようで美しいと言った。
独特な鉄のような嫌な臭いはまったくなく、周囲に漂うのは甘く優しい香りのみ。
立派としか言いようがないバラ庭園を舞台に今、二人の魔王が対面に座した。
魔王がお茶会をする、なんてきっと冒険者も想像すらしていないに違いあるまい。
かく言うライシとて未だ半信半疑の心情を拭えなくて、しかし当人らはお茶菓子を片手に楽しそうに談話に勤しんでいるから、これが現実であることをライシは改めて認識した。
――まぁ、母さんも向こうさんもかなり美人だし。
絵になると言えば、恐らくなる方だとライシはそんなことをふと思った。
「よぉアスタロッテ! 久しぶりにあったけど元気そうにしてるじゃあねぇか!」
優雅さや上品さの欠片もない、粗暴の一言に尽きようが雄々しさとその身よりあふれる力強さは並大抵ではない。
アスタロッテとはまるで正反対であるわけだが、どうもこの二人は波長が合うらしくこうしてたまにお茶会を楽しんでいるというのだから、色々な魔王がいることを思い知らされる。
魔王ファフニアル――その異名は人呼んで【
「久しぶりねファフニアル! 私は特に問題ないわ。かわいい子供達にも囲まれて幸せよ」
「そりゃ重畳の至りってやつだな。まぁオレんとこの娘も最近ようやく、ちったぁ任せられるようになってホッとしてるぜ」
「まぁ、そうなのね」
――二人は魔王、なんだよなぁあれでも。
穏やかなそのものな二人の会話から、姿を隠せば誰も魔王だとは想像するまい。
かつては猛威を振るい数多くの人間を虐殺しては国を滅ぼしたほどの悪名高き魔王も、子供を持てばこうもがらりと変わるのかは定かではなく、いずれも何事もなく順調に進んでいたお茶会に突如として訪れた危機にライシの胃は再びキリキリと激しく痛み始める。
「やっほーライシ! ひっさしぶりじゃなーい!」
と、その少女は陽気な態度でやってきた。
金色のサイドテールを揺らして、天へと伸びた漆黒の双角が彼女が悪魔であることを知らしめる。
ファフニアルの一人娘であるシルヴィの登場によって場の空気が一瞬にして凍てつく、その事実に二人の母親はまったく気付こうともしないから、ライシは怪訝な眼差しを向けずにはいられなかった。
「ちょっと! せっかくこのアタシが遊びに来たのに無視するなんてひどいんじゃない?」
「シ、シルヴィ……いや、悪い。久しぶりすぎたからちょっと驚いた」
――こいつ、なんかきれいになったなぁ。
記憶にあるシルヴィは数年前のもの。
出るとこはボンッと出て引っ込むところはキュッと引っ込んでいる。
かつてがかわいいという印象が脳裏に強くあっただけに、美しいという印象に変わったことでどぎまぎしたライシを、五人の悪魔が容赦なく現実へと連れ戻す。
「ライシお兄様に気安く話しかけないでもらえますか?」
「――、あらアンタ達そんなところにいたんだ? ぜーんぜん気が付かなかった」
「おや、あれから視力の方が悪くなられたみたいですね。一度診て……あぁ、これは失礼を。あなたのような馬鹿は例え名医であろうと治せなかったですね」
あからさまに挑発し合う両者の周囲の空間がぐにゃりと歪んで見えるのは、多分気のせいではない。
お茶会と言う楽しい雰囲気にはまったくもって不相応な殺意は酷く濃厚で、常人であれば意識を保つことさえも難しいように、板挟みとなったライシの顔色は案の定優れない。
もはや犬猿の仲、などという表現では到底追い付かない両者の関係が何故こうも悪いかは、数年前にまで時をさかのぼる必要がある。
その日も、ファフニアル親子の来訪は突然だった。
母親以外の魔王をはじめて目の当たりにしたアリッサ達が極度に緊張したように、ライシは異なる意味で心底落ち着かない心境だった。
第三者に人間だとバレるのではないか? 内心ヒヤヒヤとしていたところやってきたシルヴィは、おおよそ悪魔らしからぬ気さくな性格は当時友人と呼べる相手がいなかったライシにはとても刺激的な出会いだったと言えよう。
何を言われるかわかったものでない。
できるのならばあんまり関わってほしくないのが本音だった。
そんなライシの心情などこの娘が知る由もなく、
『アンタがアスタロッテの息子? それじゃあアタシのママと友達だからさ、アタシとも友達になってよ!』
無邪気に歩み寄って手を握ってきた。
残虐非道の悪魔も、幼少期は皆こうなのかもしれない。
そうすこぶる本気で思う傍らで、ライシも人生初の友達ができたことを素直に喜んだ。
……でも、どちらかと言えば娘という感覚の方が近かったかもしれない。
精神年齢についてはライシが誰よりも上なので、その時から妹達と同様に自分が面倒を見てやらねばと言う妙な使命感が芽生えたライシの前で早速大喧嘩が勃発した。
いい思い出だ、とはお世辞にも言えない。
城が破壊されるような思い出など、今すぐにでも跡形もなく抹消したいとライシにそうと思わせるぐらい大喧嘩をした両者の言い分は、双方共に気に食わないと言うなんとも稚拙極まりないものだった。
『ライシお兄様に気安く話しかけないでくださいこの泥棒猫!』
『はぁ? なんなのよいったい! 今アタシはライシと二人っきりで話してるんだからあっちいってなさいよ!』
『ライシお兄様から離れて!』
『イタッ! や、やったわねぇ……!』
かつてのアリッサ達もシルヴィも幼かったがために、感情に任せて暴力を振るうのも歳相応の過ちなのは否めずとも、彼女らが悪魔と言う種族の所為で大惨事へと発展したのはなるべくしてなった結果と言えよう。
監督不行き届きで処罰を下されるのではと心配したライシには特にお咎めはなし、そして両者も喧嘩両成敗という形でほとんど丸く収まった。
城が一部荒れ果てたのを「子供が元気が一番!」とその一言であっさりと終わらせたアスタロッテに、家臣達がよく反旗を翻さなかったものだとライシは今でもそう思う時がある。
「――、相変わらずライシにべったりとして気持ち悪いわね。妹ってそんなにお兄ちゃんにべったりとくっつくものなの?」
「ライシお兄様と私達姉妹の間には鋼鉄よりもずっと固い絆があります。おっと、一人っ子であるあなたにはこの嬉しさや喜びはわからなかったですね」
「それにライシお兄ちゃんとボク達は将来結婚するんだからね!」
「はぁ?」と、シルヴィ。
本気なの、とそう言わんばかりの疑いの眼差しにはライシも激しく首を横に振った。
ずっと昔にそのような約束は、確かにした。
だけどあれは所詮子供の戯言だ。本気で捉える方がどうかしているし、アリッサ達に対するライシの好意は家族愛であって異性愛とは大きく異なる。
それでもこの妹達は
血の繋がりはないから結婚してもなんら問題はないし、アリッサ達はかわいいしきれいだが、肝心のライシに結婚する意志がまるでないので、とてもじゃないが受け入れる気は微塵も起らない。
「アンタらさぁ、兄妹で結婚とかそんなのありえないからね?」
と、至極真っ当な言葉を述べるシルヴィだが、アリッサ達はどうしてそんなにも勝ち誇った様子なのやら、ふんと鼻で一笑に伏した。
「そんなものは関係ありません。例え血の繋がりがあろうとなかろうと、私達が心から愛している人はライシお兄様ただ一人だけ。お母様だってライシお兄様との結婚について応援してくださっていますし」
「いや、それは――」
かわいい娘の戯言だからと、多分真剣に取り合っていない。
子供に対して何よりも甘いアスタロッテが、真実を告げて悲しませないようにした配慮だと気付かないアリッサ達に、恋は盲目という言葉をライシはふと思い出す。
「あのねぇ、そんなの嘘に決まってるじゃない。自分の娘が悲しい思いをしないようにって、そう配慮したんでしょ」
「ふっ……負け惜しみですか?」「エスメラルダ達の愛は無敵ですぅ」
「君じゃあボク達には勝てないよ!」「そーだそーだっ!」「クー負けないもん!」
シルヴィからの現実を突きつけられてもアリッサ達は
「ふ~ん。それじゃあ聞くけど、アンタ達って家事とかできるの?」
「そんなもの……!」
「まさか、できないの? じゃあ絶対に無理ね。アタシがもし旦那だったとしたら、家事ができない奥さんとか願い下げだし。ライシだってそう思うでしょ?」
「え? ま、まぁ……」
と、突然話題を振られたライシは少し戸惑いながらも小さく首肯を返した。
「それじゃあさ。そ、その……アタシとかどう?」
「え?」「何……?」「はい?」「なんて?」「は?」「んん~?」
シルヴィからの問い掛けに、兄妹全員の声がきれいに重なった。
「ア、アタシね。最近料理始めたの。ま、まぁまだまだ上手な方じゃないのはわかってるけどさ? で、でもライシにおいしいって言ってもらえるぐらいには作れるから……」
「それって……」
「だ、誰があなたにライシお兄様を渡すものですか! あなたのようなメスが私達の義理姉さまになるなど死んでもごめんです!」
「じゃあもっかい聞くけど、アンタ達家事できるの?」
自身の得意分野を持ち出したことで、戦況がシルヴィの方に大きく傾き始める。
当然ながらシルヴィからのこの質問に対する答えは否だ。
できるわけがない。だと言うのにアリッサは、
「も、もちろんできるに決まっているじゃないですか!」
あろうことか嘘を吐いた。ただしその声は若干上ずっている。
完全な負け惜しみで、しかしシルヴィの顔色が心なしか悪いことにライシはハッと気付く。
まさか、信じたのか? 困惑するライシを他所にシルヴィが口を切る。
「ふ、ふ~ん! ア、アンタ達も料理とかするんだぁ。意外ねぇ~」
――……え?
――まさか、本気で信じたのか?
――どう見てもハッタリだって気付くだろ……!
かく言うシルヴィの声も上ずっていて、まさかお前もハッタリなのかと訝し気にライシが見守っていると、不意にシルヴィが高らかに声をあげた。
「そ、そこまで言うんだったらアタシと勝負しなさい! どっちが料理が上手がはっきりとアンタ達に思い知らせてあげるわ!」
「望むところです!」
「え!? いや、何勝手に言ってるんだよお前らは。だいたいシルヴィ、人様の台所を勝手に使おうとしてるんじゃ――」
「あらぁ、おもしろそうじゃない」と、アスタロッテ。
「そうだな! 日頃の特訓の成果、ここで披露してみろ!」と、ファフニアル。
絶対にロクでもない結果になるに決まってる。早くも地獄を垣間見るも両家の母親の意外にも乗り気な様子に、ライシはほとほと呆れるしかなかった。
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