第9話:激突とする者

 説得も無事に終えたことと、アリッサやエスメラルダにとってははじめての経験だ。

 木漏れ日で大いにはしゃぐ姿は種族関係なく外見相応のかわいらしさであふれ、護衛達の顔も心なしかほっころりとして優しい。

 とは言えあまりライシに自由時間は許されない。

 迅速かつ丁寧に目的を遂行するべく行動するライシの足取りに迷いはない。



「ず、随分と慣れたご様子ですが……過去にここへ訪れられたことがあるのですか?」

「へぇ!? あ、あ~いやその、実はアモンに何度か無茶言って連れてきてもらってます。あっ、このことは母さんには絶対に内緒で。あの人超が付くほどの心配性だから」

「わ、わかりました」



 なんとか誤魔化せたと内心でほっと安堵するライシの足は、大きな湖の前で止まった。

 ここで今から何が行われるかを最初に察したのが、年端もいかないエスメラルダだった。



「ここでお魚を捕るのですねぇ!」

「あ、あぁ。そうだぞ。俺も過去に何度か食ったことあるけど、味はまぁまぁな方だった」

「やったぁ! ライシ兄上様ありがとうございますぅ! だいだい大好きですぅ~!」

「わ、わかった。わかったからまずは落ち着こうなエスメラルダ」

「その前に涎をきちんと拭きなさい! まったく、私達はアスタロッテの娘なのだから。魔王の娘として相応しい振る舞いをしなきゃ駄目でしょう!」



 森と言う環境に散々はしゃいでいた小さな少女の口からは、だらだらと大量の涎が滴り落ちて、大変目に汚らしい。さしものアリッサも顔に嫌悪感を強く示して、次女の愚行を咎めた。差し出す前まではきれいだったが一瞬にして涎まみれになったハンカチを、アリッサは嫌そうに自ら遠ざかる。洗えば使えるだろうが、恐らく二度と使う気は起るまい。



「しかし、魚を捕るにしても道具がありませんが」

「だから、こうするんですよ」

「え? そんな方法で捕れるのですか?」



 護衛の一人がそう尋ねるのも無理はない。

 得意げな様子でライシがやったことと言えば、湖の中に右手を突っ込んだだけ。

 強いて言うなれば、右腕は肩近くまで深く入水させたことぐらいだろう。

 その場にいる全員がライシの奇行とも呼ぶべき行動に怪訝な眼差しを向ける。



「ライシお兄様、腕を入れただけでお魚が捕れるのですか?」

「まぁ見ててくれ。すぐに――おっ!」



 来た! ライシは思いっきり湖から右腕を引っ張った。

 大きな魚の出現に誰しもが驚愕からぎょっと目を丸くしている。

 ライシはあろうことか右腕を餌の代用にしたのだ。

 魚の大きさはライシの右腕をすっぽりと飲み込むほど大きい。

 食べ応えがありそうな魚を前にして、エスメラルダの口からは涎が引っ込んだ。

 驚愕と困惑が入り混じるそんな複雑な表情かおをして、ライシの下へとぱたぱたと駆けよる。



「ライシ兄上様大丈夫ですかぁ!」

「俺なら問題ない。それよりもほら、なかなか大きい魚が捕れたぞ」

「そ、そんなことよりも早くその魚から手を抜いてください!」

「あぁ、この魚には歯がなくてエサを丸のみして消火するタイプみたいだから大丈夫だぞ」



 まさかこの剣が最初に斬るのが魚になるなんてなぁ、とライシはしみじみと思いながら魚に刃を通していく。ライシは料理人でないので高度な技量はない、せいぜい腹を掻っ捌いて内臓を除去し、洗浄するので精一杯だった。

 ぱちぱちと音を立てる焚火の上で焼かれる魚に、エスメラルダの涎はさながら滝の如く。

 さしものアリッサももう咎める気さえ起らないのか、嫌悪感こそ顔に示すものの言及する様子はもはやなかった。護衛の悪魔達は右往左往するばかりで、まるで役に立たない。



「――、よしもういいだろ。ほらエスメラルダ、出来上がったぞ」

「わ~い! ライシ兄上様様ありがとうございますぅ!」

「豪快だなおい」



 豪快な食べっぷりは見ていて清々しい。反面、もう少し御淑やかさを憶えてほしいとも、ライシは切に思った。



「――、ふぅ。おいしかったですぅ」

「それはよかった」

「う~ん、でもまだまだ食べれちゃいますけどぉ。このままたくさん食べちゃったらお魚さんがへ減っちゃいますしぃ、母様かかさまにも怒られちゃうから我慢しないとぉ」



 一人で食べるには多すぎる量も、エスメラルダにはまだ物足りなかったようだ。

 さらりと恐ろしい言葉を口にするエスメラルダに、護衛の悪魔達が戦慄にも似た感情いろを顔に示した。



「あ、あれだけ大きな魚をわずか一分足らずで……」「なんという食欲なのだ」

「お、恐ろしい……し、しかし」「あ、あぁ。逆に清々しささえある……!」



 まったくもって同感だ。ライシも心中にて強く首肯した。



「さてと、それじゃあそろそろ帰るか。あんまり遅いと母さんが泣くか怒るか、どっちかするだろうし」

「そうですねライシお兄様」

「アリッサ、エスメラルダ、それと皆さんも……どうか今日のことは全員ご内密にお願いします」



 もちろんだと言わんばかりに全員が深く頷いた。



「しっかし、本当にエスメラルダは――」



 よく食べるなぁ、とそう紡ぐはずだった言葉をライシは自ら閉じた。

 背筋にゾッと悪寒が駆け抜ける。

 嫌な予感しかしない。ライシはゆっくりと振り返った。

 視界に五人の人間が映り込む。彼らがただの人間であれば、大した問題はない。

 ライシは無益な殺生を好まない。心が人間であるためか、はたまた前世の記憶がそう彼をさせるのか。いずれにせよ人間が仮にも迷い込んだのであれば、やんわりと帰ることを促すつもりでライシはいつもいた。


 立派な武具でしっかりと武装する彼らの足取りは、どう見ても迷い込んだもののそれとは違う。

 であれば、彼らの目的など知れている。

 アスタロッテの討伐――富の名声欲しさにやってきたであろう冒険者達を睨むライシの眼光は鋭く冷たい。ライシは霊鋼剣アルガスを静かに抜き放つ。



「ライシ様はお下がりを!」「ここは我らにお任せあれ!」



 護衛の悪魔達が一斉に冒険者達の前に飛び出した。

 一触即発の殺伐とした雰囲気の中、冒険者の一人が前へと出た。

 黄金に煌めく甲冑を纏い、腰に一振の立派な剣を携えている。

 他の面子との装備との質の違いから、彼がこのパーティーのリーダーなのだろう。

 後、端正な面持ちだ。俗に言うイケメンである。



「我々は【黄昏の旅団】、そして僕はそのリーダーをさせてもらっているジェノスだ。この先にいる魔王アスタロッテを討伐するためにやってきたものだ!」

「ぬかせ人間風情が!」「我々が八つ裂きにしてくれる!」

「よせ!」



 ライシの制止も虚しく、二匹の悪魔がジェノスへと肉薄する。

 結末は、あまりにもあっけなすぎるものだった。

 ザンッという音の後にどしゃりと悪魔だったモノが地に横たわる。

 ドクドクと流れる赤い血が辺りに濃厚な鉄の臭いを漂わせた。

 こいつは間違いなく強い! 怯えた様子でアリッサとエスメラルダをライシは背に隠した。



「悪魔はこの世の悪そのものだ。だからこそ一匹も見逃すわけにはいかない!」

「……仕方ないか」

「ラ、ライシお兄様……?」



 不安げなアリッサとエスメラルダの頭をそっと撫でて、ライシはすぐに敵手を見やる。

 剣を手にジェノスへと対峙したライシは静かにその切先を向けた。

 じろりと怪訝な眼差しがライシの小さな体躯を貫く。



「ジェノスさん、でしたっけ? 俺はライシ、アンンタが討とうとしている魔王の息子だ」

「何? あの魔王に、子供がいたのか……!?」

「意外でしたか? まぁそんなことはどうだっていいんです。ジェノスさん、どうしてもこの先を通りたかったら俺と決闘をしてもらえませんかね?」



 これがライシが下した決断だった。

 決闘――一対一の戦いに持ち込めばもしかすると、この危機的状況を打破できるかもしれない。

 今の俺じゃあ多分、この人には勝てない。そうと理解した上でライシは決闘を申し込んだ。

 このわかりやすい誘いに乗るほど、ジェノスの馬鹿ではあるまい。

 何故ならこの決闘に、ジェノス達にはなんのメリットもないのだから。

 だからライシは更に挑発を加えることにした。



「まさか、決闘できないってことですか? いやそうですか、それはそれで嬉しく思いますけどねぇ。魔王の息子と言っても、たかがこんなガキんちょ相手に徒党を組んで挑まなきゃ勝てない、そうそっちに思わせられるぐらい俺は強いみたいですので。それがわかっただけでも儲けって思えばいいかなぁ」

「僕を愚弄するのか!」



 ――うわっ、こいつめっちゃ煽り耐性なさすぎ!


 予想よりもずっと憤慨するジェノスに一瞬だけ呆気に取られたライシだが、すぐに不敵な笑みを返す。



「事実を指摘されて逆上するとか、はっきり言ってダサすぎますよ。それでどうします? やるか、やらないのか」

「いいだろう! やってやろうとも!」



 掛かった! ライシはにやりと口を三日月の形に歪めた。

 護衛の悪魔達が一斉に今より行われる決闘について猛烈に反発した。



「いけませんライシ様!」「いいから、今は俺の話を聞いてください」



 耳打ちをするライシに、護衛の悪魔達も一瞬戸惑った後口を渋々と閉ざす。



「ここは俺がなんとか時間を稼ぎます。正直にいって、相手の実力はここにいる全員よりも強いですよ。確実に全員生き残るためには一つだけ、皆さんはアリッサ達を連れてすぐに城に戻ってこのことを伝えてください。それまではなんとか俺が凌いでみせます」

「で、ですが……!」と、悪魔。



 まだ納得いかないのは、彼に限った話ではない。

 彼らの言い分は極めて正論だ。護衛を務めていながら、その護衛対象に守られるなど前代未聞もよいところ。末代までの恥を晒すぐらいならばここで戦って散る。その気持ちを汲んだうえでライシは頑なに首を横に振った。



「仮に皆さんが一斉に掛かったとしても数も相手の方が多い。アリッサとエスメラルダも、戦闘に関しての経験は皆無、俺の足じゃ急いで逃げても追いつかれるのは目に見えている。だからこれしか方法がありません――俺が切り込んだら、お願いしますよ?」



 これ以上の言葉は不要だと、ライシはくるりと踵を返した。



「すいません、お待たせしました」



 ライシは剣を構える。

 わずかに遅れて、ジェノスの剣がすらりと鞘より払われる。

 刃長およそ二尺八寸約84cmとライシの剣よりもずっと長め。

 峰に当たる部分は歪な形状こそしているが、刃の滑らかな湾曲カーブは大変美しい。

 まるで葦太刀あしだちのようだ。ライシは剣をしっかりと握り直す。



「それじゃあ、準備はいいですか?」

「こい。この僕を愚弄したことを後悔させてやる!」



 憤怒の炎に身を焦がすジェノスへとライシは肉薄した。

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