第10話:絶体絶命

 がきん、とけたたましい金打音が森に響き渡った。

 同時に護衛の悪魔達が一斉に駆け出す。むろん彼らの腕にはアリッサとエスメラルダ。ぐんぐんと遠ざかるライシに必死に手を伸ばす姿もすぐに森の名から消失した。

「逃げた!」と、ジェノスの仲間の一人が叫んだ。

 その者の手には弓矢が握られている。追撃を仕掛けるつもりだ。



「やめろ!」



 意外にもジェノスが男の行動を咎めた。

 リーダーからの直々の命令なのだ。男は渋々と言った様子で素直に従った。



「……最初からこうなることを狙っていたな?」

「えぇ、どちらがより多く生きられるか。そう考えれば自然とこう考えが行き着くでしょう」

「なるほど、子供だと思っていたがなかなか頭が切れるようだね。元より幼い子供と言っても手加減するつもりはない、けど君の勇気と行動力に敬意を表して正々堂々、一対一で君を葬ることを約束しよう」

「ありがとうございます。そう言ってもらえると、俺も助かりますよ」

「みんなは絶対に手を出さないでくれ。この少年は僕が斬る」

「け、けどよろしいのですか!?」と、女。



 栗毛の三つ編みと眼鏡が特徴的な彼女は魔法職か、きれいな手には一条の杖が握られている。



「構わないよ。これまで僕達は数多くの敵を打倒してきた。時には誰もが不可能だと言われたモンスターでさえも。魔王アスタロッテ……かつてはその猛威を振るい人々に恐怖と絶望をもたらしたけど、僕達の敵じゃないからね」

「安心してください、アンタはここで俺に倒されるだろうから!」



 ジェノスめがけてライシは再び地を強く蹴った。

 どんっ、という轟音と共にライシは一陣の疾風の如く、ジェノスの懐深くへと潜り込む。

 稲妻のような剣戟。鋼鉄の剣さえもなんなく叩き斬る一撃を、ジェノスは難なくと受ける。

 けたたましい金打音が森の中に何度も反響するが、戦況はジェノスの方が圧倒的だ。



「確かにすさまじい剣だ。君が子供ではなく成熟した大人だったら僕はきっと受けきれずに倒れていたかもしれない。だが!!」

 鋭い蹴りがライシの腹部へと突き刺さった。

 剣ばかりに集中していたことで完全に意識外からの攻撃に、ライシは大きく体勢を崩す。

 ジェノスに慈悲は一切ない。子供であろうとも悪魔であれば容赦なく滅する。その決意と覚悟をひしひしと伝える刃がライシへと強襲する。

 刃、一閃。袈裟斬りにライシは斬られた。だが、その傷は浅い。

 咄嗟に後ろへ飛んだことで辛うじて難を逃れた。



「うまく避けたようだけど……その傷じゃあもう殺気みたいに動けないだろう。もう諦めろ、子供ながらに君はよく頑張った方だよ」

「……いやいや、まだまだこれからでしょう」

「安心するといい。すぐに魔王アスタロッテも君の下へ送ろう。しかしあの時君の傍らにいた娘も魔王アスタロッテの子供だろう。だったら、利用する価値があるな」

「何……?」

「今後悪魔達の牽制と警告も込めて娼婦館にでも売り飛ばすか。今からなら調教次第で従順にすることも可能だろう」

「……アンタ、見かけによらずして随分とエゲつないこと言うんだな」



 一応同じ人間だから、できるのであれば殺生はしたくない。

 人殺しはとても悪いことだから。

 魔王アスタロッテの息子としてこれからも生きていくだろうが、この誓いだけは守っていきたい。

 その誓いはたった今、ジェノスの一言によってがらがらと崩壊した。

 皮肉なもんだな、とライシは内心で自嘲気味に笑う。

 ジェノスに対する感情は憎悪と憤怒のみ。前世においては魔を狩る・・・・側にある。



「もういいか。アンタはここで俺が殺す!」

 ライシが再びジェノスへと斬り掛かった。



「なっ!?」



 けたたましい金打音が鳴り響いた。

 驚愕を示すジェノスの剣は、その腕ごとを大きく弾かれる。



「俺は死んでもいい。だけどあいつらが……妹達が危険な目に遭うっていうのなら話は別だ! アイツらはなぁ、なんだかんだ言っても俺の大切な義妹なんだよ! それをよくも、尊厳を踏みにじるような言葉が吐けたもんだな!」



 ぐらりと崩れた体勢に、ライシは剣を休めない。

 まるで嵐のような剣だ。びゅん、と鋭い風切音が鳴る度にライシの剣は鋭利さと重さを増していく。五合目、ついにジェノスを捉え始めた。霊鋼剣アルガスの前では堅牢そうな黄金の鎧もどうやら紙切れに等しく。たちまちジェノスを朱に染め上げていく。

「ジ、ジェノスが押されている……!」と、斧を持ったスキンヘッドの男。

 彼の言葉に激しく同意するように、他の仲間達も目の前の光景を唖然と見守ることしかできない。

 強者であるジェノスが、たかが子供一人を相手に劣勢を強いられる。A級冒険者としてジェノスをよく知る者であれば、この状況は確かに異常と言わざるを得まい。

 ジェノスの頬に、ライシの剣が一筋の傷を残した。

 うっすらと滲む血が筋となって頬を伝う。ジェノスの顔に明確な殺意が宿った。



「なめるなよこのクソガキがぁぁぁぁぁぁっ!」

「おぉぉぉおおおおっ!!」



 二人の剣が宙で幾度と交差する。

 凄烈な決闘は、突如として破られた。



「エルト! このクソガキを射殺せ!」



 ぎょっとしたエルトと呼ばれた弓兵、だがすぐに矢を射った。

 鋭いやじりがライシの肩から生える。



「その矢には猛毒をたっぷり塗ってある! 掠っても突き刺さっても、お前はもう――」



 ライシはまったく止まらない。

 もはやこれは決闘ではない。ジェノスの命令によって仲間達が一斉にライシへと襲い掛かる。

 一対五人、ましてや大人と子供だ。体格さや身体能力、技量においてすべてが劣るライシに勝ち目など皆無に等しい。小さな五体はすでにボロボロで、火傷や裂傷を負い自らの血で朱に染まる姿は見ていて痛々しさしかない。

 それでもライシは止まらなかった。



「お前だけは絶対にここで殺す!」



 刃、一閃。上段からの全身全霊ありったけの唐竹斬りは、防御したジェノスの刃ごと肩を深々と叩き斬った。鮮血がわっと噴出し、断末魔にも似た悲鳴が上がった。

 ジェノスはもう風前の灯火である。後はライシがちょいと切ればことりと片付こう。放置しても大量の出血だ、遅かれ早かれ失血死は免れまい。ライシは、そのどちらもしなかった。否、できるだけの余力はもうライシに残っていなかった。

 どしゃりと前のめりに倒れるライシを、ジェノスが恐怖と痛みに引きつった顔で見下ろす。


 ――くそ……もう、身体が……!

 ――眩暈もするし吐き気もしてきた……。


 死、この言葉がふと脳裏によぎった。

 俺はここで死ぬのか? ライシはぎりっと歯を強く噛みしめる。

 必死に生へしがみつくライシを、ジェノスが顔を引きつらせながらも嘲笑う。



「ハハハッ、しょ、所詮この程度。僕達の前にはどんな悪魔であろうと雑魚に等しい!」

「動かないでください。今傷を治しますから」

「こいつの首をもってアスタロッテのところに行けば、動揺ぐらいは誘えるだろう。ここまで僕をコケにした礼だ、せいぜいその顔を絶望に歪めてくれよ?」

「クソ野郎が……」



 悔しそうに顔をしかめるライシに、ジェノスの下賤な笑い声が空へと昇る。

 断末魔が上がったのは、その直後のことだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る