第7話:修練しよう

 軽く振るって剣を馴染ませるライシ。



「ほぉ」と、関心した面持ちのアモン。



「ハルファスが打った剣か。さすがは悪魔界屈指の鍛冶師、いい仕事をする」

「そう思います。後は早くアレが完成するのを待つだけですけど」

「小僧よ、貴様の言うその、葦太刀あしたちとやらでないと駄目なのか? 刃であればその剣で十分に事足りよう」

「それは確かにそうですけど……なんていうんでしょうか。葦太刀あしだちの方が身体に馴染んでくれるって、そんな気がするんです。うまく言えませんけど……」



 俺の気のせいなのか? ライシははたと右手に握る剣に視線を落とした。

 槍、斧、弓……使用者がほとんどなく倉庫で眠りっぱなしだが、武器ならば他にもたくさんある。その中でも剣というカテゴリーにおいてライシはいつも、不可思議な感覚を憶えた。


 身体が異様に軽い。そればかりか力がどんどん漲ってくる。

 他の武器でこのような現象は確認できないことから、ライシは剣を持った時にのみ全体の身体能力ステータスが向上するという仮説を立てた。

 実際のところどうなのかは定かではない。

 とりあえず俺には剣が合ってるようだ。ライシはそう結論を下した。



「――、一応確認しておきますけど、本気でいっていいんですよね?」



 挑戦的に尋ねるライシを、アモンが鼻で一笑に伏した。



「むろん、遠慮する必要はない。ハルファスの打ったその剣の性能も同時に試すとよい。もっとも――この我を捉えることができれば、の話ではあるがな」



 アモンも不敵な笑みを浮かべ、その口調は挑発的だった。

 次の瞬間、ボッという音と共にアモンの周囲に空間から蒼い小さな火球がいくつも出現した。

 数は八つ。一つ、一つは直径一寸約3cmにも満たないというのに火の勢いはごうごうと激しく燃えて、さながら業火のようだ。

 アモンは、火の魔力を司る悪魔である。

 中でもアモンが支配する蒼い炎は、彼のみが振るうことを許された特別なもの。

 火力、ダメージと共に通常の炎系魔法よりもずっと高い。


 “灼焉しゃくえんの支配者”アモン――彼が操る炎に惑わされること、それは即ち死を意味するのだ。

 ライシは剣の柄を強く、ぎりっと握り締めるとゆっくりと構えた。

 剣術の基本である中段正眼の構えである。



「では、行くぞ小僧!」



 蒼き火球が一斉にライシへと襲い掛かった。



「ふっ!」



 気合、一閃。ライシは飛んでくる火球を剣で斬り落とした。


 ――さすがはハルファスさんだ!


 いい仕事をする。ライシは改めてこの剣の制作者に感謝して、すぐに地をどんと蹴り上げる。

 アモンはどの距離からでの戦闘も得意とする。遠距離攻撃がないライシにとって、距離を置いた戦いは不利となる。間合いを詰めるべく、火球を掻い潜り、アモンへと肉薄する。



「シャあッ!!」



 間合いへと入ったライシが横薙ぎに剣を払った。

 びゅん、と鋭い風切音を奏でる肉厚な刃は虚空を切り裂く。刃の先にアモンの姿はない。



「どこを見ているのだ小僧」

「あ、ず、ずるいですよ!」



 ライシの頭上、双翼を羽ばたかせるアモンが地上へと向けて再び火球を放つ。

 降り注ぐ火の雨にライシは成す術がない。咄嗟に近く似合った盾を傘代わりにすることで、辛うじて回避する。もう何年も満足に手入れされてないだろう、錆びついてボロボロだがその場凌ぎとしての役目は十分に果たした。



「悪魔の中には我のように空を飛ぶものいるし、当然空中での戦闘を得意とする者も数多くいよう。それをいちいち卑怯だなんだと叫んでいてはキリがないぞ小僧」

「だからって、空を飛ぶ方法がない俺にはどうしようもないですよ……」

「もっと頭を柔軟に使え。視界にあるものすべてが己を有利にする武器だ」

「そんなこと言われても……」

「そぉらどんどん行くぞ小僧!」



 容赦ない炎の雨にライシは盾でどうにか防ぐ。

 戦況は防戦一方、それさえも時間の問題だろうとライシは冷静だった。



「こんの!」



 守るという本来の役目を捨てて、ライシは盾を思いっきりぶん投げた。

 円盤状の鉄の塊がまっすぐと回転しながらアモンへと向かう。



「なるほど、考えたな小僧」



 あっさりと、アモンは盾を掴み取った。

 たったの一瞬。アモンの顔が驚愕に歪んだ。

 アモンの視界には、剣を上段に構えたライシの姿があった。

 盾はあくまで囮であり、本命はこちらである。



「もらったぁ!」



 ライシの稲妻のような剣が、空しく虚空を斬った。

 推進力を失ったライシを重力が強制的に彼を再び地上へと追放した。

 ライシは悔しそうに地面を叩く。



「くっそ~やっぱり届かなかったかぁ……」

「作戦事態については、まぁギリギリ及第点と言ったところだろう。今回は小僧、貴様が子供であることが要因だ。そう落ち込む必要はないぞ」

「それでも、成功してなきゃ意味ないですよ。これが実戦だったら俺はとっくに死んでました」

「それが理解できているのならばいい。では続きを――」



 不意にアモンががくりとその場で片膝を着いた。

 あまりに突然すぎる行動に誰しもが困惑するところを、ライシは至って冷静に対処する。

 頭を下げるアモンに剣先を向けた。

 二人の構図は、勝者と敗北者を違和感なく表現している。

 程なくしてコツコツと床を鳴らす足音が修練場の前でぴたりと止んだ。

 音が止んでからほんの一秒後。あるいはそれよりももっと短かったかもしれない。



「ライシちゃん!」



 目の前で扉が派手に吹っ飛んだ。

 もっと普通に開ければいいものを、とライシは呆れた様子で来訪者を横目に見やる。

 視線の先、激しく狼狽した様子のアスタロッテがいた。

 ぱたぱたと慌ただしく駆け寄るアスタロッテを、ライシはやんわりといさめる。



「母さん……扉は静かにゆっくりと開けないと。これ修理するの設備担当なんだから」

「そんなことよりライシちゃん何をやってるの!? どこか怪我はしてない!? 心臓はちゃんと動いてる!?」

「どこも怪我はしてないし、心臓止まってたらこうして会話すらできてないから」



 ――いくらなんでも過保護すぎるだろ……。


 でもでもと激しく取り乱すアスタロッテに、ライシは小さく溜息を吐いた。

 彼女がこうも過保護なのはやはり、あのトラウマが根底にあるから。

 夢ではなく、現実でのアスタロッテの第一子息はもうこの世に存在しない。

 我が子を失う恐怖と絶望を味わったアスタロッテだからこそ、ライシも深くは言及することをよしとしなかった。



「……それで、これはどういうつもりなのアモン」



 怒りの矛先がアモンへと向く。

 凄烈な殺気を一身に浴びるアモンは、姿勢を崩さぬままアスタロッテの目をまっすぐと見つめ返す。



「ライシ様との修練を行っておりました」

「えぇ、そうね。だけど前回は剣を振り方とか、基本的なものを教えていた。私としてもそれ以上大怪我に繋がるようなことはしないでって何度も口を酸っぱくしていったはず。なのにこの部屋の状況……模擬戦闘をしたのは一目瞭然。私の許可もなく、何故そのようなことを?」

「それは……」

「俺から頼んだんだよ母さん」



 言い淀むアモンに代わってライシが答えた。

 アスタロッテは不服な面持ちでライシへと詰め寄る。

 両肩を掴む手の力は我が子を案ずるばかり、アスタロッテの意志とは無関係に自然と強まる。

 両肩に走る鈍痛からわずかにライシは顔を歪めた。



「どうしてこんな危ないことをしたの?」

「俺だって母さんの息子だ。それに、俺にはもうアリッサやエルトルージェ……五人も妹達がいる。妹を守るのは兄貴の役目だし、その俺が弱かったら話にならない」

「で、でもライシちゃん!」

「大丈夫だってば。それにちょっとぐらい怪我もしておかないと痛みに慣れないし。人間……も悪魔も、戦って、痛みがないとそこから何も学べないと俺は思うから」



 しばしの静寂が流れる。

 先に静寂を切ったのは、アスタロッテの方だ。



「……わかったわライシちゃん」

「ありがとう母さん」

「その代わりこれからはママも一緒に同伴させてもらうからね」

「え?」と、ライシ。



 アモンの表情かおにも困惑の色が滲む。



「ママも一緒に見守っていれば、いざ何があった時すぐ対処できるもの。異論は、もちろんないわよねアモン?」

「は……はっ! もちろんにございますアスタロッテ様」

「ライシちゃん、ママたっぷり応援も救護もするからね!」

「あ……はい」



 これはまずいことになったなぁ。一人意気込むアスタロッテを他所に、ライシはアモンと密かに顔を見合わせた。


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